九月の第一水曜日、二学期が始まって最初の生徒会役員ミーティングを行った。と言っても、夏休みの間、しょっちゅうこのメンバーで顔を合わせていたが、今日はその冒頭に生徒会顧問の戸波先生から、夏休み中に教員が対応した案件や諸注意が伝えられた。
「あ、そうそう、二学期から一年生が一人、転入してきた。学期の途中で戸惑いも多いだろうから、特に一年の役員、沢田君や横川君は気がついたらフォローしてやってくれ」
「わかりました。あの、その生徒のクラスと名前を教えてもらえますか?」
先生はバインダーの資料をめくる。
「ああ、そうだったな……えーっと、二組の『神崎 凛(かんざき りん)君だ』
「リン、ですか⁉」
思わず声に出してしまった。
「どうした佐伯君、ひょっとして彼女と知り合いだったかな?」
「い、いえ……外苑前高校の普通科に年度の途中から入って来るなんて珍しいなと思いまして」
「そうだな、編入試験は、入試よりもずっと難易度が高いからな。ちなみに彼女の前の学校は、今川雪夜君と同じだ」
やっぱりそうか。ユキヤに告白した女の子が、この学校に入ってきた。何かひっかかるものがあった……決して私情からではない……と思う。
戸波先生は、あとはよろしくと言って部屋を出て行った。
ドアが閉まるのを見計らって副会長のケイイチが口を開く。
「今川雪夜といえば、CALIN、すごいっすねえ! メジャーデビューのリリースがあったと思ったら、公式のYouTube、Instagram、TikTok、どれも再生回数やフォロワーが爆上がりじゃないっすか」
「そうですよね♡ ファンの子たちのアカウントも再生回数とか伸びてるし。CALINのメンバー、みんなファンを大切にしてるから、投稿に反応があったら、ちゃんとコメントして相乗効果になってるのかも」
書記のマスミはやっぱりCALINの情報をウォッチし続けているのか。私自身はCALINやユキヤ専用のSNSの個人アカウントを作っていないけど、『他担』のジェミーや、そるてぃのインスタのページは本人の投稿やら、コメントやらリポストやらで大賑わいだ。
「あーあ、でも残念……」と彼女は口を尖らせた。
「どうかしたのか?」私はなんとなく理由を察しながらも、聞いてみた。
「せっかく東京タワーレコードでCDを予約したのに、CALINのインストアライブの抽選ではずれちゃった」
「そうだな、あの店での定員を考えると、競争率はかなり高かっただろう」
と言いつつ、彼女にはすまないが、私は心の中でニヤけている。
CDは三枚予約し(一応、聴く用と保存用と神棚にお供えする用)、なんとか一名分当選通知を受け取ることができたのだ! ユキヤからは、インストアライブをやるのでよかったら招待チケットを用意しておきますとLINEが入っていたが、さすがにそれを受けるわけにはいかないよと丁重にお断りした。きっちりけじめはつけないと、と思いつつも当選通知が来るまでは、どれだけヤキモキしたことか……
〇
「その制服、なかなか似合ってるね」
「ああ、この学校の制服ってわけではないけど、気に入っているよ……」
生徒会の役員ミーティングがあった翌日、来賓室の前を通りかかると、中から話し声が聞こえてきた。この部屋は少なくとも二学期中は『ユキヤ専用』となっていたはずだし、当のユキヤはメジャーデビューの準備に大わらわで、登校は難しいはずだ。
ドアが十センチほど隙間を作って開いている。
不審に思って中を覗き込むと、手前にはこちらに背を向けた女子生徒が立っていた。彼女と向かい合っているのはユキヤのようだが、女子生徒の体に隠れてしまっていて、その姿はよく見えない。
「で、リン、なんでわざわざこのタイミングでこの学校に転校してきたんだい?」
リン?
