「見えてた。向こうから」

薄く笑ってそう言った桐谷先輩は、「じゃあね」と言って通り過ぎていく。そのあとを追う舞川さんは、なんとなく気まずそうな、でもなにか言いたげな、複雑な顔。

「あっ」

私は昨日のことを思い出し、
「桐谷先輩っ、昨日はっ……」
と、背中に声を投げた。ゆっくり振り返った彼に、
「昨日はありがとうございました! ていうか、すみませんでした、ホントに」
と頭をさげる。

「や、いーけど……」
「それで、金曜の件ですけど」

今度の金曜日、あと1回だけモデルをお願いされていた。お母さんの目を盗んででもなんとか時間を作って先輩の力になりたい私は、“大丈夫ですから”と言おうと口を開いたけれど。

「あぁ、もういいから、あれ」

さらりと、桐谷先輩が言葉を遮ってそう言った。

「え?」
「べつに他の人でもいいわけだし」
「…………」

ガチャリと音を立てて、桐谷先輩のテリトリーから閉め出されたような錯覚がした。でも、かろうじて笑顔を作った私は、
「あ……はは。そうですよね。……わかりました。よかった。ちょうどよかったです」
と、かわいた声を出す。

舞川さんの姿が視界に入っていることで、その“他の人”というのが彼女以外に考えられなかった。嫌な気持ちが足もとで沼になり、まるでズブズブとゆっくり沈んでいくようだ。