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「リーミンには銀の簪が良い」
「いえいえ。リーミンには鼈甲の簪にするべきだ」
「綺麗では駄目だ。美しくなければ。リーミンの飾りは翡翠にしよう」
「いいえ。目立つ瑪瑙が良いに決まっている。リーミンは華やかな色が似合う」
今まで麒麟から使命を授かったことに、ユンジェは何の疑問も持たなかった。
瑞獣はティエンを守ってほしくて、生きてほしくて、自分に使命を授けた。ユンジェも精一杯、彼を守り抜くことで、共に生きることができると信じていた。
だから躊躇わずに懐剣を抜いていた。
しかし。今、ユンジェは大きな疑問を抱いている。麒麟が授けた使命とは、そもそも懐剣とは、一体なんぞやと。
麒麟はティエンを守って欲しいはずだ。
なのに、なぜ自分は彼以外の懐剣を抜くことができたのだろう。
全部は抜いていないが、半分まではしかと抜くことができた。到底、偶然とは思えない。
懐剣を抜けなかった時期が自分にもあったからこそ、ユンジェは悩んでしまうのだ。どうして他者の懐剣が半分も抜けたのだと。麒麟は自分をどうしたいのだと。使命はどうなるのだと。
ユンジェはセイウなど、これっぽっちも守りたいなんて思わないのに。
(ただ、セイウの懐剣を抜く時はティエンと違った。ティエンの懐剣を抜く時は、半分抜くだけで、激しい衝動に駆られた。気分が悪くなった)
でもセイウの時は、何事もなかった。普通であった。
これは嫌がらせだろうか。
瑞獣がそんなつまらないことをするものだろうか。頭がこんがらがる。よく考えれば考えるほど、答えが沼に沈んでいく。
(ティエン。なんで『王族』が討てないことを、俺に教えてくれなかったんだよ)
ユンジェは心中で涙ぐむ。
それを知っていれば、適当に兵を蹴散らし、とっとと自分もトンズラしていたのに。ティエン達と合流するため、所有者を傍で守るため、足が千切れるまで走っていたのに。
ああ、でも彼のことは責められない。
きっと、ティエンは知らなかったのだろう。彼は離宮で幽閉されていた者だから、王族の伝承の知識に穴があってもおかしくない。知っていれば、早々にユンジェに教えてくれるはずだ。
(これからどうしよう。セイウの懐剣にはなりたくねーけど、謀反兵達と比べものにならないくらい、王族の兵は多いから逃げる隙がないんだよなぁ)
腕を組んでしかめっ面を作っていると、髪を結っていた男が窘めた。
「リーミン。動かないで。俯かないで。眉間に皺を寄せないで。美しくできない」
さて。ユンジェの周りは大変慌ただしい。
やれ衣だの、靴だの、装飾品だの……従僕や侍女はそれらを運びながら、リーミンを美しくするために忙しなく動き回っている。
謂わずも、『リーミン』とはユンジェのことである。セイウによって、半ば強引に改名されてしまったのだ。
彼はユンジェの名を知るや、響きのない名だと酷評し、所有者に相応しい名でいてもらわなければ困る、との理由で新たに『黎明』と名づけた。
曰く、麒麟から使命を授かった使いの出現は、新たな時代の兆しとも云われているらしい。だからリーミンだとか。
(俺はユンジェなのに)
この名は死んだユンジェの両親が付けてくれたので、とても誇りに思っている。リーミンなど冗談ではない。
でも、このままでは本当にリーミンになってしまう。
ユンジェは陶ノ都で一番美しく、華やかだと謳われている客亭(かくてい)に身を置いていた。
捕らわれている、と言った方が正しいだろうか。
セイウを前に何もできなかったユンジェは、今度こそ兵に取り押さえられ、抵抗も虚しく連行された。
天の次に偉い王族に刃物を向けたのだから、薄暗い牢にぶち込まれ、身に余るほどの罰を受けると覚悟していたのだが、セイウはそれをしなかった。
それどころか、懐剣のユンジェを丁重に扱い、美しくしろと従僕達に命じた。
己が持つ懐剣なのだから、人に見せびらかしても恥ずかしくないものにしたい。なにより、収集物を疵つける趣味はないとのこと。宮殿に飾る気持ちも強いらしく、どのように飾ろうかと考える素振りを見せていた。
一体、人をなんだと思っているのだろう。
ユンジェは飾られる己が想像できず、身震いしてしまう。宮殿に飾られるとは、どのようなことをされてしまうのだろう。紐で吊るされるのだろうか。干し芋を作る時の、芋のように。
これならば牢にぶち込まれた方が、まだ気分も良い。
とにかく。セイウは今のユンジェを不満に思っている。
それは見た目も然り、名も然り。なによりも汚いことが許せないらしく、従僕や侍女に告げた。
「夕餉までにリーミンを美しく磨くのですよ。でなければ全員、指を二本、私に差し出してもらいます。ああ、安心して下さい。手か足か、それはあなた方に選択肢を与えましょう」
ただの脅しだろうに、周りの者達は真剣となった。