既に用意されていた朝食は、オーブントースターでこんがりときつね色に焼かれたトースト二枚、プレートにはケチャップのかけられた目玉焼きとバターで炒めた缶詰のコーンとトマトとレタス。
口に含めると、味覚はちゃんとあった。
ほっとしたけれど、余計頭がこんがらがって、幸登はトマトが嫌いだったからケチャップをかけるのは久々だなあ、とかいつも塩コショウだったなあという、どうでもいいことを思い出す。
食べながらリビングを見渡すと、わたしがコーヒーを零して染みが取れなくなったために捨てた、母の手作りのクッションがソファに転がっている。
液晶テレビはおそらく三八インチ。去年四二インチに買い換えて、そのついでにテレビボードも一新したけれど、今はまだガラスの扉が付いている古い形のものだ。
家の電話機が置かれている棚に面した壁には、クリーニング屋でもらったカレンダーがピンで止められている。
二〇一一年、三月。
「お母さん、今日、何日だっけ?」
「なに言ってるの、九日でしょ。いつまで寝ぼけてるの」
三月九日をカレンダーで確認する。水曜日だ。そして一列下の火曜日の欄には、黒ペンで『千夏卒業式』と殴り書きがあった。
髪の毛をきれいにセットした姉と入れ替わるかのように部屋に戻って、壁にかかっていた制服に手を伸ばすと、懐かしい匂いがした。
ブレザーの、香り。わたしの通う中学の制服。
ダサいダサいと何度も文句を言ったけれど、こうしてみるとそれほど悪くない。これといったかわいさはないけれど。
裾は少し傷んで破れていて、スカートには目立たないけれど幾つかの染みが残っている。シャツは母がアイロンを掛けてくれていたのだろう、パリッとした硬さがあった。
膝の真ん中辺りまでの長さのスカートを履いてから、ウエスト部分をくるくると二回ほど巻いてひざ上になるように調整した。シャツの第一ボタンは外して、臙脂色のリボンを少しだらしなく結ぶ。ブレザーを羽織るとずしりと重みを感じた。最後に黒のソックスを履けば準備完了だ。
傍にあった全身鏡には、懐かしいわたしがあの頃と変わらぬ姿で立っている。
中学でバレー部だったわたしはずっとショートカットだった。今の、この中途半端に伸びたショートは、部活を引退してから切らずに伸ばしている証拠だ。わたしは中学以来一度もショートにしていない。
夢みたいな信じられないことだけれど。
今のわたしはおそらく、『中学三年生』だ。十五歳の、わたしだ。