高山が拉致されたらしい。よほど不味い状態なのか、その声は上擦っていた。

「あの男を誘拐するとは、相手も難儀やったろうな」
『そんだけ切羽詰ってるってこった、状況は最悪だぞ』
「ほかになにかあったんか?」
『ああ、どうやら連中に紐がつきそうなんだ』
「なに?」
 元々フラッパーの密造は、チンピラの小遣い稼ぎとして始められた。だがチンピラが属する暴力団がその計画を知り、それをそのまま組の利益にしようと考えたらしい。そうなると、慌てたのはチンピラのほうだ。
 自分らだけでやるつもりだったのに、上に知られた。これからは上前を撥ねられる。そうなると、もう少し大掛かりにやらなければ甘い汁も吸えなくなる。
 だが手を広げるには不都合が一つあった。密造現場を高山に見られていることだ。
 これが知れ渡れば仕事が出来なくなる。それどころか、下手すると、自分らの落ち度として、上に睨まれる。最悪の場合、責任を取って殺されるかもしれない。
 それは困る。
 だからそうなる前に、目撃者の高山を殺しておこうという腹だろう。すぐに殺さなかったのは、高山がその話を誰にも漏らしていないか調べる為だ。
 連中は高山を拷問にかけ、他に秘密を知る者がいないか聞く気なのだ。そしてその後は遠慮なく殺す。たしかに時間はあまりなさそうだ。

「美幸が攫われてからどのくらい経った?」
『そろそろ二時間だ』
「アジトは? 聞いとるんやろうな?」
『いや、野郎、お前には関係ないとか言いやがって口を割らねえんだ』
「アホか! そこを言わすんがプロやろ!」
『しょうがねえだろ! あいつが黙ったら、レンジでも抉じ開けらんねえよ』
「ふん」
 高山の頑固さも無口さも筋金入りだ、加えてなぜか飛田は高山に甘い。いや、甘いというより、どこか遠慮している感じがある。かまうなと言われれば、なにも出来ないのだろう。ユキも、しかたないなと息をついた。
 とにかく、電話口で話していても埒が開かない。すぐに向かうから、それまでそっちもなにか考えておけと告げ、家を出る。


 ***


「おう、待たしたな、なにかわかったか?」

 部屋へ駆け込むなり訊ねると、飛田は神妙な顔でああと頷いた。高山の携帯のGPSから大まかな位置が知れたと言う。場所は八王子近くの小高い山だ。おそらくこのあたりだと示された地図には建物らしきものはなく、かなり寂れた場所のようだ。
 いつもなら神様のように、目的の場所を探し当てる高山はいない。そいつを探さなければならないのだから当たり前だ。自分らだけで、場所の特定は難しい。できなくはないが、時間がかかりすぎる。
 早くしなければそれだけ高山生存の確率が下がる。行くしかない。
 ユキと飛田は、考えられるだけの装備を持ち、GPSの示す山奥へと向かった。

 現場へつくと、地図上では何もないとされていた場所に、廃墟になったペンション跡があった。ペンションといっても結構大きい、コンクリート製で三階建てだ。
 ユキは建物の前に立ち、その構造を想像した。
 この規模ならおそらく地下がある、密造場所はそこだろう。だがそこに高山がいるとは限らない。すぐに殺すとはいえ、物と同じ場所に他人を置くのはリスクが高い。別の階にいると考えるべきだ。
 そこでユキは、飛田に地下へ行けと指示した。
「密造場所はおそらくそこや、お前はそいつを始末しろ、美幸は俺が何とかする」
「一人で行く気か? 向こうが何人なのかわかんねえんだぞ、無茶だ」
「二人しかおらんのや、手分けるんが早い、心配せんでも上手くやる、お前は物を始末して、退路確保に努めろ」
「しかし……」
 中身はともかく、今は女性だ、それもやたら細身で華奢に見える。ここまで来たはいいが、飛田も安心出来ないらしい。
 ユキ自身も、大船に乗ったつもりでいろとは言い難い。だが自信のない素振りを見せれば、この男は指示通り動かないだろう。それでは困る。
 実際、自分ひとりで手一杯なのだ、そこに今回は、高山を連れて逃げなければならない。そこに、飛田まで加わっては庇いきれない。飛田が足を引っ張るとは限らないが、リスクは避けたい。ついて来られることにより、動き難くなる可能性のほうが高いと思えば、別れたほうが無難だ。
「目的を履き違えんな、ええか? 高山の救出とフラッパーの始末が最優先や、それだけを考えろ」
「そいつはわかってる、だがお前だって……」
 自分のことはかまうなと睨むユキを、飛田は不安な思いで見つめた。高山が心配で、ここまで来てしまったが、冷静に考えれば、この状況はかなり危険だ。いかに中身が男だとはいえ、肉体は華奢な女性、そんな身体で普段の力が出せるのか、そこはかなり疑問だろう。それに、女性には男と違うリスクが伴う。

