時計塔の東に立つケヤキの古木のうろの中に伝声管が設置されていることは、ゆめさきと親友だけの秘密だった。この伝声管を使えば、時計塔に住む親友と話をすることができる。

「伝声管を付ける前は、わたし、空を飛んで親友の部屋を直接訪ねていたの。でも、あるとき、こういうのはよくないって親友が怒って、部屋を訪ねるときには伝声管を使う約束になったのよ」

「お姫さん相手に怒る人間がいるのか」
「いるわよ、もちろん。親友からは特別たくさん怒られるけど。まあ、部屋まで飛んでいって着替えをのぞいちゃったのは、わたしが悪かったと反省してるわ」

 ゆめさきは、物珍しそうな顔の男たち二人に説明した。ラッパ状になった伝声管の口の蓋を開け、カラカラと鈴を鳴らし続けると、やがて伝声管の向こうから、眠たげにくぐもった声が聞こえてくる。

〈……姫、ですか?〉
「そうよ。寝てた?」
〈当たり前でしょう。こんな時間に、何なんです?〉

 きらぼしが眉をしかめた。
「親友って、男か?」
 その途端、伝声管の向こうの声がピリリと緊張した。
〈誰です! なぜ、男が姫と一緒にいるんですか!〉

「彼は旅の仲間よ。さあ、ふぶき、出掛ける支度をして、十分以内に伝声管のケヤキまで来てちょうだい」
〈た、旅の仲間? 出掛けるって、あの、姫は何をたくらんでいるんですか?〉
「たくらむなんて人聞きが悪いわね。あらしのこと、前に話したはずだわ。忘れちゃったの? とにかく、今すぐ支度をして出てきてよね。わかった?」

 言うだけ言って、ゆめさきは伝声管の蓋を閉めた。
 もちづきが伝声管に顔を近付け、不思議そうに首をかしげた。

「ずいぶんと明瞭に声が聞こえるものだな。みつるぎ国で使われているものとは、仕組みが違うのか?」
「ああ、これは特製なのよ。伝声管のこっち側と向こう側に核を埋め込んで、ある種の機巧人形に仕立ててあるの。伝声管そのものが従順な性格の意思を持っているから、わたしとふぶきの声を、よりハッキリ伝えてくれるというわけ」

 ゆめさきの親友は、ふぶきという。むらくも族の特徴である手先の器用さにおいては、若衆の中でも群を抜いている。根ざしものの力も非常に強い。
 ふぶきの根ざしものは【操り人形】と呼ばれるものだ。人形や細工物の中に、核となる鉱石を、自分の髪の毛を使って結わえ付ける。髪の毛が切れるまでの間、根ざしものの持ち主は、人形や細工物を自在に操ることができる。

 ゆめさきはケヤキの中に隠された伝声管の核を実際に見せながら説明した。核はラピスラズリの小片を使っており、それを結わえる髪の毛は夜気に透けるような銀色だ。

 のぞき込みながら、きらぼしは、ゆめさきに尋ねた。
「これから初対面の相手だってのに、いきなり根ざしものの種明かしなんかしてもらってもいいのか? みつるぎ国では、基本的に、みんな自分の根ざしものの話を口にしたがらないぞ。下手すりゃ、兄弟同士でも黙ってる」

「今のあさぎり国では、親しい相手には普通に話すわよ。昔は、他人の根ざしものについて根掘り葉掘り聞き出すことは、女性に下着の色を尋ねるようなものだって言われてたみたい。でも、きらぼし、あなたの場合は……」

 ゆめさきは言葉を切った。時計塔から、ふぶきが駆け出てきたのだ。ゆめさきは伸び上がって手を振った。
 ふぶきが身にまとっているのは、むらくも族の伝統装束だ。人前では決して外さない帽子からは、三つ編みにした長い銀髪が一筋。前合わせのチュニックに、びっしりと刺繍の入った帯。腰に付けた袋の中身は、愛用の細工道具だ。

 十八にもなって、いまだに線が細く中性的な顔立ちのふぶきは、筆で描いたような柳眉をひそめた。

「姫、何事ですか? このかたがたは一体?」
「みつるぎ国からのお客さんですって。一緒に悪党退治をしたの」

「真夜中に悪党退治? あなたという人は、また何をやってるんですか! 危険なことにばかり首を突っ込まないでくださいと、いつも口を酸っぱくしているのに」
「ああもう、わかったから大声出さないで。わたしに危険なことをさせたくなかったら、ふぶきも一緒に来てちょうだい。わたし、あらしを竜の谷まで見送りに行くから」

 ふぶきは青い目を剥いた。あらしが得意げに、ゆめさきの腕の中でキュルキュルと鳴く。ふぶきは、ぐるりと一行を見やり、ゆめさきに視線を戻して、深々とため息をついた。

「ぼくが行かないと言ったら、こちらの見ず知らずのお客人たちと一緒に行くと、そういうことでしょうか?」
「見ず知らずだけど、腕は立つし、信用できるわ」
「なぜそう断言できるんですか?」

「わたし、人を見る目には自信があるもの。この人なら大丈夫と信用して、裏切られたことはないわ」
「説明になっていません。あまりにも非論理的です。姫はだいたいいつもそうやって無茶ばかりして、少しはまわりの迷惑も……」

