キッチンに立つおじさんはものめずらしいのでもっと眺めていたかったのだけど、カウンターからはすぐに追いやられてしまった。気が散るからどっか行ってろって。
仕方ないからソファのほうでしばらくよもぎと遊んでいた。そしたらいつの間にか、テーブルの上にたくさんの料理が並んでいたのだった。
サーモンのカルパッチョに、生春巻き、オニオンリング。全部しゃぶしゃぶの付け合わせらしい。
いい具合に野菜がとれるメニューだ。それに、なんか絶妙にお洒落だし、見栄えも盛りつけも文句なしにきれいで、おいしそうで、驚いたとかそういう次元じゃないよ。感動すら覚える。
なにが『おまえはきれいなメシをつくるよな』だよ。なにもかもが完敗じゃん。
「なんだよ、料理できるんじゃんか」
小さな声ではあったけど、精いっぱいの文句を言ってやったのに、おじさんはなんでもない顔で食器を並べ続けている。
「そりゃあ32年も独り身やってんだし、料理くらいできて当然だろ」
できすぎなんだよ。なんか裏切られたような感じだよ。だって、てっきり料理はめっぽうダメな男かと思ってた。
「結婚、しないの? したことないの? いままでに一度も?」
でも、料理のことなんかよりもずっと、おじさんの口からヒトリミという言葉が飛び出たことのほうが残った。なんだかとても気になる単語だ。ヒトリミ――独身ってことだよね?
「しねえし、したこともねえよ」
おじさんは少し面倒くさそうに答える。
「どうして? いままでに恋人くらいいたでしょう? 結婚したいって思った相手とかいないの?」
「なんだよ、おまえ。いきなりよくしゃべる」
「あ、はぐらかしたね、いま」
32歳の男がする恋愛って、どんなだろう。少女漫画みたいなそれとはきっと違うね。
おじさんはどんな女性を好きになってきたんだろう。
どんなふうに人を愛するんだろう。
いままでにいくつの恋を経験してきたんだろう。
いろんな疑問が浮かぶ。全部を聞いてみたいと思うのに、答えは絶対に知りたくないような気もして、気持ち悪い。