「もちづきが、さらわれた?」
 きらぼしは黒い目をカッと見開き、取り囲む人々を順繰りに見つめた。皆、目を伏せ、顔を背け、きらぼしの視線を正面から受け止めることができない。

 ああ、と低く呻いたきらぼしは、いきなり拳を固め、己の胸を強く打った。ゆめさきが慌てて、きらぼしの腕にすがり付いた。

「やめて、きらぼし。そんなことしても、もちづきは戻ってこない」
「迂闊だった。何もできなかった。まさか、ただの帯に締め上げられて手も足も出ないなんてな。抜かったよ、ちくしょう」

「わたしももっと気を引き締めておくべきだったわ。きよみずの予言があったのに、のんびりと構えていた。でも……だって、前兆もなかったでしょう?」
「災難が降りかかるときは、そんなもんだろうよ。後悔しても始まらねえ。村じゅう壊されて、もちづきがさらわれた。そのほかの被害は?」

「亡くなった人が二人。ふぶきの伯父さまも亡くなったの」
 ゆめさきに告げられ、きらぼしは振り絞るようにつぶやいた。
「申し訳ない。戦う力を持っていながら、おれは……!」

 皆、うつむいたまま首を左右に振った。誰かがすすり泣きの声を洩らした。

 敵に真っ先に躍り掛かったのは、きらぼしだった。しかし、蛇のように動く赤い帯にとらわれ、動きを封じられた。
 もちづきが皇子を名乗ったのは、きらぼしが意識を失った後だったらしい。見学中だった工房から飛び出し、思念の怒号を発する人形戦士の前で名乗りを上げたという。

 ふぶきの祖父はそこに居合わせていた。
「もちづきさまが村におられることを、あのかたは初めからご存じの様子じゃった。みつるぎ国の貴族か皇族がいるはずだからこちらへ渡せと、村に踏み込んで早々におっしゃったのじゃ」

「なぜ、おれたちのことを?」
「王都を出て北へ向かった足取りをつかみ、追い付いたとおっしゃった。みつるぎ国の出で立ちで巧みな剣を使うとなれば高貴な身分に違いないと、お調べになったらしい。招くまでもなく懐に飛び込んでくるとは縁があるようだ、と笑っておいでじゃった」

「あんた、なぜ敵に対して敬語を使う? 敵がむらくも族だからか?」

 ふぶきの祖父はうなずき、口をつぐんだ。きらぼしは一同を見渡す。相変わらず、目を合わせる者がいない。
 いや、ただ一人、ふぶきが顔を上げた。

「祖父たちを責めないでください。ひよどり村の者の多くは、三十年前、故国からこの地への移住を経験しています。故国に関わることは、あさぎり国で生まれ育ったぼくのように自由に語ることができません」
「ふぶきなら話せるってのか?」
「ええ。ぼくが話しますよ」

 きらぼしが意識を取り戻す前に、ふぶきは祖父から手短に事情を聞いていた。ゆめさきは聞かせてもらえなかった。むらくも族に関わる難しい事情が絡んでいるのだと、だから察した。
 破壊と暴力の痕跡をとどめた広場で、誰もが座り込んで動けずにいる。はらはらと涙を流す者、呆然として工房の残骸を見つめるばかりの者、抱き合って震える女たち、負傷した体を支え合う男たち。

 きらぼしは、ほどけた髪を結い直した。その仕草が完了するのを見届けて、ふぶきは口を開いた。

「むらくも族が戦乱によって故国を失った歴史について、きらぼしさんはどの程度、知っていますか?」
「具体的には、あんまり。北方大陸の中央部にあったむらくも族の国を、まわりの国が寄ってたかって分割した。そのくらいしか知らねぇよ。みつるぎ国は島だ。北方大陸と南方大陸の海の玄関口、それぞれ一国としか交流がなくて、他国の事情には疎い」

「では、最初から話します。むらくも族の故国、乾いた草地と広い砂漠の延々たる平原に、隣り合う二つの国が攻め入り始めたのは、今から百年ほど前のことでした」
「侵略の目的は? さらに別の国に攻め入るための足掛かりか?」
「それもあります。むらくも族の平原は、周辺八ヶ国に通じる陸路を有してもいました。ですが、もっと直接的な目的があったんですよ。むらくも族の平原は、硝石と硫黄、そして大地の黒い油を産していました」

 なるほどと、きらぼしは険しい顔をした。
「硝石と硫黄は、火薬の材料だな。百年前っていやぁ、火薬の開発が急激に伸びた時期だ。平原の接収と材料の採掘がそれを可能にしたってわけか。それに、黒い油。火薬と組み合わせれば、最悪の火器になる」

