しばらく黙って浴衣の袖を握っていた。子どもみたいに右の手をグーにして、ぎゅっと。
「そんな強く握ってるとシワになんだろ」
あきれたような低い声が降ってくる。
「さて。もう遅いし、そろそろ帰るか」
「浴衣は持って帰らないの?」
「そんなもん置いとくとこねえよ」
たしかに、それもそうか。洋服みたいにくちゃっと小さくたたんでおけるわけでもないし、掛けて置いておくにもちょっと場所とっちゃうし。
でも、ほんとは肌身離さず持っておきたいくらいだよ。そうして好きなだけこのあじさいを眺めたい。
「ねえ、もう少し眺めててもいい?」
「なんだよ、それ」
遠慮がちに声を出したあたしを見下ろして、おじさんが軽く笑った。
「じゃ、外で一服してるから、好きなだけ眺めてろ」
ぐしゃり、乱暴に頭を撫でられる。またどきっとしてしまう。でもおじさんはそんなのおかまいなしって感じで、あっけなくきびすを返すと、そのまますぐにアトリエを出ていった。
隙あらば煙草吸うんだから、ほんとにヘビースモーカーだよ。いったい一日にどれくらい吸っているんだろう。
広い背中を見送ったあとで、また浴衣に目を向けた。
やっぱりきれい。きれいなんて形容詞じゃとうてい追いつかないくらい、視界のすべてを奪われてしまう。
おじさんは、自分の仕事を『遊んでるみたい』なんて言ったけど、とんでもないよ。
だってあたしはいまこんなにも心を動かされてる。おじさんはそういう仕事をしてるんだ。それも遊んでるみたいに。すごいことだ。
やっぱりおじさんはカッコイイ人間だって思った。
心臓がいつもの倍速で脈打っている感じがした。