トーリャは織物を奥に寄せると、燭台を置き、手前にいたユンジェを抱擁した。
「ずっと、心配していたんだよ。あの大火の中、よく生き残れたねぇ」
「おばさんこそ。まさか織ノ町にいると思わなかったよ……家は」
「焼かれちまったよ。突然だった。兵士が来たと思ったら、ピンイン王子を匿っただのなんだの言われて。でも家族はみんな無事さ。知り合いの多くは死んじまったけどねぇ」
謀反人扱いされたのだと苦笑するトーリャに、ユンジェは言葉を失ってしまう。
ぎこちなく視線を投げれば、青ざめているティエンが握りこぶしを作っていた。
あの大火事件は彼のせいではない。けれど、要因は彼にある。
罪悪感に襲われているティエンに、掛ける言葉が見つからない。どんな言葉を投げたところで、慰めにはならないだろう。
すると。トーリャがティエンに近寄り、そっと両肩に手を置いた。
「ティエン。お前さんも無事で良かった」
彼は声が出ないのか、青い顔のまま首を横に振った。気持ちが受け取れないのだろう。そんなティエンに微笑し、トーリャはそっと尋ねる。
「ピンイン王子ってのは、お前さんのことなんだろう?」
彼女はティエンの正体に気付いていた。
曰く、町で騒ぎになっていた時、たまたまピンイン王子の容姿を耳にしたという。
女のように美しい男、などティエンしかいない。正体に気付いたトーリャは大きな感情を抱いた。それは今も変わらない、ひとつの感情。
「ずっと、ずっと、あんたを心配していたんだ。ティエン、ユンジェと一緒によく生きていてくれたねぇ」
ティエンは驚愕していた。
彼女から恨まれる覚えはあっても、心配される覚えなどない。
なのに、トーリャはティエンを心配していたと言う。生きていて嬉しいと言う。
彼は声を振り絞るように、なぜ、と問うた。
自分のせいで家も仕事も故郷も奪ったのに、なぜ、と問いを重ねる。呪われた王子であることや、王族であることを話しても、トーリャの表情は変わらない。
ただただ、笑って頷くばかり。
「お前さん、しゃべれるようになったんだね。良かった」
責め立てる代わりに、トーリャは喜ぶ。口が利けるようになったのなら、今度こそ親しくなれそうだ、と彼女はおどけた。
「農民の私には、王族とか、呪いとか、難しい話はよく分からないけれど。あんた自身のことは知っているよ。ティエン、あんたはいつも仕事に一生懸命な男さ。人見知りは強いけれど、ユンジェの仕事をよく手伝っていた。ユンジェと仲良くもしていた。私はそんなお前さんの姿を知っている」
トーリャにはピンイン王子が、どのような悪人で、なぜ兵達に追われているかなど分からない。
それでも、己の目で見たピンイン王子とやら、人見知りで、仕事に熱意があって、ユンジェと家族のように親しくしていた。
微笑ましいところを何度も目にしているトーリャだからこそ、ティエンに強く言えるのだ。お前さんが生きていて嬉しい、と。
「頭の良いユンジェが、お前さんを傍に置くんだ。ティエンが悪人だとは、私には到底思えないねぇ。あの大火事件が、お前さんを苦しめているようだけど、あれは火を放った兵達のせいさ。あんたがしたわけじゃない。もし、あんたのせいだとしても、私はティエンを責めやしないよ」
ああでも、じつは言いたいことがひとつだけある。
トーリャはティエンの横っ腹を軽く叩き、「あんた。細すぎるよ。女みたいじゃないか」と、大笑いした。
「もっと食べて、太くなりなさい。あたしの方が強そうに見えるよっ!」
ティエンは震える唇を噛みしめる。我慢ができなくなったのだろう。なりふり構わず、自分からトーリャと抱擁を交わし、肩口に顔を埋めた。
そんな彼の背中を叩き、トーリャは子どものようにあやす。
「良かったよ。あんたとユンジェが生きてくれて、本当に良かった」
顔を上げたティエンが、上擦った声で返した。
「私もです。トーリャ、わたしもっ、貴方が無事で嬉しい。とても、とてもっ」
「美人さんに言われると、なんだか照れるねぇ」
見守っていたユンジェの方が、なんだか泣きたい気持ちに駆られた。
ティエンにとって初めて、ユンジェ以外の人間に心配を寄せられ、生きていることを喜ばれたのだ。
彼は救われる想いを噛み締めていることだろう。溢れんばかりの幸せを胸に秘めていることだろう。声を上げて泣きたいほど嬉しいことだろう。
でも、これはティエン自身の行いが引き寄せた結果でもあるのだ。
生まれながらに呪いを謳われていた彼が、ユンジェと暮らす一年を誠実に生きていたからこそ、トーリャは彼の身を真摯に心配していたと言える。
(ティエン。トーリャはお前自身を認めているんだぜ。呪われた王子じゃなくて、お前自身を……良かったな。『ピンイン王子』は死を望まれていても、『ティエン』はそうじゃないって証明されたんだ。本当に良かったな)
トーリャに心開いた彼は額を重ねてくる彼女に甘え、慰められていた。嬉しそうに泣き笑いを浮かべ、いつまでも慰められていた。