きらぼしが足を向けたのは、山手の畑だった。仕事に励む農夫や、彼らを手伝う機巧人形がいる。明るい声で挨拶してくれる彼らに応えながら、ゆめさきは、きらぼしの隣を歩いた。のんびりとした足並みだ。
「昨日のことが夢みたいね」
「物作りの根ざしものを持つ人間が集まってるだけあって、復興もあっという間だったしな。シャーの一族の結末も予想や覚悟ができてたって、医者の先生が言ってた。ひよどり村の人たちは強いよ」
昨日、広場に設置した投石機は、「彼」自身の希望で、物見やぐらに造り替えられた。大掛かりな工事を伴う城壁の修復は、さすがにまだ手付かずだ。
むしろ城壁などなくてよいのでは、という声もある。むらくも族は、壁の内側に住むことをあまり得意としない。定住と農業を三十年間も続けていながら、いまだに旅の空をしのんで、時おり庭のユルタで寝る習慣がある者もいる。
異なる国に生まれた者同士は、同じ国に住むことはできても、完全に同化することはできないのだろう。それでよいと、ゆめさきは考える。
故国の滅びを経験したむらくも族を、弱い存在だとは思わない。弱いと見なす者がいたとしても、弱い者だからと蔑んで呑み込んで潰してよい理屈は、どこにもない。
昨日の休耕地の木には、半ば断たれた赤い帯が引っ掛かったままだった。
「ほっとくのも、あんまりかな」
きらぼしがつぶやき、ゆめさきもうなずいて、休耕地に足を踏み入れる。帯を木からほどくと、朝露に湿った形跡があった。
「織目も刺繍も綺麗ね。切れた箇所、うまく繕えないかしら?」
「ふぶきならできるんじゃねぇか? しかし、帯にするには長すぎるだろ、これ」
「王都のむらくも族には、彼らの伝統装束とあさぎり国のものを融合させた、新しい着物を作ってる人がいるのよ。この帯もドレスに仕立ててもらおうかしら」
「そういう服、ゆめさきは公の場でも着るのか?」
「もちろんよ。この間は、みつるぎ国皇陛下から、みつるぎ国の伝統装束を贈っていただいたの。近いうちに機会を作って、その着物を身に付けて披露するつもり」
「案外ちゃんと、王女としての役割も果たしてんだな。安心した」
「何よ、それ? わたし、普段はきちんとしてるわ。今が特別なだけ。あらしにとって十二年に一度の機会だし、わたしにとって最後の自由になるはずだし」
最後の自由と口にすると、心がギュッと縮まるように感じた。
きらぼしが木を背もたれにして座り込んだ。来いよ、と手振りで示されて、ゆめさきも木に背を預けて座る。別々のほうを向いた二人の間に、あらしがちょこんと収まった。
少しの間、無言だった。
たった一日の出来事が何かを決定的に変えてしまったと、ゆめさきは思う。めちゃくちゃな勢いで、心をたくさん揺さぶられた。心に着込んだドレスも鎧も全部振り落とされて、本音が剥き出しにされた。この想いを、どうすればいいのだろう?
