一旦視線を反らせた彼は、また思い切ったように顔を上げ、真顔で説教を始めた。
「どうせその男(飛田)に唆されたんだろう、だがそれは感心できない、もしなにかあったらどうする気だった?」
「硬い男やな、なんもなかったんやし、そんでええやろ」
「良くない、もう二度とこんなことに首を突っ込むな、今回は良かったろうが、次も上手く行くとは限らない、このままだとあんた、いつか大怪我をするぞ」
「それはお得意の予言か?」
高山は恐ろしく勘が良い。相手の顔色を見るだけで、考えていることや、ある程度の未来まで読めるというのだから、もはや超能力並みだ。
彼の言葉は予言と同じで、今のところ、ユキが知る限り、外れたことがない。それを考えれば、その言葉は無視できなかった。だが高山はそうではないと首を振る。
「無茶をするなと言ってるだけだ」
「黙っとけ、お前に言われる筋合いやないで」
「だめだ!」
傷だらけの顔で、睨む高山に、ユキも少し焦れた。事情を話していないのだから仕方がないが、いちいち女扱いなのが気に障る。男だった時は気づかなかったが、こいつはこんなに口煩かったのかと苛々した。
「お前な、いい加減にせえよ? 俺に恨みでもあるんか?」
「そうじゃない、大事にしろと言ってるんだ」
「関係ないやろ、お前に迷惑かけとらんで」
「いいから俺の言うことを聞け!」
思わず怒鳴り返すと、高山はまだ少し腫れている唇を硬く結んで強い視線で睨み返して来る。そういう言い方をされると余計素直に頷けない。お断わりだと話すと、高山は強引にユキの手を引いた。握られた手の熱さに、なぜかギクリとして気が殺がれる。
「あんたの手は壊す手じゃない、作り出す手だ、優しく温かい……もうやらないと誓うんだ」
そう語った高山の手も言葉も、驚くほど熱かった。いや、気持ちの問題だけではない、実際熱い。おそらく発熱してる。
考えてみればやられ過ぎだ、下手すると容態急変で死亡なんてことにもなりかねない。
不味いなと考え直したユキは、多少イラつきながらも頷いた。
「ああわかった、自重はする……もうええから、怪我人はおとなしく寝とれ」
ユキが小さく呟くと、高山もようやく安心したのか、黙って後部座席に横になり、目を閉じた。そしてそのまま意識をなくしたように眠りに落ちる。それを横目で確認したユキは、飛田に、すぐに医者へ連れて行けと警告した。
せっかく助けたのだ、死なせたくない。
「お前、あいつになんかしたのか?」
そうだなと納得した飛田は、高山が眠っているのをミラー越しに確認しながら、腑に落ちない表情で聞き返す。
ユキは別になにもと答えた。
「本当か?」
「ああ、キス一つしただけやで」
「キ……って、お前、なんでそんなことになった!」
「しゃあないやろ、それしかあいつに近づく手立てがなかったんや」
ユキの答えに、飛田も頭を抱えた。世にも珍しい高山の挙動不審は、そのせいらしいと納得だ。
「で、どうだったよ?」
「ん? 美幸か? まあええんやないか、可愛いかったで」
物慣れない感じで、あまり場数を踏んでなさそうだとユキは嘯く。その通りだろうなと飛田も頷いた。
高山は若い女なら飛びつきそうなイケメンで、一見遊んでいそうにも見えるが、実は超奥手だ。
人の心がわからない、自分には感情がないと言い続けていたが、それもあながちではない。おそらく彼は、恋どころか、遊びや友情程度としても、誰かを好きになったことなどないのだ。というか、ないと思い込んでいる。
当然異性と付き合ったこともないだろうし、ゲイではないので、男性と付き合った経験もない。未経験とは言わないが、プライベートのキスなんて、ほぼゼロだろう。初の相手がユキとは災難としか言い様がない。正体は絶対明かせないなと思った。
「こいつは特別なんだ、あんまりからかうなよ?」
「別にからかっとらん、つうかお前、美幸に甘過ぎやないんか?」
「だから、特別なんだよ」
高山が他人に心を閉ざしたことには自分にも責任がある。だが今更どうにもできない、もう彼が他人に心を開くことはないだろう。
そこまで考えて、ふと思った。もしかしたら……ユキになら、開くのかもしれない。
そう考えた時、横に座るユキの顔をあらためて見た。
女に興味はないが、客観的に見て、お嬢さん然とした綺麗な顔をしている。顔つきは男だった頃と全然違うが、目つきは同じだ。生意気そうで、どこか脆さも感じさせ、時々無理矢理にでも圧し折ってやりたくなる。