「ユキヤはあまり気にしなくていいよ」
「……そりゃあ、気にするよ」
「そうね……理由は二つかな」
「二つ?」
「そう、ひとつは大学への進学を考えたら、前の高校よりこの学校のカリキュラムの方が私に向いてるかなって思って」
「……もうひとつは?」
「少しでもユキヤの力になってあげられればと思って。メジャーデビューが決まったし、これから『いろいろと』大変なんでしょ?」
「そりゃ、そうだけど自分の力でなんとかするよ……確かに中学からリンにはいっぱい助けてもらったけどね」
「あ、だからそういうの、気にしないでいいよ……でもね」
「?」
「ひどいよ」
「え?」
「だって、ろくに何も言わずに転校しちゃうんだもの……」
「ごめん」
「……ひょっとしてアタシのせいだった?」
「いや、そうじゃないよ。事務所からの指示があって……」
「わかった……じゃあアタシがこの学校にいても問題ないよね?」
「もちろん、それは君の自由だし」
二人の会話に少し間が空く。
「アタシね、まだ諦めてないから」
「……」
「ユキヤへの思い……変わらない」
さらに間が空いてユキヤが口を開いた。
「できれば君も、僕のファンとして応援して欲しい」
「……そう」
私はなるべく音を立てずにその場を離れ、隣の生徒会室に飛び込んだ。来賓室のドアがバタン!と閉じられ、廊下を誰かが駆けていく足音が聞こえた。
〇
その翌日の放課後、生徒会室に入るやいなや、書記のマスミに手招きされた。
「カズサさん、これ、どう思います?」
そう言ってパソコンの画面を私に向けた。SNSのウィンドウが開いている。
――――――――――
calin_info_unofficial(CALIN非公式情報局)
【注意喚起/拡散希望】
昨夜から出回っているラヴィくんに関する真偽不明の噂について。
元ツイはすでに消されていますが、「ラヴィくんは実は女の子」「リアルをよく知っている『一ファン』からのリーク」などと主張するスクショが一部で出回っています。
大手レーベルからのメジャーデビュー直前という大事な時期に悪質なデマ・営業妨害の可能性が高いです。見かけても絶対に拡散・引用RT(RP)せず、通報のご協力をお願いします!
💬rabbit_love_snow(スノーラヴィ推し)
え……なにそれあり得ないんだけど!!
ラヴィくんのあの綺麗な高音や華奢なプロポーションをネタにして拡散するとか最低すぎる。公式さん、早く動いて手を打ってほしい!
💬idolkawaii_ota(アイドル現場徘徊オタク)
>RT
元ツイ消える直前に見たけど、ただのアンチの妄想って感じじゃなかったんだよな。鍵垢からのスクショ流出っぽい?
💬jammy_noir(ジェミー CALINノワール担)
元ツイ書いたやつ出てこいよマジで。
「ユキヤをよく知る熱烈な一ファン」とか名乗っておいて、やってることただの営業妨害じゃん。デビュー前の足引っ張りアンチすぎ!
💬geinou_urajijyou(エンタメ裏事情通)
【速報】話題のメンズジュニアアイドル『CALIN』センター・スノーラヴィ(今川雪夜)、まさかの「女子」疑惑浮上!?
デビュー直前に激震。リーク主は「親しい一ファン」を自称……真実なら大スキャンダルへ発展か?
💬salty_sugar(そるてぃ シュガー推し)
裏事情通とかいうまとめ垢、適当なこと言って火に油注ぐな!!
ラヴィちゃんはラヴィちゃんだから!!
以下、延々と続く……
――――――――――
「……これ、昨日の夜からネットで急に騒がれ始めたんです」
マスミが眉をひそめ、声もひそめて画面を指さした。
「言い出しっぺのアカウントはもう消えてて、誰が最初に言い出したのかもう分からないんですけど……『ユキヤくんを一番よく知っている熱烈な一ファン』を名乗る人物のポストだったらしくて。『あの子の身体は女の子だ』って……。もちろん、悪質なデマとしてファンは必死に打ち消そうとしてます。でも、まとめサイトやゴシップ系のアカウントが面白がって拾い始めてて……」
「…………」
私の背筋を、冷たい汗がツーッと伝い落ちた。
ジェミーとそるてぃも火消しに参加している……でもそれは逆効果だ! 騒ぎが増幅するだけだ。どうか放置しておいてくれ!
出所は消えている? ユキヤをよく知る『一ファン』だと?
