「アメ」
「…………」
「持ってる?」
「……はい。どうぞ」
うしろの席の桐谷先輩にレモン味ののど飴を手渡す。
夜7時、帰りのバスの車内。彼の友達が降りたあとのわずかな時間を、私はさっきまでの余韻が覚めぬまま過ごしていた。
今日はいろいろあって疲れていた。たぶん、桐谷先輩も同じだろう。ふたりとも口数が少なかった。けれども、なぜか嫌ではなかった。
「…………」
心地よく揺れるバス。
薄暗い中、さほど明るくもない照明の下、昼でもなく夜でもない、少し非日常を感じさせる独特な時間。横向きに座る私と、そのうしろの席から私の背もたれに腕を預け、口の中で飴を転がしながら外をぼんやりと見ている桐谷先輩。乗客は前の方にあとふたりいるけれど、私の視界には窓ガラスに映る彼と私しか入っていない。まるで、切り取られた空間だ。
この空気の優しさに、自惚れてしまいたくなる。彼の恋愛に対する意識を知りつつも、やんわりと釘を刺されているにもかかわらず、伝えずにいられなくなってしまう。