疲れていたけど神経はピリピリしていてイライラとしていた。
叔母達の些細な一言にも刺々しい言い方しか出来なかった。
頭がガンガンして鎮痛剤を飲んだ。
母の顔は黄疸が出ていて黄色くてあたしのリキッドのファンデを使っても消えなかった。
湯棺してもらう時に生前の色白な母に戻してもらおうと思った。
次々と弔問客がきて家の中はワタワタと騒がしくなった。
でもあたしは呆然としていて、父の会社の人が母の葬儀について打ち合わせにきてたけど「ハル、お茶持っていきなさい」と叔母に注意されるまで気付かなかった。
弔問客に壊れたレコードの様に同じ事を説明した。
「娘しか看取れなかった」と父が言うから隣に座って最期を説明した。
もう涙は出なくてあたしも壊れたレコードの様に繰り返し喋り続けた。
夜になり、旭川の叔母以外は帰って行った。
叔母は旭川から来たから何にも間に合わなかった。
叔母はずっと母の前に座っていて、ココロは母を守るように頭の上に寝ていて、誰かが近付くと歯を剥き出して威嚇していた。
あたし達にはそんな事はしなかったけど。