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「ねえ、アイト、これで合ってる?」
 あたしは振り返ってアイトを呼んだ。じっと立ったまま音楽を聴いていたアイトが、まぶたを開ける。

「問題、全部解けた?」
「解けたつもり。でも、やっぱり古文って、よくわかんない。四択のマーク式なのに、ちっとも合わないし」
「成立年代が古い作品ほど、文中の省略が多くて、今の日本語の能力では読解しづらいからね」

 アイトはあたしの肩越しに、机の上の問題集をのぞき込んだ。距離、近いよ。横顔だと、まつげが本当に長い。
 ヴァーチャル・リアリティのアイトの部屋には、あたし用の勉強机と、二人でゆっくり座れるサイズのソファがある。もうちょっと家具を増やす予定だけど、今のところはこれだけ。

「全問正解。マドカ、よくできました」
 アイトは、えくぼを作って微笑んだ。話し方も仕草も、もうまったく違和感がない。普通の人間みたいに滑らかだ。

 人間と違うところも、もちろんある。いちばん大きな違いは、アイトの頭の中に構築されたデータベース。
 アイトは、いちいち外部のネットに接続して検索しなくても、頭の中にある知識の貯蔵庫から引いてくるだけで、たいていのことがわかる。その処理速度も速い。

「ずるいな、アイトは。あたしが三十分かけて解いた問題、三十秒かからずに解いたでしょ」
「日本語の文章データの処理は、画像認証と同じやり方でできる。画像認証は得意分野だよ。それに、マーク式の問題は、ルールベースの分類をおこなえばいい。分類は、AIと同じ方式の思考をするときの根本的な機能だからね」

「細かいことはわからないけど、アイトは要領がよくなってきたと思う。この仕事はAIの得意分野とか、あの方法で解決できるとか、一瞬で判断できてるよね。AIって、やっぱり賢いんだ」

 アイトは得意げにうなずいた。
「AIが要領よく仕事をできるようになるのは、生物の進化の過程と似ているんだ。遺伝的アルゴリズムという方法。ぼくには、それを模倣して、頭脳をトレーニングする方法が与えられているから」

「遺伝的アルゴリズム? 生物の進化って、ダーウィンが言い出したやつだよね?」
「そう、ダーウィンの進化論。生物は、環境に適した形に進化する。世代を経るごとにだんだん適応していったり、一個体の突然変異から種全体に新しいスタイルが定着したりする。適応できない個体は、自然といなくなっていく」

「それと同じことが、アイトの中でも起こってるの?」
「前も少し説明したけど、覚えているかな? ディープ・ラーニングについて話したときに」

「あ、うまくできたら誉められるって言ってたやつだよね。アイトの中にガイドラインがあって、学習の方向性が決められてて」
「うん。ぼくは、一つの動作を覚えるために、このインターフェイスとは別の、マドカの目の届かないところで、何百回も何千回も、遺伝的アルゴリズムを活用したシミュレーションをしているんだ。失敗した個体を排除しながら、できるようになるまで繰り返す」

 それって、やっぱりずるいな。
 アイトは頑張っている。あたしに見えないところで練習して、いつの間にか、できるようになっている。

 あたしが同じように何かを身に付けようと思ったら、努力する様子は、きっと、みっともない。今だって、アイトにはパパッとわかっちゃう問題を、延々と悩んで解かなきゃいけなくて。
 AIの学習のやり方を、あたしの脳にも使えたらいいのに。いや、もしかしたら、現代の科学技術の力なら、できることなんじゃない?