そう簡単に折れないとわかっているだけに、余計やりたくなるのだが、これが女となると、さらに不味いような気がする。
たいていの男は女を自分より下に見ている。どんなフェミニストでも、心のどこかで見下している部分があることは否定出来ない。
自分より下と思っている女に馬鹿にされれば、憎さ百倍だ。力づくでも圧し折り、引き裂いてやろうと考える輩は、悲しいが案外多いものだ。それを考えれば、高山の言うとおり、あまり無茶はさせられない。今回は自分が引き込んだのだが、もうこういう話には関わるなと言いたい。
一旦口を閉ざした飛田は、高山を医者に診せるのが最優先だと言い張るユキの主張に沿って、救急病院に向かった。診療時間を過ぎていたので、救急外来のほうへ回り、診察を申し入れる。この怪我ではいろいろ事情を聞かれるだろうが、背に腹は変えられない。見知らぬチンピラに絡まれたのだとでも言うことにした。
「ほなら俺はここで帰るわ」
「待てよ、送ってく」
「いい、お前は美幸についててやれ」
「いや、こっちが頼んだんだ、少し待ってろって」
「小学生やあるまいし、電車で帰る」
「しかし……」
あくまでも一人で帰ると言い張るユキに、飛田も送ると食い下がったが、彼女は利かなかった。高山についていろ、それくらいはしてやれという。そうなると何も返せない。
それにあまり拘ると、かえって怒らせそうだ。飛田も仕方なく折れた。
「わかったよ、じゃあ気をつけて帰れよ」
「ああ」
「男に戻る方法は俺が必ず見つけ出す、それまであんまり無茶すんじゃねえぞ」
「は、なに言うとる、今回はお前が引き込んだんやで?」
「ああ、まあ、そうだな、うん、助かった……けどお前」
「ん?」
「いや、なんでもねえ、じゃ、またな」
「おう」
気軽に片手を翳し、またなと背を向けるユキの、細い肩に溜息が出る。
高山は予言ではないと言っていたが、あの背中を見てしまうと心配になるではないか。
自重するなど、絶対に大嘘だ。彼がそんなしおらしいものか、絶対無茶をする。そしていつか、大怪我をする。そんな不安が拭えなかった。
「風祭!」
去って行く背中に飛田はもう一度怒鳴った。
「本当に、無茶すんじゃねえぞ!」
ユキは……返事をしなかった。
寒桜 了
「どうせその男(飛田)に唆されたんだろう、だがそれは感心できない、もしなにかあったらどうする気だった?」
「硬い男やな、なんもなかったんやし、そんでええやろ」
「良くない、もう二度とこんなことに首を突っ込むな、今回は良かったろうが、次も上手く行くとは限らない、このままだとあんた、いつか大怪我をするぞ」
「それはお得意の予言か?」
高山は恐ろしく勘が良い。相手の顔色を見るだけで、考えていることや、ある程度の未来まで読めるというのだから、もはや超能力並みだ。
彼の言葉は予言と同じで、今のところ、ユキが知る限り、外れたことがない。それを考えれば、その言葉は無視できなかった。だが高山はそうではないと首を振る。
「無茶をするなと言ってるだけだ」
「黙っとけ、お前に言われる筋合いやないで」
「だめだ!」
傷だらけの顔で、睨む高山に、ユキも少し焦れた。事情を話していないのだから仕方がないが、いちいち女扱いなのが気に障る。男だった時は気づかなかったが、こいつはこんなに口煩かったのかと苛々した。
「お前な、いい加減にせえよ? 俺に恨みでもあるんか?」
「そうじゃない、大事にしろと言ってるんだ」
「関係ないやろ、お前に迷惑かけとらんで」
「いいから俺の言うことを聞け!」
思わず怒鳴り返すと、高山はまだ少し腫れている唇を硬く結んで強い視線で睨み返して来る。そういう言い方をされると余計素直に頷けない。お断わりだと話すと、高山は強引にユキの手を引いた。握られた手の熱さに、なぜかギクリとして気が殺がれる。
「あんたの手は壊す手じゃない、作り出す手だ、優しく温かい……もうやらないと誓うんだ」
そう語った高山の手も言葉も、驚くほど熱かった。いや、気持ちの問題だけではない、実際熱い。おそらく発熱してる。
考えてみればやられ過ぎだ、下手すると容態急変で死亡なんてことにもなりかねない。
不味いなと考え直したユキは、多少イラつきながらも頷いた。
「ああわかった、自重はする……もうええから、怪我人はおとなしく寝とれ」
ユキが小さく呟くと、高山もようやく安心したのか、黙って後部座席に横になり、目を閉じた。そしてそのまま意識をなくしたように眠りに落ちる。それを横目で確認したユキは、飛田に、すぐに医者へ連れて行けと警告した。
