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 フェアウェルパーティーは楽しかった。ケリーとブレットは、息の合ったダンスを披露してくれた。二人とも体操の習っているから身のこなしが機敏で、本当にみごとだった。
 わたしと竜也の歌もうまくいった。ブランクのあったギターは完璧とは言えなくて、それが悔しくはあった。高校を卒業したら練習しよう。また弾いて歌えるようになろう。

 フェアウェルパーティーの翌日は、朝早くから空港に向かわなければならない。パーティーが引けて家に帰った後、夜眠るのが惜しくて、わたしたち四人はケリーの部屋に集まって、ずっとボードゲームをして遊んだ。
 別れ際、バスに乗る直前、ケリーがギュッとわたしに抱き付いてきた。涙交じりにいくつもの優しい言葉をつぶやいてくれながら。

 わたしはうまく応えることができなかった。伝えたい思いはあった。話したいという気持ちがあった。でも英語が出てこなかった。ケリーをぎゅっと抱きしめ返すことしかできず、黙って唇を噛んだ。
 英語を話せるようになりたい。英語のテストの点数をよくするんじゃなくて、話し言葉としての英語を身に付けたい。

 ついに出発してしまったバスの中で、グスグスと鼻をすすり上げる中学生たちも、わたしがいだいた思いと同じことを言った。英語をしゃべれるようになりたい、と。
 空港に着いて、一つひとつが時間のかかる手続きを何度も経ながら、やがて飛行機に乗り込んだ。来たときの便と同じで、クーラーがよく効いていた。

 わたしは薄手のパーカーをリュックサックから出して羽織った。これはミネソタで買ったものだ。ケリーが選んでくれた。白地で、さりげない位置にい花が描かれている。フードに通してある紐の末端に、青い大きなビーズが留められている。

 日本に着いたら、ケリーとブレットに手紙を書こう。いつかまたミネソタを訪れよう。
 いつかって、いつになるんだろう? わたしはそれまで生きていられるだろうか。
 生きて、もう一度ケリーとブレットに会いたい。もっと上手にケリーをダイアモンドと呼んで、二人で話をしたい。そのときは、今よりも英語の話せる自分になっていたい。

 ああしたい、こうしたい。ミネソタにいる間、やりたいことがたくさん見えた。壊れてしまったと思っていたわたしの胸の奥には、まだ希望が残っていた。熱をともす力があった。感情は死なずにいてくれて、動いてほしいときにちゃんと機能した。

 だって、わたしが生きていい世界は、学校という小さな鳥かごだけじゃないんだ。わたしはそこから飛び立っていい。遠くへ行って冒険したっていいんだ。
 ミネソタで過ごしたのは、夏の三週間だった。ケリーにもらったサファイアという名前の、その青い輝きのようにキラキラとした三週間だった。
 ねえ、ケリー。わたしのダイヤモンド。いつかまた必ず会おう。そのときわたしは、この夏には話せなかったことをたくさん話すよ。

 十四時間のフライトでは結局、一睡もしなかった。考えごとをして眠れなかった時間もあったし、寝ている子をインスタントカメラに収めるといういたずらにも加わった。お互い手紙を出そうと言って、住所を教えあった。そんなことをしていたら、あっという間だった。

 最後に空港で、竜也と握手をして別れた。
「写真もいっぱいあるし、手紙、絶対出しますね」

 飛行機の中で、初めて竜也とちゃんとしゃべった。竜也は、中学まではサッカー部だったそうだ。高校では何となく弓道部に入ったそうだ。
 わたしは、幽霊部員気味だけれども文芸部であることを教えた。今回のホームステイのことも小説にしたいと口にしたら、竜也はそれを読みたいと言った。それで、次号の文芸部誌を一冊、竜也のところにも送る約束をした。

 家に帰り着くと、強烈な時差ボケで丸一日眠った。
 眠りは浅かったようだ。長い長い夢を見た。ミネソタでの思い出をなぞるように、森と湖と芝生と教会と学校が順繰りに現れる夢だった。わたしはギターを弾いたり買い物に出たりした。ケリーがいて、ブレットがいて、竜也がいて、みんな笑顔だった。

 目が覚めたら一人ぼっちで、わたしは呆然とした。寂しいっていうのは、きっとこの気持ちのことだ。
 寂しさに気付かなければよかったとは、わたしは思わなかった。寂しいと感じることは、苦しいことだ。でも、これは未来につながる寂しさだ。

 もう一度ミネソタに行くまでは、ちゃんと英語を使ってケリーたちと話をするまでは、わたしは死ねない。生きていてやる。ちょっとだけでもいいから、今よりもカッコいい自分になってやる。

 いつの間にか流れていた涙を拭いながら、わたしは高校に進学してから初めて、ちゃんと前を向いた。わたしは、二学期が始まってすぐに提出する進路調査票の第一志望校の欄に「響告大学文学部」と書いた。
 挑戦してやる。こんなところでリタイヤするもんか。負けるもんか。