ああ、探す誰も彼もがリーミンと呼ぶ。呼び続ける。うるさいったらありゃしない。
「馬鹿だろう。てめぇ」
前触れもなく、ハオに罵られた。
どうして馬鹿呼ばわりされなければいけないのだ。ユンジェが頬を脹らませると、彼は軽く舌を鳴らし、外衣を靡かせて茂みを飛び出した。
「来い、ユンジェ」
初めて名前を呼ばれた。
ユンジェは驚き、目を見開いてしまうが、すぐ頬を緩めた。なぜだろう。認められた気分だ。とても嬉しい。
前を走るハオの背を見つめ、人知れず笑みを零していると、横目で見る彼がまた一つ舌を鳴らして、盛大に悪態をつく。
「くそっ。やっぱ、てめえなんざ、ただのクソガキだ。こんなことで喜んでるんじゃねーぞ。こんなクダラナイことで。気付いてねーのかよ。ばかがっ」
前方に兵が現れると、双剣を抜いたハオが邪魔だと言って斬り捨てる。
真っ向突破を得意としているようで数人に囲まれても、間合いを取り、ユンジェを背に隠して右の剣を逆手に、左の剣を順手に持って、流れるように兵の剣を弾いて斬り崩す。
すごい。ユンジェは目を瞠った。
彼はこんなにも強かったのか。いつも、不意打ちでしか勝負をしたことがなく、何かと打ち負かしていたせいか、勝手に彼を弱いと決め込んでいた。
けれど、本当のハオは真っ向勝負に強い人間なのだ。不意打ちや卑怯が不手なだけで、そんじょそこらの人間よりも腕が立つ男なのだろう。
ユンジェの背後に兵が回り、刃を振り下ろす。誰かが怒鳴る。やめろ、それはリーミンだと。
(避けないと)
しかし、不慣れな絹衣は大変動きにくい。避けられない。
「はっ、勘弁しろよ。そのガキが怪我したらな」
ハオに突き飛ばされた。顔を上げれば、己を庇い、双剣で受け止める彼の姿。
「また俺が面倒看ねーといけねぇだろうがっ!」
兵の剣を押し上げ、二本の剣で人ごと闇を裂く。返り血を浴び、なおも彼はひた走る。後ろに結っている短い三つ編みを靡かせて。
「ユンジェっ、こっちだ!」
ハオはユンジェを裏の外壁まで誘導した。
垂れさがっている藁縄は、あらかじめ用意されていたものだろう。木に巻きついている藁縄を伝いのぼり、それを切り落として、二人は客亭から離れる。月明かりを頼りに、きらびやかな都を駆け抜けていく。
逃げる足はやがて曲線を描いた、橋脚連なる木造りの橋の下で止まった。
そこは都の内に流れる川に架かった橋で人の目が多い。川も賑やかだ。荷を運ぶ小船が提灯をぶら下げながら、川面を切るように進んでいる。
しかし、ハオは敢えて橋の下に身を隠した。
盲点を突こうという魂胆だろう。
確かに夜の橋の下は暗く、夜目も利きにくい。目の前に川が流れているので、見張る方向も左右と少なく、息を整えるには持って来いの場所だ。
一方で挟み撃ちにされる危険性もあるが、その時はその時だ。ユンジェは橋の陰に隠れ、ハオとひと息つく。
「ここでカグム達と落ち合う約束になってる。あいつら、無事に撒けるといいんだが」
できる限り、身を屈めて陰と一体になるハオを真似て、ユンジェもその場に座った。
「さっきの話だけど。謀反兵の暴動って?」
「てめえを取り戻すために、カグムが考えた策だ」
表向き、いまの王政に不満を持った兵が王族を襲い、それが暴動を起こしている内に、ユンジェを奪い返す作戦だそうだ。
ホウレイの放った間諜は国のあちらこちらに存在している。カグムはこの都に潜んでいる間諜の手を借りて、この暴動を決行したという。
(カグムも言っていたっけ。陶ノ都にも間諜がいるって)
ユンジェはひとつ相づちを打った。
「ティエンは無事? あいつ、セイウに命を狙われているけど」
「無事どころか、大暴れだ。てめえがセイウさまに連れて行かれた後の、ティエンさまは本当に大変だったんだぞ。カグムの野郎と、一悶着起こす騒動にまで発展したんだからな」
疲れ切った声を出すハオは、遠い目を作って、「なんで捕まるんだよ」と責めてきた。
それに関しては、ユンジェのせいではない。
寧ろ、自分は都に行きたくないと主張した人間なので、責められるのは筋違いというものだ。
げんなりと肩を落とすハオは、当時のことをぽつぽつと語る。
「都の間諜は俺達に、快く手を貸してくれた。間諜の最大の目的は第三王子ピンインさまを、ホウレイさまの下へ連れて行くことだから、遂行の手伝いも辞さない」
そこまでは良い。
問題はカグムの案に、ティエンが自分も行くと名乗り出たことだ。
これは大問題であった。
カグムはあくまで、起こす暴動を【謀反兵の不満】によるものと仕立てあげたかった。都に潜伏している第三王子ピンインとはべつに、騒動を起こしたかったのである。