2歩ほどよろめいて、抑揚もなく「イタ……」と言った桐谷先輩。その平然とした態度に自分の気持ちを踏みにじられた気がして、私の目には涙がたまる。

「おい、遥。ここ、一応先生の部屋でもあるんだけど」

ゴホン、と大きな咳払いが、まるで密封されていたかのようなふたりの空気を解いた。町野先生が準備室の入り口、さっき先輩が立っていたところで呆れたような顔をしていた。

「すみませんでした。今出ます」

私は語気を強めたままで先生にそう言って、美術室へ戻るべく先輩の横を通って足を進める。すると、先輩がすかさず私の手を引っぱった。

「あのさ」
「バスに乗り遅れるので」

そう言って振り払った手。
私は、ちょっと驚いた表情の町野先生がよけてくれた入り口を通って美術室へ戻り、「あ、帰るんだ? 気を付けてね」となにも知らない平和な顔の平山部長に挨拶をして廊下へと出た。
 
悔しかった。泣きそうなくらい悔しかった。だから、涙がこぼれないように歯を食いしばってバス停へと向かった。