「・・・父や兄を説得してみる。頑張ってみる。お母さんがまだわかるうちに帰してあげようって言ってみる。最近、お母さん、ボケた人みたいになる時がある・・・でもハッキリしてる時もある・・・」



「肝臓ガンはね脳が腫れる事があるから。だからちょっと痴呆みたいになる事があるの。原因はそれとモルヒネのせいだよ」


あたしは涙を拭いて看護士にお願いをした。


「約束してほしい事があるんです。母は自分がどんな風になっているかを知らないんです。鏡も見ないから。だから、母の体調が悪そうな時でも『元気そうだね』とか『調子いいみたいだよ』って言ってもらえますか?それだけで大丈夫かもしれないって思うから」


「わかった。他の看護士にも伝える。血圧とか体温計ったり、点滴交換する時に必ず『大丈夫、バッチリだから』って言う。ビタミン剤が効いてるねって言う。約束は必ず守るから」


看護士と1時間程話してあたしは病室に向かおうとした。


「あ、お母さんあたしがいない事を不審に思うかも」


看護士はちょっと考えてから言った。


「オムツの話してたって事にしようか?そろそろ買って来て下さいって言われたって事で。女性だから娘さんに頼んだって事で話合わせよう」


「わかりました。家に帰す事、必ず説得してみせます」


「うん」看護士は笑顔で言った。



病室に戻ると父や兄と母は楽しそうに話をしていた。


「ハル、どこに行ってたの?心配したよ」


母に言われてあたしは泣いたのがバレない様に眼鏡をかけて言った。


「タバコ吸ってた。後は看護士さんにオムツ買ってきて下さいってお願いされてたの。やっぱりお父さんや兄ちゃんは男だから女のあたしにお願いするって言ってた」



「あぁ、そうなの。それはやっぱり女のハルにお願いする事だよね?下の事だもん。そうなんだ。それよりハルも聞いたんでしょ?お母さんビタミン治療するんだって。それで体力回復させて、よくなったら治療するんだよ」



「うん。聞いたよ。ビタミン剤は体力回復させるからね!元気になるね、元気になったら食べれるようになって座れるようになって、免疫療法出来るね!良かったね」



「良かったよー、治療してくれないのは体力がないからなんだね。頑張らないとね」



「そうだよ?しっかり点滴打って復活しないと」


あたしは笑顔で母に言った後、父と母が会話をしてる隙に兄に小声で言った。


「話があるから実家に寄って。3人で決めたい事がある」


兄は頷いてから母の方をみて笑顔でウソみたいなビタミン剤のうんちくを話始めた。


面会時間が終わって、母が眠ってから実家で3人で話をした。


あたしは看護士と話した「お母さんを家にもう一度帰したい」という事を言った。


「お前、それはお母さんの命が・・・」


やっぱり2人共難色を示した。


「医学的な話じゃない。精神論の話だよ。帰ってきてまた帰れるように頑張る可能性は充分にあるとあたしは思う。リスクはいっぱいある。でも帰さないとあたし達は後悔する。間違ってる?」


