それは明らかに挑発であった。
 玩具を手にした子どものような顔で、ティエンの様子を観察するあたり、本当に性格の悪い男と言える。

 ティエンはいつも、この男を恐れていた。第二王子セイウも恐ろしかったが、第一王子リャンテの気まぐれな横暴さが嫌で堪らなかった。
 己がピンインのままであれば、申し出に恐怖し、逃げていたことだろう。

 しかし。今の自分は第三王子ピンインではない。農民ティエンだ。顔色ばかり窺っていた頃の自分ではない。

 ティエンは握っていたこぶしをゆっくりと解き。早足で移動する。

「お待ちください、ティエンさま。危険です!」

 カグムの止める声を無視し、冷笑してくるリャンテの右隣に腰を下ろす。

 彼を前に片膝を立て、これで満足か、と口荒く聞くと、取り巻きのカグムとハオの顔がこわばった。知ったことではなかった。

 これに必要以上の怯えを見せれば最後、どう甚振られるか分かったものではない。

 輩はティエンと向かい合い、その態度に噴き出した。

「ちっと見ねぇ間に、ずいぶんと気が大きくなったな。一々俺にびくついていたピンインはどこへいった」

「それは一年前に死んだ。今はティエン。しがない農民だ」

「はっ。お前が農民ねぇ。ま、俺も今はしがねぇ平民だから人のことは言えねーか」

 ああ、農民といえば。リャンテが含み笑いを零す。


「三日前。きたねぇ農民のガキに会ったぜ。青州兵に追われているようだった」


 ユンジェのことか。
 ティエンは昂る感情を抑え、努めて平常心になる。そうでなければ、あれこれ口から言葉がほとばしりそうだった。冷静を欠けば、この男の思うつぼである。

「そのガキは随分と賢い奴だった。俺の身分を『王族』と知っていながら、なお、この身なりだけで平民でないことを説いたんだからな。この俺を唸らせるなんざ、大したガキだ」

 それだけではない。あれは青州兵に追われた際、危険も顧みず、川へ飛び込んだ。まるで、誰かを守るため、兵を遠ざけるために。溺れかけながら、子どもは川を泳いだ。

「兄上。なぜ、その話を私に?」

 ティエンは奥歯を噛み締めた。蓋している激情が、いまにも溢れかえりそうだった。ああ、容易に想像ができる。あの子ならやりかねない判断だ。

「くくっ。その姿があまりにも健気だったもんだからな。ちと、矢で射てやった。綺麗だったぜ、ガキの血が川面に広がる光景は」

 目の前が真っ赤になった。それこそ、たき火の炎よりも、体内をめぐる血よりも。

「ティエンさま! おやめ下さいませっ。貴殿の敵う相手ではございません!」

 腰を上げ、鞘から短剣を抜くも、駆け寄って来たカグムによって止められる。

 彼は必死に、落ち着くよう訴えた。けれど、ティエンの心には届かない。
 それどころか、怒り狂いそうだった。この男ならば、まこと矢で射かねない。であれば、ユンジェは怪我を負っているのではないだろうか。

「おのれっ、よくもユンジェを。リャンテっ、よくも」

 ティエンの怒りを前に、リャンテは大声で笑う。

「ぷははっ。愚図、本当に良い目をするようになったな。いいねぇ。好きだぜ、俺は。怯えられた目を向けられるより、戦意のある目を向けられる方が血も滾る」

 そうでなくては面白くない。彼は口端を舐める。

「安心しろ。あれはちゃんと生きている。俺が懐剣のガキを殺すわけねーだろ? セイウにも怒られちまうぜ。私の美しい懐剣に疵をつけましたね、なんて言って毒を盛られちまう」

 リャンテはユンジェを懐剣の子どもだと見抜き、わざとティエンを試したようだ。

 だから、この男は性格が悪い。
    
 なにより、性格の悪さが出ているのが、『殺していない』の発言だ。確かに輩は懐剣のユンジェを殺していないだろう。それのせいで、ユンジェと主従関係にあるセイウと戦になる可能性もある。

 また、ユンジェが己の懐剣を抜くやもしれないと考え、そう易々と命を取るようなことはしないだろう。

 けれども、この男。

 『傷付けていない』とは一言も言っていない。

 思ったそばから、あれに向かって矢は飛ばした、と怒りを煽ってくる。ああ、この男、どうしてくれようか。


(落ち着けっ。ユンジェを信じろ。兄上の言葉に惑わされるな。あの子の力は、誰より私が知っているはずだ)



 押さえつけてくるカグムの手を払い、荒々しく短刀を鞘に収めると、肚の読めない輩に目的を尋ねた。

 第一王子リャンテが平民の格好をし、こんなところをうろつくなんぞ、よほどの理由があってのこと。

 ここ、東の青州は第二王子セイウが任されている土地なのだ。
 いくらリャンテが麟ノ国第一王子であろうと、自分と不仲である第二王子が任されている土地を好き勝手歩き回ることは、争いの種を撒くようなもの。

 戦好きのリャンテであれば、それも可能性にあるやもしれないが、リャンテの母がそれを許さないだろう。下手すれば、父王の目に留まり、一族の顔に泥を塗ることになりかねない。

 また立場上、この男はクンル王側の人間。血眼になって、己の首を求める父王を知っているはずである。こちらの油断を誘い、隙を見て首を刎ねるつもりだろうか。

 すると。リャンテは刺激がほしいのだ、と返事した。訳が分からない。この男、何を言い出すのだ。

「少し前、俺はセイウの下を訪れた。あいつに、これを見せるために」

 懐から竹簡を取り出し、リャンテがそれをティエンに投げ渡す。
 読んでみろ、と命じてくるので、訝しげな気持ちを抱きながら、それを紐解き、中身に目を通す。息を呑んでしまった。

 そこには、麟ノ国第二王子セイウの動きを監視と、麒麟の使いの調査が事細かく記されているではないか。

 国印からして、これは本物の勅令(ちょくれい)。信じられない気持ちで満たされる。まさか、これをセイウに見せたのか。だとしたら、密告ではないか。


「どういうことだ。貴方とセイウ兄上は、王位継承権を争っていたはず。勅令を密告するなど、父に背くも同然。重罪なのは貴方も知っているはずだ」


 あろうことか、今度はそれを簒奪(さんだつ)の罪で追われている、ティエンに告げ口している。正気の沙汰とは思えない。