「さすが尚武の国、みつるぎ国の武将だけあって、武器に関しては詳しいようですね。推察のとおりですよ。むらくも族の平原に攻め入り、火器の材料を手にした国は、他国との戦で圧倒的に有利になりました」

「だから、各国がこぞって平原に攻め込む流れになったのか。その情勢が、何十年も続いたんだな?」
「戦乱が完全に終結したのは、今から三十年前です。約七十年に渡って、むらくも族は翻弄され続けました。その間、互いに互いを燃やし合った周辺諸国も、ついに疲れ切ってしまった。そこでようやく和平条約とやらが締結されたわけです」

 ふぶきが言葉を切り、奥歯を噛み締めた。
 この和平条約を受け入れることを拒み、ふぶきの祖父たちは、あさぎり国に亡命してきた。むらくも族の前で和平条約の話に触れることは、ゆめさきたち、あさぎり国の人間にとって禁忌にも近い。誇り高いむらくも族に屈辱を思い出させてはならないのだ。
 ふぶきが大きく息をついた。その頬に皮肉の笑みが浮かんだ。

「和平、と勝手な名称が付けられていますが、とんでもない。周辺八ヶ国が停戦のために合意した内容は、むらくも族の平原を公平に八分割し、統治することでした。各地に町を作り、むらくも族を定住させて産業の発展に努めよう、と」

 むらくも族は本来、定住しない。厳しい旅の空の下にあってこそ、彼らの誇りは育まれた。
 祖先の霊を祀る「死者の神殿」の前で、ふぶきの言ったとおりだ。ふぶきたちは、城壁に囲まれた町の煉瓦造りの家に住む現状を、旅の途中の仮住まいと呼んでいる。三十年経った今でさえ。

 和平条約は成功しなかった。
 頑なに流浪の生活を続けようとした氏族は、統治国の軍によって滅ぼされた。油田や採掘所のそばに住まわされ、労働を強いられた氏族は、相次ぐ病と自害のために急速に衰えた。

 隣国に亡命した氏族も、多くは定住に失敗した。敗戦国の根無し草と蔑まれ、仕事に就けず、貧民街で物乞いをするよりほかにない。ある者は風土病に為す術もなく倒れ、ある者は奴隷として買われ、ある者は娼婦や男娼に堕ちた。

 むらくも族の末裔が誇りと物作りの技術を失いながら離散していく中で、あさぎり国に逃れた氏族だけは、己がむらくも族であることを保っている。
「ですから、ぼくたちは、あさぎり国の王室に忠誠を誓っているんです」

 頬に浮かべた皮肉を静かに緩めて、ふぶきは言った。ゆめさきには、むらくも族の信頼が心苦しい。

「誤解してるわ。あさぎり国も、むらくも族の平原の利権を得ようとした過去があるの。六十年くらい前まで、この北の山並の向こうに、あさぎり国の植民地があった。そこから平原に兵を進めて隣国と戦って、むらくも族を捕虜にして植民地で働かせていた」

「姫、だからこそ、むらくも族はあさぎり国を信用しているんです」
「どういう意味? あさぎり国は、むらくも族を虐げていたのよ。今でこそ、むらくも族の作る細工物を大切にしているけれど、昔はそうじゃなかった。たくさんの作品や貴重な道具を焼き捨てたって聞いてる」

 ふぶきは、そっと微笑んだ。ゆめさきのルビーの瞳に、痛みを秘めた冷静な青いまなざしが映り込む。

「三十年前、あさぎり国王陛下は『我らはかつての罪を悔いている、受け入れてもらえなくても謝りたい』とおっしゃったそうです」
「おじいさまが? むらくも族の亡命を受け入れた、そのときに?」

「はい。玉座から立って、当時の氏族長だったぼくの曽祖父の手を取って、ひざまずいた同じ目の高さで、申し訳なかったと謝られた。今の国王陛下もそう。同じお気持ちで、むらくも族に接してくださっています。姫もそうでしょう?」

 あさぎり国において、むらくも族は特別だ。客として遇していると言ってもいい場面もある。古くからの貴族の中には、むらくも族を妬む者さえいる。
「思惑があるのよ。善意がすべてではないの」

 あさぎり国の王室は自分らの罪悪を帳消しにしたいがために、ふぶきの氏族の亡命を歓迎した。しかし、すべてのむらくも族を救うことなど到底できない。新たな亡命者が現れれば、いずれ軋轢も増すだろう。
 綺麗なばかりの政など、この世には存在しない。政情の安定したあさぎり国とて、すべてがうまく回っているわけではなく、平和な見掛けの下には今も火種がくすぶっている。