王都から北へ二つ目の宿場町で、ゆめさきは男物の服をやめ、女物の乗馬服に着替えた。この町でお針子をする年上の友達、わかばが仕立ててくれたものだ。

「次に王都に行くとき、姫さまに差し上げようと思ってたんですよ。あたしゃ、姫さまのご結婚が嬉しくてね、何かお祝いをしたくって。でも、ドレスを縫ったって、姫さまはあんまり喜ばないでしょう?」
「ドレスは動きにくくて苦手なの。その点、わかばが作ってくれた乗馬服はいいわ。動きやすい上に、こっそりフリルやリボンが付いていて、ほかの誰が着てる服とも違う。素敵よ。ありがとう、わかば」

 ふぶきは、むらくも族の伝統装束しか身に付けない。時計塔を出てくるとき、わずかな時間で旅支度をしたのだが、恐ろしく小さくまとめ上げた荷物の中からチュニックも帯も下着も何でも出てくるのを見て、きらぼしが驚愕した。

 みつるぎ国の二人はろくに旅装を整えていなかったから、わかばが住む宿場町であれこれと揃えることとなった。もともと見目のよい二人には、あさぎり国の装束も似合った。しかし、襟元まで留めたボタンをつまみながら、きらぼしは渋い顔をした。

「窮屈だ。布が体にまとわり付くみてぇで、何かイヤだな」
 きらぼしは早速、行儀悪くシャツを着崩した。ネクタイや上着は、むろん購入していない。一瞬だけ試着して、すぐに放り出してしまった。

 もちづきは正反対で、着付けられたとおりにおとなしく、慣れない服を身にまとっていた。ため息をついて、きらぼしをたしなめもした。
「あさぎり国の装束にも慣れたほうがよいぞ、きらぼし。私たちは、あさぎり国で生きていくことになるのだ」

 小声でささやかれたその言葉を、ゆめさきとふぶきも聞いていた。ふぶきは眉をすがめたが、言葉の真意を問おうとはしなかった。
 ゆめさきは、どこか後ろめたいような気持ちになった。結婚すれば、ゆめさきの生活が変わる以上に、みつるぎ国から婿入りする皇子やその側近たちの生活が大きく変わる。彼らに多くの無理を強いることになるかもしれないと、ゆめさきは改めて気が付いた。

 その後の旅程は順調だった。宮廷からの追手も来なければ、人さらいの悪党たちによる追撃もなく、暗殺者を名乗った少年の姿も見掛けない。予定どおり六日目の昼過ぎに、ゆめさきたちは、ひよどり村に到着した。
 ふぶきがゼンマイ仕掛けの伝書鳩を飛ばし、ひよどり村に住む祖父母にゆめさきたちの来訪を告げてあった。鄙びた村の住人たちは心のこもった料理を準備して、ゆめさきたちを迎えてくれた。

 ひよどり村は、むらくも族が集住し、天然石と木彫りの装飾品を名産とすることで知られるが、その実、住民の半数がむらくも族ではない。
 三十年前、故国を追われたむらくも族があさぎり国内に移住先を求めたとき、滅びを待つばかりだった山間の小さな集落、ひよどり村が名乗りを上げた。以来、二つの民族は協力し合って、静かな暮らしを営んでいる。

 心づくしの昼食を取った後、ふぶきは墓参だけを済ませて早々に村を立ち去ることを提案した。なぜと問うゆめさきを伴い、ふぶきは、村の裏手にある急斜面を登った。ここにひよどり村の墓地がある。

「姫には、ひよどり村の由来を話したことがありましたよね。むらくも族の移住よりもずっと古い時代、ひよどり村が『双子の要塞』の片割れだったこと」
「ええ。北の山並を越えてあさぎり国に入ろうとすれば、ひよどり村か崖を挟んで対岸か、そのどちらかを必ず通ることになる。双子の要塞は、国境侵入者を阻んでいたのよね。でも、今は北の国々共和平が成立して、東回りの街道が整備されているわ」

「国境線自体がやや北上し、この地点の軍事的価値もなくなりましたしね。双子のもう片方、崖の対岸にあったはずの集落は、すでに滅びました。あちらは、ひよどり村よりもさらに険しい土地柄で、畑作ができないんです」