 相手は餓えた男たちだ。そこへこんな美人が飛び込んでくれば、どうなるか、狼の群れにウサギを放り込むようなものだ。おそらく、ただ捕らえるだけでは治まらなくなる。
 捕まれば確実にやられる、犯すだけ犯し、弄るだけ弄って最後は殺す。中にいるのは、そういうことが平気で出来る連中だ、一人では行かせられない。
「ダメだ、お前一人では行かせられん、まず先に高山を助ける、そのあとフラッパーの始末、それでいいだろ」
「アホか! そんなんしてたら、なるモンもならんくなるわ! ごちゃごちゃ言わんでさっさと行け、早よせんと全部無駄足になるで!」
 怒鳴り返しても、飛田は納得出来ないらしい、ダメだと言い張る。ユキも頭を抱えた。
 だが本当に、一緒にいられては困るのだ。ユキは仕方なく、小さく息を吐き、神妙な顔を作った。
「大丈夫や、無茶はせん、アカンかったらお前に知らせる、とにかく今は、俺のやりたいようにやらせてくれ」
 これくらいのミッションがこなせないようでは、この先のあり様も考えなければならなくなる。これは高山の為だけでなく、自分の為でもあるのだ。
 自分で自分を信じられなければお終いだ。この身体が元に戻らないとしても、それでも歩いていく為に、一人で行かせてくれと頭を下げた。

「……わかったよ」
 ユキの思いを察したのか、飛田もそこでようやく頷いた。まだ少し迷いのある顔で、気をつけろよと呟く。
「ああ、そっちもな、地下にも見張りくらいおるやろ、気つけや」
「ああ」
「退路確保やで、それが一番肝心なんや、頼りにしとるからな」
「わかったよ、じゃあお前も、高山を頼む」
「おう、任しとき」
 軽く瞳を見交わし、二人は別方向へと走り出した。

 あまり時間がないので、出来ればここにいて欲しいと願いながら、ユキは一階部分を探索した。その祈りが通じたかのごとく、そのフロアの中ほどの部屋から数人の声と物音がする。
 そっと扉を開けて中を覗くと、思った通り、高山がいる。両手を後ろ手に縛られたまま、折りたたみ式のパイプ椅子に座らされている。パイプ椅子の背もたれの後ろ側に両手を回す形になっているので、容易には抜け出せないだろう。
 高山は、数時間にわたり甚振られたらしく、あちこち血だらけで、ぐったりしている。力なく俯いたままの顔は腫れ上がり、着ている服も血塗れだ。まさか死んではいないだろうと思うが、意識があるのかないのか、近づいて見なければわからない。
「まいったな」
 今、自分の身長が160、体重は量っていないのでわからないが、五十もないだろう。対して高山の身長はおよそ180、体重は七十前後。これでもし、高山が自力で動けないとなると、困ったことになる。
 この体格差ではさすがに担いで逃げるというわけにはいかない。となれば、そこにいる全員をブチのめし、飛田の到着を待つしかない。だがそこにいた男の人数は、ユキの予想を遥かに超えていた。
 たかがチンピラのドラッグ密造、あまり大勢では分け前が減る。だから多くても五人とふんでいた。しかしそこにはざっと数えて十二人いる。これは簡単にブチのめせる人数ではない。闇夜に乗じるならともかく、こんな真っ昼間、正面突破となれば男だったときだって苦戦する。どうするかと暫し考えた。
 だが事態は待つ事を許さないようだ。連中は高山に見切りをつけ、殺すことにしたらしい。どうせなら作り上げたフラッパーの出来を見る意味でも、薬で死んでもらおうと言い出した。
 おそらく、時間を置いて何度も投与し、どの辺りがボーダーラインか試す気なのだ。それは不味い。
「しゃあないな……」
 連中の一人が、注射器片手に高山に近づいていくのを見つめ、ユキは決意した。
 行くしかない。

「待たんか!」