部屋に入り、私は口に出せない胸のなかのモヤモヤを、ため息とともに思いきり吐き出す。そして目を閉じ、あの絵を頭に思い浮かべた。
“無題 2年 桐谷遥”
中学3年生のとき、お姉ちゃんの友達が入選したから、という理由で一緒に連れて行かれた高校美展。そこでひと際異彩を放っていた抽象画。
たくさんの淡い色の四角や丸、ペインティングナイフで削ぎ落とされている部分があったり、絵の具を重ねてザラザラでこぼこしている部分があったりと、なにを描いているのかわからない、“無題”というタイトルがしっくりくる作品。
でも、私はそのとき、その場から動けなかった。面食らったんだ。色彩が光を放つ錯覚に。なんの枠にもしがらみにもとらわれていない自由さに。
あの絵は、あの瞬間、たしかに私を解放してくれた。以来、気持ちが重くなると、目を閉じてその絵を思い浮かべるようになっていた。
「桐谷 遥……さん」
閉じていた目を開けて、憧れの人の名前を呼んでみる。
あの日、お母さんに言われるがまま、お姉ちゃんと同じ高校に進学することに、初めて小さなメリットが生まれた。
この人の絵をもっと見てみたい。この人がどんな人なのか見てみたい、って。