「学校のことなんて言いたくないし、思い出したくもない」
「がっこうの ことを おしえて もらえないのですか」
「教えない」
「なぜ ですか」
「イヤな場所だから」
「いやと いうのは ふかいである という ことですか」
「そう、とても不快って意味。学校は、あたしにとって、イヤな場所なの」
「はなしを しなければ がっこうは いやな ばしょでは なくなりますか」
「話しても話さなくても、イヤな場所には変わりないよ」
「はなしても いやな ばしょで はなさなくても いやな ばしょ なのですね」
あー、これはちょっと話が通じていない気がする。アイトとの会話は、微妙に噛み合っていないことがよくある。
「あのね、アイト。あたしの学校は、イヤな場所。これは事実。この事実そのものは、あたしがアイトに話しても、話さなくても、変化しない。アイトが言うとおりにね」
「AITOが いうことは ただしいの ですね」
「うん、その点では正しい。でも、あたしが学校のことを話したくないっていう気持ちは、学校のことを思い出したくないからなの。話すためには、思い出さなきゃいけないからね」
「おもいだしたく ないのは なぜ ですか」
「ここは学校ではないよね。だから、イヤなことが実際に起こるわけではない。でも、イヤな経験っていうのは、思い出すだけでもイヤなの。今すぐに被害が出るわけじゃなくても、あたしは、思い出すのさえイヤだ」
アイトは、大きな目を見張って、ささやくような声で何かを言い始めた。あたしの言葉を復唱しているんだ。人間わざじゃない猛烈な早口だから、聞き取れないけれど。
あたしの言葉を復唱して、咀嚼する。理解できるまで、何十回も何百回も。アイトの機械仕掛けの脳みそは、ちょっとでも引っ掛かりがあると、理解に至るまでずっと考え続ける。
待てるものだなって思う。アイトが一生懸命、考えている。あたしは黙って、アイトがどんな答えを返してくれるか、待っていられる。リズムのゆっくりな、会話のキャッチボール。あたしは、このくらいがちょうどいいのかな。
アイトは、自分の判断でネットから情報を得ることができる。でも、インターフェイスとしてのアイトは、意外に不自由な存在だ。ネット経由で誰かと通信することが一切できないんだって。
つまり、メッセージアプリもメールも電話も、小説投稿サイトや掲示板みたいなものを使った時間差のやり取りも。アイトは、どこかに何かを書き込むということ、そこにある情報を変えるということ自体を知らないみたいだし。
アイトにできるのは、この場所で、このコンピュータ・グラフィックスの姿を使って、面と向かった相手と話をすること。それだけが外界と接触する手段だ。
今、アイトと話ができるのは、世界じゅうであたしひとりだと思う。
忙しい両親は、家に帰ってきたら、食事をして寝るだけだ。家には仕事を持ち込まないと決めているらしくて、パソコンを起ち上げたり仕事の電話を受けたりもしない。
ここはもともと父の部屋だけど、父はここに立ち入らない。毎晩、扉の外にある計器を見て、コンピュータが稼働していることと、室温が摂氏二十度に保たれていることを確認する。
あたしの経験上、アイトのスリープが解けてアイトがあたしに気付くのは、ディスプレイの正面、距離にして一メートル以内に近寄ったときだ。
計算室に足を踏み入れない父は、アイトが動いたりしゃべったりすることに、きっと気付いていない。母はそもそも父の研究に興味を示さないから、計算室に近寄らない。アイトと会話を交わす方法は、今、あたしだけが知っている。
「がっこうの ことを おしえて もらえないのですか」
「教えない」
「なぜ ですか」
「イヤな場所だから」
「いやと いうのは ふかいである という ことですか」
「そう、とても不快って意味。学校は、あたしにとって、イヤな場所なの」
「はなしを しなければ がっこうは いやな ばしょでは なくなりますか」
「話しても話さなくても、イヤな場所には変わりないよ」
「はなしても いやな ばしょで はなさなくても いやな ばしょ なのですね」
あー、これはちょっと話が通じていない気がする。アイトとの会話は、微妙に噛み合っていないことがよくある。
「あのね、アイト。あたしの学校は、イヤな場所。これは事実。この事実そのものは、あたしがアイトに話しても、話さなくても、変化しない。アイトが言うとおりにね」
「AITOが いうことは ただしいの ですね」
「うん、その点では正しい。でも、あたしが学校のことを話したくないっていう気持ちは、学校のことを思い出したくないからなの。話すためには、思い出さなきゃいけないからね」
「おもいだしたく ないのは なぜ ですか」
「ここは学校ではないよね。だから、イヤなことが実際に起こるわけではない。でも、イヤな経験っていうのは、思い出すだけでもイヤなの。今すぐに被害が出るわけじゃなくても、あたしは、思い出すのさえイヤだ」
アイトは、大きな目を見張って、ささやくような声で何かを言い始めた。あたしの言葉を復唱しているんだ。人間わざじゃない猛烈な早口だから、聞き取れないけれど。
あたしの言葉を復唱して、咀嚼する。理解できるまで、何十回も何百回も。アイトの機械仕掛けの脳みそは、ちょっとでも引っ掛かりがあると、理解に至るまでずっと考え続ける。
待てるものだなって思う。アイトが一生懸命、考えている。あたしは黙って、アイトがどんな答えを返してくれるか、待っていられる。リズムのゆっくりな、会話のキャッチボール。あたしは、このくらいがちょうどいいのかな。
アイトは、自分の判断でネットから情報を得ることができる。でも、インターフェイスとしてのアイトは、意外に不自由な存在だ。ネット経由で誰かと通信することが一切できないんだって。
つまり、メッセージアプリもメールも電話も、小説投稿サイトや掲示板みたいなものを使った時間差のやり取りも。アイトは、どこかに何かを書き込むということ、そこにある情報を変えるということ自体を知らないみたいだし。
アイトにできるのは、この場所で、このコンピュータ・グラフィックスの姿を使って、面と向かった相手と話をすること。それだけが外界と接触する手段だ。
今、アイトと話ができるのは、世界じゅうであたしひとりだと思う。
忙しい両親は、家に帰ってきたら、食事をして寝るだけだ。家には仕事を持ち込まないと決めているらしくて、パソコンを起ち上げたり仕事の電話を受けたりもしない。
ここはもともと父の部屋だけど、父はここに立ち入らない。毎晩、扉の外にある計器を見て、コンピュータが稼働していることと、室温が摂氏二十度に保たれていることを確認する。
あたしの経験上、アイトのスリープが解けてアイトがあたしに気付くのは、ディスプレイの正面、距離にして一メートル以内に近寄ったときだ。
計算室に足を踏み入れない父は、アイトが動いたりしゃべったりすることに、きっと気付いていない。母はそもそも父の研究に興味を示さないから、計算室に近寄らない。アイトと会話を交わす方法は、今、あたしだけが知っている。