口を開いたのは、きらぼしだった。
「いずれ訊こうと思ってたんだが、今がそのときのような気がする。できれば正直に答えてほしい」
改まった口調だ。ゆめさきはドキリとした。
「訊きたいことって何?」
少し間を置いてから、きらぼしは問うた。
「ゆめさきの目から見て、ふぶきはどんな人物だ? いや、ちょっと違うな。ゆめさきは、ふぶきに対してどう思ってる?」
「ふぶきに対する、わたしの感情?」
「ああ。宿場町の女たちみたいに、ふぶきは美男子だって見惚れたりするのか?」
「しないわ。ふぶきは確かに綺麗な顔をしてるけど、見惚れたことはない。物心ついたときからの親友よ。口うるさいけど、頼れる人。わたしを実の妹みたいに大事にしてくれる人。昔からそんなふうに思ってきたし、きっとこれからも変わらない」
「じゃあ、もちづきは? 仮面を外したあいつの顔、見ただろ。すげぇ綺麗な顔をしてる。あいつもモテるんだぜ」
「そうでしょうね。ある意味では、仮面を付けてないほうが目立つかも。知的で大人びていて、まじめで、自分の身をかえりみずに他人を救おうとする、本当に優しい人だわ。もちづきを好きになる女の子が多いのも、よくわかる」
きらぼしが、そっと笑う気配がある。そんな些細な空気の震えが、なぜだかひどく、くすぐったい。
「優しすぎて、いっそバカだよな、あいつ。どうしようもねぇほど、クソまじめ。おれはちょっとくらい傷が残っても平気なのに、毎度のことながら、完璧に治癒するまで手を抜かねぇんだ。おかげであんなひでぇ姿になりやがって」
「まだ、もとに戻ってないの?」
「服から見えてる範囲の皮膚は、だいたい回復した。髪が完全に戻るのは、もう少しかかるだろうな。それより、今回は内臓にかなり負担が来てるみたいで、ほとんど食えてないのが心配だ」
「そんな状態じゃ、まだ人と会いたくないわよね。治癒の力を使ってるときも、顔を見ちゃダメだって」
「ゆめさき、その言い方は、たぶん誤解してる」
「誤解?」
きらぼしの口調から笑みが消えた。
「あいつは、じいさんになった姿を見られるのがイヤなんじゃなくて、見せちゃいけないと思ってんだ。見た人が、その姿を恐れるから。気持ち悪いもんを見せてイヤな気分にさせたくないんだってさ」
「もちづき、そこまで一人で背負い込まなくていいのに。驚いたけど、恐れたりしないし、気持ち悪くなんかないのに」
「直接あいつに言ってやってくれ。気休めにはなるだろ」
「でも、きっと納得はしないんでしょ。もちづきは優しいけど、けっこう頑固よね。信念を曲げない人」
頑固だよ、と応じ、きらぼしは唐突に打ち明けた。
「昨日のことが夢みたいね」
「物作りの根ざしものを持つ人間が集まってるだけあって、復興もあっという間だったしな。シャーの一族の結末も予想や覚悟ができてたって、医者の先生が言ってた。ひよどり村の人たちは強いよ」
昨日、広場に設置した投石機は、「彼」自身の希望で、物見やぐらに造り替えられた。大掛かりな工事を伴う城壁の修復は、さすがにまだ手付かずだ。
むしろ城壁などなくてよいのでは、という声もある。むらくも族は、壁の内側に住むことをあまり得意としない。定住と農業を三十年間も続けていながら、いまだに旅の空をしのんで、時おり庭のユルタで寝る習慣がある者もいる。
異なる国に生まれた者同士は、同じ国に住むことはできても、完全に同化することはできないのだろう。それでよいと、ゆめさきは考える。
故国の滅びを経験したむらくも族を、弱い存在だとは思わない。弱いと見なす者がいたとしても、弱い者だからと蔑んで呑み込んで潰してよい理屈は、どこにもない。
昨日の休耕地の木には、半ば断たれた赤い帯が引っ掛かったままだった。
「ほっとくのも、あんまりかな」
きらぼしがつぶやき、ゆめさきもうなずいて、休耕地に足を踏み入れる。帯を木からほどくと、朝露に湿った形跡があった。
「織目も刺繍も綺麗ね。切れた箇所、うまく繕えないかしら?」
「ふぶきならできるんじゃねぇか? しかし、帯にするには長すぎるだろ、これ」
「王都のむらくも族には、彼らの伝統装束とあさぎり国のものを融合させた、新しい着物を作ってる人がいるのよ。この帯もドレスに仕立ててもらおうかしら」
「そういう服、ゆめさきは公の場でも着るのか?」
「もちろんよ。この間は、みつるぎ国皇陛下から、みつるぎ国の伝統装束を贈っていただいたの。近いうちに機会を作って、その着物を身に付けて披露するつもり」
「案外ちゃんと、王女としての役割も果たしてんだな。安心した」
「何よ、それ? わたし、普段はきちんとしてるわ。今が特別なだけ。あらしにとって十二年に一度の機会だし、わたしにとって最後の自由になるはずだし」
最後の自由と口にすると、心がギュッと縮まるように感じた。
きらぼしが木を背もたれにして座り込んだ。来いよ、と手振りで示されて、ゆめさきも木に背を預けて座る。別々のほうを向いた二人の間に、あらしがちょこんと収まった。
少しの間、無言だった。
たった一日の出来事が何かを決定的に変えてしまったと、ゆめさきは思う。めちゃくちゃな勢いで、心をたくさん揺さぶられた。心に着込んだドレスも鎧も全部振り落とされて、本音が剥き出しにされた。この想いを、どうすればいいのだろう?