 件の対岸を指差しながら、ふぶきが言った。ゆめさきは目をすがめた。半ばは版築の土壁、半ばは積み上げた石壁で、対岸の砦は造られている。向こうへ渡る手段はないようだ。橋は落ち、橋脚の一部だけがわずかに残っている。

「人が住めない場所なのね。軍事のためだけに造られた砦、兵士が住むためだけだった場所。だから、戦が終わった今は、ああして打ち捨てられている」
「あの砦の名前が、はやぶさです。きよみず姫が予知夢で聞いたという、はやぶさ砦。それを望む山がちの墓地というのは、まさしく、ここでしょうね。むらくも族の墓地は、ひよどり村でも最も眺めのいい場所にありますから」

 ふぶきは不機嫌そうなため息をついた。
 墓地といっても、ゆめさきが知るものとは違う。墓石はない。あるのは、天然石と香木で精巧に造られた、人の背丈よりも小さな「死者の神殿」だ。
 丸みを帯びた形の屋根も、青く色付けられたタイルの意匠も、ゆめさきにとっては何もかもが異国的で物珍しい。神秘的で、かすかな畏怖をもたらしもする。

 ふぶきは、むらくも族の墓の前にひざまずき、頭を垂れた。ゆめさきも引き込まれるように、土に膝を突いて両手の指を組み合わせ、お邪魔しています、と胸に念じた。あらしもペタリと体を伏せ、うなずくように頭を下げる。

「ふぶき、このお墓にはご親戚が眠っているの?」
「いえ、ここには、あさぎり国で死んだ一族のすべての者の魂が祀られています。この土の下に遺体は埋まってないんですよ。理解しがたいかもしれませんけど、むらくも族は、肉体の埋葬地と魂の墓地が別々なんです」

 むらくも族は、故国にあったころから流浪の民だった。一ヶ所に定住するには、故国はあまりに乾燥し、不毛だったのだ。むらくも族は遊牧の傍ら、工芸と商売で生計を立てながら、季節ごとに各地を転々としていた。
 旅のさなかに人が死ねば、その体は、旅先の土の下に葬られる。魂は、氏族発祥の地に置かれた死者の神殿に、永久に住まう。むらくも族にとって、旅の終わりと定住は、人生の終わりと死者の神殿を意味するのだ。

「それじゃあ、あさぎり国に住んでるむらくも族はみんな、亡くなったら、魂の姿になってここに来るのね。旅先で亡くなるときと同じように」
「同じように、ではなくて、同じです。旅先なんです。むらくも族は今も、あさぎり国での棲家を仮の宿と呼んでるんですよ。そうしないと、むらくも族である自分の誇りや能力、生きる意味を失ってしまうから」

 ふぶきは、編んだ銀髪を肩越しに払い、立ち上がって膝の土を払った。帽子や帯、チュニックの裾を縁取る精緻な刺繍が、傾きかけた午後の日差しを浴びてきらめく。

「だから、ふぶきたちは、あさぎり国の服を滅多に着ないのね」
「ええ。きらぼしさんたちが人里に入るときは必ず故国の服を着たがる気持ち、ぼくにはよくわかりますよ」
「でもね、ふぶき。王都や宿場町は異国の人が滞在することもあるから、むらくも族やみつるぎ国の服も少し目立つくらいで済むけど、そうじゃない町や村もあるの。差別や奇異の目を向けられるかもしれない」

 振り返ったふぶきの青い目は冷ややかで、どこか尖ってもいた。

「差別や奇異が何だと言うんですか? むらくも族があさぎり国に完全に溶け込んで、機巧師としての自覚を手放す日が来たら、世界は大きな損害を被ります。むらくも族の技術と伝統は、代わりの利かない至宝です。失われてはならない」
「そう……それは、確かに、そのとおりだわ」
「みつるぎ国のお二人も、ぼくと同じ気持ちでしょうね。対立するわけでも反発するわけでもないけれど、捨てられない矜持というものがあるんですよ。彼らは、むらくも族の服なら、気に入って着てくれるかもしれません」

 ボタンのない前合わせの上着を帯で留める服の形が少し似ているから、という意味ではないだろう。あさぎり国において異質な少数派であると自認する者同士、通じ合うものがある。そういう意味だ。