せっかく助けたのだ、死なせたくない。
「お前、あいつになんかしたのか?」
そうだなと納得した飛田は、高山が眠っているのをミラー越しに確認しながら、腑に落ちない表情で聞き返す。
ユキは別になにもと答えた。
「本当か?」
「ああ、キス一つしただけやで」
「キ……って、お前、なんでそんなことになった!」
「しゃあないやろ、それしかあいつに近づく手立てがなかったんや」
ユキの答えに、飛田も頭を抱えた。世にも珍しい高山の挙動不審は、そのせいらしいと納得だ。
「で、どうだったよ?」
「ん? 美幸か? まあええんやないか、可愛いかったで」
物慣れない感じで、あまり場数を踏んでなさそうだとユキは嘯く。その通りだろうなと飛田も頷いた。
高山は若い女なら飛びつきそうなイケメンで、一見遊んでいそうにも見えるが、実は超奥手だ。
人の心がわからない、自分には感情がないと言い続けていたが、それもあながちではない。おそらく彼は、恋どころか、遊びや友情程度としても、誰かを好きになったことなどないのだ。というか、ないと思い込んでいる。
当然異性と付き合ったこともないだろうし、ゲイではないので、男性と付き合った経験もない。未経験とは言わないが、プライベートのキスなんて、ほぼゼロだろう。初の相手がユキとは災難としか言い様がない。正体は絶対明かせないなと思った。
「こいつは特別なんだ、あんまりからかうなよ?」
「別にからかっとらん、つうかお前、美幸に甘過ぎやないんか?」
「だから、特別なんだよ」
高山が他人に心を閉ざしたことには自分にも責任がある。だが今更どうにもできない、もう彼が他人に心を開くことはないだろう。
そこまで考えて、ふと思った。もしかしたら……ユキになら、開くのかもしれない。
そう考えた時、横に座るユキの顔をあらためて見た。
女に興味はないが、客観的に見て、お嬢さん然とした綺麗な顔をしている。顔つきは男だった頃と全然違うが、目つきは同じだ。生意気そうで、どこか脆さも感じさせ、時々無理矢理にでも圧し折ってやりたくなる。
そう簡単に折れないとわかっているだけに、余計やりたくなるのだが、これが女となると、さらに不味いような気がする。
たいていの男は女を自分より下に見ている。どんなフェミニストでも、心のどこかで見下している部分があることは否定出来ない。
自分より下と思っている女に馬鹿にされれば、憎さ百倍だ。力づくでも圧し折り、引き裂いてやろうと考える輩は、悲しいが案外多いものだ。それを考えれば、高山の言うとおり、あまり無茶はさせられない。今回は自分が引き込んだのだが、もうこういう話には関わるなと言いたい。
一旦口を閉ざした飛田は、高山を医者に診せるのが最優先だと言い張るユキの主張に沿って、救急病院に向かった。診療時間を過ぎていたので、救急外来のほうへ回り、診察を申し入れる。この怪我ではいろいろ事情を聞かれるだろうが、背に腹は変えられない。見知らぬチンピラに絡まれたのだとでも言うことにした。
「ほなら俺はここで帰るわ」
「待てよ、送ってく」
「いい、お前は美幸についててやれ」
「いや、こっちが頼んだんだ、少し待ってろって」
「小学生やあるまいし、電車で帰る」
「しかし……」
あくまでも一人で帰ると言い張るユキに、飛田も送ると食い下がったが、彼女は利かなかった。高山についていろ、それくらいはしてやれという。そうなると何も返せない。
それにあまり拘ると、かえって怒らせそうだ。飛田も仕方なく折れた。
「わかったよ、じゃあ気をつけて帰れよ」
「ああ」
「男に戻る方法は俺が必ず見つけ出す、それまであんまり無茶すんじゃねえぞ」
「は、なに言うとる、今回はお前が引き込んだんやで?」
「ああ、まあ、そうだな、うん、助かった……けどお前」
「ん?」
「いや、なんでもねえ、じゃ、またな」
「おう」
気軽に片手を翳し、またなと背を向けるユキの、細い肩に溜息が出る。
高山は予言ではないと言っていたが、あの背中を見てしまうと心配になるではないか。
自重するなど、絶対に大嘘だ。彼がそんなしおらしいものか、絶対無茶をする。そしていつか、大怪我をする。そんな不安が拭えなかった。
「風祭!」
去って行く背中に飛田はもう一度怒鳴った。
「本当に、無茶すんじゃねえぞ!」
ユキは……返事をしなかった。
寒桜 了