口を開いたのは、きらぼしだった。
「いずれ訊こうと思ってたんだが、今がそのときのような気がする。できれば正直に答えてほしい」
改まった口調だ。ゆめさきはドキリとした。
「訊きたいことって何?」
少し間を置いてから、きらぼしは問うた。
「ゆめさきの目から見て、ふぶきはどんな人物だ? いや、ちょっと違うな。ゆめさきは、ふぶきに対してどう思ってる?」
「ふぶきに対する、わたしの感情?」
「ああ。宿場町の女たちみたいに、ふぶきは美男子だって見惚れたりするのか?」
「しないわ。ふぶきは確かに綺麗な顔をしてるけど、見惚れたことはない。物心ついたときからの親友よ。口うるさいけど、頼れる人。わたしを実の妹みたいに大事にしてくれる人。昔からそんなふうに思ってきたし、きっとこれからも変わらない」
「じゃあ、もちづきは? 仮面を外したあいつの顔、見ただろ。すげぇ綺麗な顔をしてる。あいつもモテるんだぜ」
「そうでしょうね。ある意味では、仮面を付けてないほうが目立つかも。知的で大人びていて、まじめで、自分の身をかえりみずに他人を救おうとする、本当に優しい人だわ。もちづきを好きになる女の子が多いのも、よくわかる」
きらぼしが、そっと笑う気配がある。そんな些細な空気の震えが、なぜだかひどく、くすぐったい。
「優しすぎて、いっそバカだよな、あいつ。どうしようもねぇほど、クソまじめ。おれはちょっとくらい傷が残っても平気なのに、毎度のことながら、完璧に治癒するまで手を抜かねぇんだ。おかげであんなひでぇ姿になりやがって」
「まだ、もとに戻ってないの?」
「服から見えてる範囲の皮膚は、だいたい回復した。髪が完全に戻るのは、もう少しかかるだろうな。それより、今回は内臓にかなり負担が来てるみたいで、ほとんど食えてないのが心配だ」
「そんな状態じゃ、まだ人と会いたくないわよね。治癒の力を使ってるときも、顔を見ちゃダメだって」
「ゆめさき、その言い方は、たぶん誤解してる」
「誤解?」
きらぼしの口調から笑みが消えた。
「あいつは、じいさんになった姿を見られるのがイヤなんじゃなくて、見せちゃいけないと思ってんだ。見た人が、その姿を恐れるから。気持ち悪いもんを見せてイヤな気分にさせたくないんだってさ」
「もちづき、そこまで一人で背負い込まなくていいのに。驚いたけど、恐れたりしないし、気持ち悪くなんかないのに」
「直接あいつに言ってやってくれ。気休めにはなるだろ」
「でも、きっと納得はしないんでしょ。もちづきは優しいけど、けっこう頑固よね。信念を曲げない人」
頑固だよ、と応じ、きらぼしは唐突に打ち明けた。