話し合いは長く続いて、あたしはひたすら2人を説得した。


「帰る事で余命より長く生きた人もいる」


これは看護士が実際言ってた事だ。



長い話し合いの末、父と兄は折れて承諾した。


「明日にでもお母さんがどのタイミングで家に帰れるか話をしてみる」


父がそう言ってあたしはホッとした。



家に帰してあげたいのはみんな一緒だから。


命を縮めるからそれは出来ないと思っていただけだから。


でも・・・母をもう一度家に帰そう。


母の外出は11月20日に決まった。


母にはまだ告げてはいない。


いつどうなってもおかしくないから。



見舞客が折っていった千羽鶴を紙袋の中に入れて帰りの支度をした。


母は眠っていた。


今日はあたし1人だけが残っていて時刻は9時を過ぎていた。


母の余命宣告を受けてから面会時間なんて関係ない。

来るのも帰るのも自由だった。



「あら、娘さん帰るの?」


看護士に言われて「はい」と言うと、


「泊まればいいのに。簡易ベッド用意するわよ?」


と言われて初めて付き添いが出来る事を知った。



「今日は帰ります。付き添い出来るなら明日からでもって考えてるので簡易ベッド貸して下さい」


看護士にお願いして、テーブルの上のゴミを片付けた。


今日は昼間に兄夫婦が来ていた。


ティッシュやストローなどのゴミをゴミ箱に移しているとメモ用紙が出てきた。


何か書いてある。


「何だこれ?」


メモを開いて内容を見た。


母の文字。少し弱々しいけどキレイな文字で日記の様な決意なのか書いてある。



『私はこの病気と一生付き合っていくでしょう。でもみんなに支えられながら生きていきたいです』


前後の内容からこれは以前に外出した後に書いたものだとわかった。


メモを持つ手が震える。


目からは涙が出そうになる。



9月21日、ガンが転移していて手術が出来ないと知った。


体力がない状態で無理矢理打った抗がん剤は苦しかったと思う。


胆管に管を通す手術も痛かったはずだ。


衰弱している事にも気付いているだろう。




それでも母は生きていたいんだ。

メモをバッグに入れて病室を出た。


涙が出たのは「泣かない家族だから」と言われて以来だ。



『みんなに支えられて生きていきたい』



これは母の願い。


あたしだって、父や兄だって支えるから生きてほしい。


今月もたないなんてウソであってほしい。



この病院はガン患者しかいない。


母の様に苦しんでる人がいっぱいいるから泣いてはいけない。



急いで病院を出て車に乗り込む。


あたしの泣き場所はいつも車の中。



(泣いたらダメだ)


そう思ってタバコに火をつけたけど、涙はボロボロ流れてくる。


「お母さん・・・」


母を呼びながらあたしは号泣した。


あたしは人前では絶対泣かない。


それが例え父や兄の前でも。


父は一度泣いてしまったから、あたし達兄妹の前ではたまに泣く事がある。

兄も泣かない。


車の中で散々泣いて、鏡で泣いた事がバレない様に確認してから家へ車を走らせる。


車に乗りながら口ずさむのはKi○roの母へ送る歌。


IPODで母が好きな徳○カヴァーアルバムに入っていた歌。


曲をかけた時、母が「ハル、これ歌ってみて」と言った歌。


それから無意識に千羽鶴を折っている時や母の病室にいる時に癖の様に口ずさんでしまっている。


涙が出そうになるのを堪えて大声で歌いながら家に帰る。


原曲をitunesで購入してから何度も聴いた曲。


それを爆音でかけて一緒に歌いながら家に帰る。


終わるとリピートして何度も何度もかけて歌う。


曲のタイトルに「未来」とついている。


あたし達の未来はいつまであるんだろう・・・。






家に帰ると兄と父が「お帰り」と言った。


2人共目が真っ赤だった。


「どうしたの?」


あたしが聞くと兄が苦笑いして「男泣き?」と言った。


「テーブルに母さんのメモがあって見た途端泣いちゃいけないのに泣いてしまったんだ」


兄の言葉を聞いてバッグからメモを出して


「これの事?」


と聞いた。


「何でお前が持ってんの?」


「・・・大事な事が書いてあるから間違って捨てられたら嫌だから持って帰ってきた」



父にメモを渡しながら「見る?」と聞いた。


父は黙って受け取ると自分の部屋へ上がった。



兄と居間にいると鼻をかむ音が聞こえてきた。


父もあのメモを見て泣いているんだと思う。


彼氏と久々に話をした。


明日から3人交代で付き添いをする話をして「そっちはどうしてるの?」と聞いた。


彼氏の親は随分前に離婚していて、病弱な母親を妹か自分が引き取らなければいけないという話だった。


一応一緒に暮らしてるあたしには寝耳に水で驚いた。


「そんな事急に言われても・・・あたし達どうするの?9月に引っ越す家見に行ったばっかりじゃん」


『でもハルはママさんの事で大変だろ?ウチも事情が出来たんだよ』


「そうだけど・・・お母さんとどうしても一緒に暮らさないといけないの?あたし同居とか出来る人間じゃない」


『ハルと結婚するんだったら出て行ってもらうから。それまでは暮らさないといけないんだ。ウチの母親身体弱いし、身体弱い人をほっておけない』


あたしは彼氏に依存していて迷惑をかけたから母の事では一切迷惑をかけたくなった。

でも本音は支えてほしかった。


「そんなの無理だよ。ダメだって断ってよ」


『ハルだってママさんの事があるからって実家に戻っただろ?何でそんな酷い事言えるの?』


「だって○○○くんのお母さんは死なないじゃん!ウチのお母さんは死んじゃうだよ?あたしの気持ちなんてわかんないくせに!!」


この言葉があたし達の終わりを告げる合図になった。元々上手くいってなかったんだ。これはただのキッカケだ。