 口やかましいふぶきをさえぎって、ゆめさきはニコニコとして告げた。
「ふぶきのご両親が先日作ってくれた人形、今夜から大活躍するのよ。何せ、わたしのドレスの型崩れを防ぐために作られた、わたしとそっくり同じ体型をした人形でしょ? 核を入れてヴェールを付けさせたら、わたしが動いてるみたいだったわ」

 ふぶきは絶句し、口をむなしくパクパクさせた。ゆめさきは満面にいたずらっぽい笑みを浮かべている。
 婚姻の儀を経た女は、袖の長さや帯の位置など、娘のころとは違った形の服を着ることになる。民衆の場合はもともとある服を繕い直し、形を整える程度で済ませるが、一国の王女ともなればそうもいかない。

 今、王都の仕立て屋は総動員で、ゆめさきのために、既婚の王族女性が着るドレスを作っている。それらのドレスを縫製したり保管したりする際に使う人形もまた必要とされ、物作りに長けた時計塔のむらくも族も、このところ大忙しだった。

 ふぶきの両親は、むらくも族の中でも特に腕のいい人形師で、几帳面な仕事ぶりも評判だ。ところが、先日、ゆめさきの等身大の人形が一体、行方不明になった。ふぶきの両親は慌て、ゆめさきの母である王妃に謝罪を入れて許され、新たな人形製作に追われている。

 その人形泥棒が今、ふぶきの目の前にいる。奪われた人形の用途も暴露された。
 ゆめさきは、自分と同じ体型の人形に、留守の間の身代わりをさせるつもりだ。婚約が確定した王族女性は、婚姻の儀で花婿の手で顔をあらわにされるまで厚手のヴェールを付ける習わしがある。ヴェールは、身代わりの正体を隠す助けとなるだろう。

 ふぶきは額に手を当て、盛大なため息をついた。
「一昨日、妙に正式な形で呼び出されて、手にキスをする礼まで取らされましたが、ぼくの根ざしものを複写するためだったんですね」
「ご明察。ふぶきの根ざしもので遊ぶのはいつ以来かしら? 子どものころは、よく操り人形を交えて鬼ごっこをしたものだわ」

「今回は遊びでは済まされませんよ。人形が姫の身代わりを務めていると露見したら、ぼくまで関与を疑われてしまう」
「そうかもしれないわね。でも、もしも疑われたとしても、後でわたしが必ず弁明して、ふぶきの無実を訴えるから安心して。だから、ねえ、ふぶき。冒険の旅に一緒に来るか来ないか、今すぐ選びなさい」

「姫、本気なんですか?」
「もちろん本気よ。最初で最後の機会だもの。わたし、後悔や未練を残したまま結婚したくないの。お願い、ふぶき、協力して。ね?」

 ゆめさきは、ふぶきの手を取って詰め寄った。ふぶきは口うるさいが押しに弱いことを、ゆめさきはよく知っている。一生懸命に頼み込んで断られたことは、今までに一度もない。
 ふぶきは息苦しげに、ゆめさきのルビー色のまなざしから顔を背けた。

「……わかりました。お供します」
「やったぁ! ありがとう、ふぶき!」

 ゆめさきは、ふぶきに飛び付こうとした。が、勢いの調整を誤った。今のゆめさきの複写の効果は、ふぶきの根ざしものから入れ替わり、きらぼしの根ざしものによって全身の力が増している。ゆめさきは、それをすっかり忘れていた。
 猛烈な勢いでぶつかられ、ふぶきが豪快に吹っ飛んだ。受け身もろくに取れず、尻餅をついて痛みに呻く。

「姫、あなたという人は……」
「やだ、ごめんなさい。悪気はないの。本当よ」

 青い目に涙を浮かべたふぶきに、キュイと、あらしが鳴いて鼻面をすり寄せた。もちづきが駆け寄って、ふぶきに手を貸した。

「どこかがひどく痛むようなら、私が【治癒】しよう。私の名は、もちづき。ゆえあって仮面は外せぬが、勘弁してほしい」
「ご丁寧にどうもありがとうございます。とりあえずあなたは常識的な人のようで、安心しました」

 きらぼしが肩をすくめた。
「お姫さんより常識破りな人間は、そうそういないと思うぜ。おれのことは、きらぼしと呼んでくれ。ひとまず、誰かに見付からねぇうちに王都脱出といこうか」

「しかし、どうするのだ? 王都の外周を巡る城壁は、よじ登れる高さではないだろう?」
 もちづきの疑問に、ゆめさきは胸を張って答えた。
「わたしがあなたたちを抱えて飛べばいいのよ。こんなふうに」

 ゆめさきは、足下に戻ってきたあらしを拾い上げて胸に抱いた。あらしがピタッとくっ付くと、思いがけずふくよかな胸が、柔らかそうに形を変える。
 きらぼしが「はぇっ」と間抜けな声をあげ、もちづきがピシリと固まった。ふぶきは、またしても、長々とため息をついた。

「そろそろ本気で、嫁入り前の姫君だという自覚を持ってもらいたいんですが」
「何か言った、ふぶき?」
「いえ。ぼくも自分で空を飛べたらいいのにと思っただけです」
「あら、ふぶきはふぶきのままでいいのよ。あなたにできないことは、わたしが手伝ってあげるんだから」

 屈託なく微笑むゆめさきに、ふぶきは肩を落とし、きらぼしがなぐさめるようにその肩を叩き、もちづきは仮面を軽く押さえながらそっぽを向いた。