麟ノ国十瑞将軍グンヘイの屋敷は、こぢんまりとした静かな里には不似合いな、豪華な屋敷の造りをしている。

 王族の住まう宮殿に見劣るとはいえ、そこは大層立派なもので、外壁の石は均等な物で積まれ、それには蓮の花や麒麟の彫刻が彫られていた。
 屋根には石の像が、建物を支える柱は美しい朱色をしており、常に塗り替えられているのか、一切色褪せておらず、艶やかであった。

 細かい花の装飾を施された提灯(ランタン)は、より屋敷を絢爛豪華に魅せる。

 そんな将軍グンヘイの屋敷は、慌ただしい空気に満ち溢れていた。兵も従者も侍女も、息をつく間もなく走り回っている。

 それもそのはず。
 グンヘイの屋敷に青州の地を治めている麟ノ国第二王子セイウと、そのお供らが屋敷に到着したのだから。


「我が君、麟ノ国第二王子セイウさま。よくいらっしゃいました。こちらです」


 恭しく頭を下げる将軍グンヘイの案内の下、平伏する兵や従者、侍女らの列の真ん中をセイウ王子らは歩く。

 美しい顔立ちをしたセイウの傍には、忠誠を誓う近衛兵達、その中に麒麟の使いと呼ばれる子どもの姿が見受けられた。子どもは近衛兵チャオヤンの腕の中で、静かに寝息を立てている。

 先導するグンヘイは背後を一瞥した。きめ細かな絹の衣を纏うセイウとは対照的に、粗い目の麻衣を纏った麒麟の使いは、王子の所有物とは思えないほど薄汚れている。

 今なら盗めるやもしれない。
 良い口実を見つけたグンヘイは足を止めて、深くセイウに頭を下げた。

「セイウさま。懐剣の子どもは、我が兵が責を持ってお預かりしましょう。貴殿の大切な兵の御手を汚させるわけにはいきません」

 間髪容れずにセイウは返事した。

「将軍グンヘイ。その心遣いには感謝いたします。しかし、貴殿といえど、リーミンを預けるにはいきません。これは国に一つしかない麒麟の懐剣。私は片時も手放したくないのです」

 グンヘイが薄汚れていることを指摘すると、すぐに湯殿へ入らせるとのこと。それすらも、セイウは己の兵に任せるというのだから、心中で舌を鳴らしたくなった。

 噂通り、セイウは懐剣の子どもに執着している。一筋縄ではいかないようだ。

 まったく、厚意に安い感謝を示すくらいなら、さっさと預けてくれたら良いものを。盗む手より、奪い取る手を考えた方が良いやもしれない。


 物騒なことを思っていると、それまで深い眠りに就いていた子どもが、弾かれたように目を覚ます。

         
「リーミンっ!」


 チャオヤンの腕から飛び出した子どもは、彼の制止を振り切って懐剣を引き抜くと、迷わずグンヘイに刃を向けた。
 文字通り、子どもはグンヘイを斬り捨てる勢いであった。冷たい目をしていた。

「お待ちなさい。リーミン」

 一切の身動きが取れないグンヘイの代わりに、セイウが一声掛ける。その声には興奮と愉しさが宿っていた。
 グンヘイの鼻先で懐剣を寸止めした子どもは、少々戸惑ったようにセイウを見上げる。

「リーミン、懐剣を鞘に収めなさい。それは斬ってはなりません」

「斬ってはいけない?」

 それはどうして? 子どもは目で訴える。


「お前が賜ったお役について理解はしていますが、いまグンヘイを斬れば、大層なことになります。主の私を困らせるのは、お前も本意ではないでしょう? さあ、かわいい私の懐剣。このセイウの言葉を受け止めたのなら、鞘に収めなさい」


 すると。あれほど、獰猛な構えをしていた子どもが、素直に懐剣を収めた。

 息を吹き返すように、冷たい目に光が宿ると、子どもは緊張の糸が切れたように小さな欠伸を零し始める、それはどこか人間らしい姿であった。


(なんだ、こいつは)


 未だに動けないグンヘイは、目の前の子どもを観察する他ない。

 懐剣を抜いた時の子どもは、まこと人間に似つかわない姿をしていた。眠っていたにも関わらず、まるで鉄砲玉のような速さでグンヘイの懐に潜り込んでくる、その姿は正直、人間とは思えないもの。

(腕っぷしのある兵士でも、あれほど素早くは動けまい。このガキは化け物か)

 忘れかけていた呼吸を取り戻すと、セイウが上機嫌に口角を持ち上げる。

「申し訳ありません、将軍グンヘイ。リーミンは、(あるじ)の私に悪意や敵意を向ける者が現れると、お役を果たすべく、それを斬り捨てるもので」

 だから。お気をつけなさい。お前の肚の底に潜んでいる目論見はすべて、麒麟の使いの前では通用しない――セイウは笑みを深める。グンヘイの悪意に満ちあふれた心は筒抜けとなっていた。

 普段であれば、上手く言い回しを考えて、肚の底に潜めている目論見を否定するのだが、それすら考えられずにいる。それほど麒麟の使いは脅威であった。

(主に向けられる、悪意や敵意を見透かす目。心を読むも同じだ)

 麒麟の力を授かった子どもに、大きな畏怖の念を抱く。
 なるほど、だからセイウをひっくるめた王族が血眼になって探しているのか。

 確かに、麒麟の使いがひとりいるだけで戦は勿論、陰から命を脅かす暗殺者がいても、まったく怖くない。腕のある兵や名のある用心棒よりも、心強い存在と言える。

(私が欲しいくらいだ。クンル王に献上するのも、惜しい気がしてきたな)

 固唾を呑んでいると、子どもと目が合う。その瞳はどこまでも澄み切っていた。反面、濁りない目はどこまでも見通すことができそうであった。恐ろしい目であった。

(これは慎重に動かなければ)

 先導に戻ったグンヘイは、脂のたまった腹に力をこめ、鼻の穴を大きく膨らませた。これしきのことで動じるグンヘイではない。必ずや盗んでみせる。