『あの女子生徒』がまだ残っているとは思えなかったが、それでも私の意に反して、足は迷うことなく一年二組の教室へと向かっていた。
教室の後方の席に、女子生徒がスマホ画面を眺めながら座っていた。昨日、来賓室で見た子だ。だとすれば、彼女の名前は、神崎 凛。
私が教室に入ると、気配を感じたのか、振り向き、スマホを背中に隠しながら立ち上がった。
彼女が私のスケバン制服を見てビビったというわけではないだろうが、いく分、顔色が悪いようにも見える。
「神崎凛君だね。今、話しかけてもいいかな」
「え……はい」
私は教室に入り、ドアを閉めた。
「この学校で生徒会長を務めている、佐伯という者です」
「……はい、存じています。二学期の始業式であいさつされていましたから」
「君は、通信課程の今川雪夜君と前の学校でクラスメイトだったそうだな」
「よく知っておられますね……はい、中学からずっと一緒でした」
「……そうか。で、さっきまで、スマホを見ていたようだが」
「……はい、そのユキヤのこと、いろいろ書かれていて……」
「……これはもう炎上というやつだな……まさかここまで騒ぎが大きくなるとは思わなかったのだろうな」
私の言葉を聞いて、彼女の顔色が一層青白くなった。
「あの、なんのことでしょうか?」
「君は、この件に何か関係しているのではないか?」
「え、まさかアタシが情報の発信源だと⁉」
「逆に私が聞きたい」
「そ……そんなことは、絶対ありません!」
私は、彼女の瞳を見つめる。動揺して怯えているのはわかる。でも、その怯えはどこから来るのか?
その時、廊下をタッタッタッと走って近づいてくる足音が聞こえ、ドアがガラガラガラ、ピシャンと鳴った瞬間。
「カズサさん、違うんです! リンじゃないです!」
「「ユキヤ!」」
私と一年の女子は同時に驚きの声を上げた。
「ユキヤ君、この忙しい時に昨日今日と続けて学校に来て大丈夫なのか?」
「えっ、カズサさん、僕が昨日学校に来てたの、知っていたんですか?」
……しまった。
「あ、いや、たまたま廊下で後ろ姿を見かけたもので」
「……そうですか、昨日はレポートを提出に来ただけだったんですけど、たまたまリンと会ったので、ちょっと話しました。今日は、SNSの騒動でもしやと思い……」
「そうか……ところで、君はこの教室に入ってくるなり、『違うんです!』と叫んだが、何がどう違うんだろうか?」
「……はい、この間、カズサさんに『僕の秘密を知っている人は誰か』と聞かれた時にリンの名前も出しました。だから今回の件、カズサさんがこの子のことを疑ってしまうかも知れないと思って、ここに駆けつけてきたんです」
「……違うというのか? でも、状況としては……」
「状況……それはどういう状況を指すのですか?」
ユキヤは昨日私が二人の会話を盗み聞きしていたのを知らない。
「僕を……そしてこの子を信じてもらえませんか?」
ユキヤがじっと私を見つめる。その視線は、真剣で険しかった。
私は二人の顔を交互に見回した。神崎凛は、ただただ、怯えている。
「リンは、僕にとってすごく大切な人なんです」
その言葉がユキヤの口から洩れた瞬間、ああそうか、とまずは乾いた言葉を自分の中でつぶやいていた。……そして痛みは遅れてやってくる。
わかっていたはずだった。
彼にとって、私は朝のわずかな時間を並んで歩くだけの存在なのだ。私たち二人の間にあったのは、眩しい日差しとイチョウの葉擦れの音、そしてお互いに、いや、私が一方的に踏み込ませなかった『境界線』。
「わかった」
そう言って私は二人の前で正座し、床に手を突き、頭を下げた。
「神崎凛君、私の勝手な思い込みで君を疑い、怖い思いをさせてしまった。本当にすまなかった。この通り詫びる」
しばらくして顔を上げたら、二人は驚いた表情で私を見下ろしていたが、神崎凛は「ありがとうございます」と弱々しく答えた。
「さあ、帰ろう」
そう言ってユキヤは彼女のカバンを持ち、手を取って教室の外に向かった。
ドアを開けながらユキヤが声をかけてきた。
「情報の発信源は別の人間です……それこそ、僕の『一ファン』です」
言い終わるとすぐにドアがピシンと閉められた。
私はその場に正座したまま、呆然と宙を見つめた。
一ファン? まさか私のことを疑っているのだろうか?……それだけはないと信じたい。
おい、佐伯和咲! 生徒を守る……そう言い続けてきたお前が、生徒を傷つけてどうするんだ!……情けない。
それから、東京タワーレコードでのインストアライブまで、今川雪夜と会うことはなかった。



