「ナサニエル、知り合いか? 友達?」
 小柄な男の人が、実はナサニエルさんのそばにいた。ごめんなさい、声を聞くまで存在に気付きませんでした。

 ナサニエルさんは肩をすくめた。ぐるっと回してみせた表情豊かな目が、廊下の薄暗さの中でも、冴え冴えと輝いている。
「彼女はマドカといって、おれのガールフレンドの生徒だよ。マドカは一ノ瀬教授の娘なんだ」
「ああ、授業中に先生が言ってた、デジタル・ネイティヴの」

「マドカ、彼は金出《かなで》。工学部の大学院生で、おれと同じく一ノ瀬教授の少人数授業を受けてる」
「初めまして、マドカさん。話はしょっちゅう一ノ瀬教授から聞いてるから、初めましての感じがしないな。おれ、画像認識の研究をしてるんだ。一ノ瀬教授の弟子の一人だよ。研究室は、ここのすぐ上にある」

 金出さんは丸顔を屈託なく笑わせて、気さくなしゃべり方をする。
 変な人だ。妖精、気にならないの? あたしは、こんなに普通に初対面のあいさつをされることはまずないから、頭が真っ白になってしまった。

 ニーナもあたしと同じで、白っぽくなって固まって、すとんと落っこちた。床にぶつかる寸前で、ダバが回収する。
 ナサニエルさんは、ダバからニーナを受け取って、ふっと笑った。

「緊張するな、マドカ。金出は妖精くらいじゃ驚かない。金出だけじゃない。この大学には、こういうやつがけっこういる」
「こういうやつ?」
「没頭できる研究対象を持ってる。それ以外に関しては、ほとんど無頓着だ。金出はコーラル・レインにも遊びに来るよ。な?」
「おう、ユキさんかわいいし」
「Cut the crap、ユキがかわいいのは事実だが、いちいちふざけるな」

 金出さんは、ナサニエルさんの手からニーナをすくい上げた。ニーナがびくっとして、飛ぼうとしつつも失敗して落ちてくる。
「手ざわりいいよな、妖精って。実体がないのに、あるんだよな。こいつ、脳のニューラルネットと直接交信してるんだろ? いやぁ、人間の脳って、わけわからねえ」
 わからないと言いつつ、金出さんは笑っている。怖がりも嫌がりもしない。やっぱり変な人だ。

「ところで、マドカ、どうしてここにいる?」
 ナサニエルさんが、最初と同じ質問をした。まずい。まさかこの広いキャンパスでナサニエルさんと会うとは、想像もしていなかった。

「ナ、ナサニエルさんこそ、文学部なのに、どうして……この建物、工学部ですよね?」
「ああ、工学部だよ。この地下の食堂に来てたんだ。文学部のそばにある食堂より、こっちのほうがうまいからな」
 ナサニエルさんは、だて眼鏡を外して、白いシャツの襟に引っ掛けた。そんな仕草に目を奪われながら、あたしは必死の言い訳を口にする。

「あ、あたしは用事があって、父の研究室に行きたいんだけど、このドアが閉まってて、それで」
「なるほど。一ノ瀬教授、また同じミスをしたのか」
「え? 同じミス?」
「この間の授業、おれたちを研究室に呼んでおきながら、このドアがロックされていることを忘れていた。金出がいたから入れたけど、いなかったら、全員、授業を受けられなかった」

 金出さんの手から、ニーナがぴょんと飛び上がった。ニーナの動きを目で追った金出さんは、あたしに笑顔を向けた。

「言ったろ? おれの研究室、ここの上だからさ、おれの学生証のICで、このドアのロックが解除できるわけ。一ノ瀬教授の部屋に行くなら、おれが開けてあげられるけど?」
「開けてください、お願いします!」

 あたしは勢いよく頭を下げた。渡りに船って、まさにこのことだ。