第一、小神はいかにも有能そうな人間だから最初から副委員長などつける必要はないのである。

 慣例や規則なんて無視して、臨機応変に委員を進めた方がよほど仕事の為なんじゃないだろうかとまで思えてくる。

「私の方から提案があるのですが」

 教室で長い長い沈黙の時間が今まさに始まろうとしたその時、委員長となった小神その人が口を開いた。ここで再び、委員たちはこう思ったはずだ。

――どうしてこの人は男子なのに、それもまだ高校生で、社会に出ているはずではないのに、一人称が「私」なのだろうか?

 そんな疑問を抱いてしまうのは実に自然で、致し方ないことだとわたしは思う。

 実際、初めて小神が「私」という言葉を使ったとき、わたしは実にいらいらしたものだ。

 でも後になって考えれば、それは個性の問題でしかない。
 誰がどんな一人称を使おうと、それは個人の自由でしかないのである。

 しかしそんな風に考えるには、我々高校生はまだほんの少し子どもだった。