セーラー服の上着をジャケット用ハンガーにかけ、ファスナーを一番上まで閉める。超ロングスカートは、ボトムス用ハンガーで、ウエストの両端をピンチで挟んで吊るす。両方とも丁寧にブラッシングし、サッとリセッシュを吹きつけ、本棚横のポールハンガーのフックにかけた。
そうしてからクローゼットの扉を開ける。横に渡されたポールには、いわゆる『スケバンスタイル』のセーラー服が、春夏ものが一着、秋冬ものが二着並んでかけられている。みんな似たようなデザインではあるが、微妙に襟の形やスカーフの色、全体のシルエットが異なり、その時の天候、季節、そして自分の気分で選んで袖を通す。
制服の他には、おびただしい数の私服がびっしりと並んでいる。ほとんどは『推し活』用の勝負服だ。上の段のポールにかけられているのは、前回のツアーで手に入れたグループ公式のオーバーサイズパーカー。純白の生地には、胸元に小さく雪ウサギの刺繍が施されている。ライブで一度着たきり、今は大事にしまってあるだけだ。その他に、くすみパステルの肩あき・オフショルニット。プリーツのミニ。チュール・シースルースカート。
そるてぃとお揃いで買った参戦ワンピなどなど。
ポールに取りつけたフックには、透明な痛バッグが重そうにぶら下がっている。ビニール窓の向こうには、整然と敷き詰められた無数の缶バッジ。あどけない笑顔や、流し目を見せるユキヤの表情がぎっしりと並び、部屋の照明に反射している。
私はいったい、何者なんだろう。
外苑前高校の三年生。
熱烈なユキヤ推し。
『真の自由』を求める生徒会長。
女……だと思う。
自分が決めた、あるいは人々が評価する、『狭い枠』の中の自分で居続けようとしている。
そのことに気づかせてくれたのが、ユキヤ、その人だ。
「僕もカズサさんみたいに優しくて勇気ある男になりたいです」
「カズサさんは僕の体が女であることを知りましたが、それで何か、感情の変化はありましたか? ……例えば、そういうことだったら、もう推すのをやめよう、とか」
「リンは、僕にとってすごく大切な人なんです」
「僕を……そしてこの子を信じてもらえませんか?」
胸に強く突き刺さる彼の言葉。例えそれが、私に好意的に言ってくれた言葉であったとしても。自分の心の狭さを知る……自分の存在の狭さを知る。私には、ユキヤの隣に立つ資格なんてない。学校の生徒会長として、みんなを引っ張って行く力も権利も義務もない。
私はクローゼットの扉を全開し、ハンガーごとスケバン服も推し服も引っ張り出し、部屋の真ん中にボンボンとぶん投げた。衣装ケースやクリアチェストに入ったシャツや小物もだ。私は下着姿のまま、服の小山の真ん中に陣取り、両手で服をつかんでは放り上げ、笑う。インストアライブでユキヤたちが歌った、「こんな服 脱いでしまおう」という言葉が頭の中でリフレインし続ける。
何モノなんだよ、カズサ。何サマのつもりなんだよ、お前は!
ハハハという笑い声が、泣き声に変わり始めた時、私は慌てて部屋を出て階段を走り降り、下着を脱いでお風呂場に飛び込み、シャワーのレバーを動かして、まだ冷たいままの水を頭から浴びた。
シャワーの水が涙を流す。いや、涙がシャワーの水を流す。
うっ くっ うっ くっ ぐ うっ ぐ …………
声にならない声が、口から、鼻から漏れる。
どうしちゃったんだ、私。
目を閉じる。
やっぱり瞼に浮かぶのは、ユキヤの姿。
でも、彼の唇の冷たさも、交わした温かさも、幻だったんじゃないかって思えてくる。
だいたい私なんか、ユキヤとキスする資格なんてないのに。
私、彼を傷つけたんだよ。
彼の大切な人も傷つけたんだ。
……こんなことなら、ユキヤと出会わなければよかったんだ。
ふとした偶然から、彼のことが気になり、いつのまにか、推しまくっていた。
あくまでも、アイドルと限界オタクの関係。握手会やハイタッチ・バイバイなどのファンサで『触れ合い』はあっても、しょせんそれまでだ。彼の心と『触れ合う』なんてことはできっこない。
ところがある日、彼は私の通っている学校にやってきた。そして、相談相手になって欲しいと言う……生徒会長として。
「カズサさんは、僕にとっての恩人であり、憧れです」……彼は確かにそう言った。
「君の体が男だろうと、女だろうと関係ない。私は君が『今川雪夜』だからこそ、好きなんだ」……私は確かにそう言った。
時々、通学電車に乗り合わせ、そのまま青山通りを並んで歩いて登校する。隣にはユキヤの屈託のない笑顔。
そして。
「だって実際、僕はカズサさんのことが大好きだし……愛している。カズサさんが僕のことをどう思っているのかは知らないけど」
どう思っているかって⁉
決まってんじゃない!
私は君を、ユキヤを愛しているんだ……もう後戻りできないくらいに
……そして、後戻りしなくちゃいけないことも、わかっている……わかってるよ。
バスタオルで体と髪を包み、自分の部屋へと戻る。
自分の部屋の惨状を思い出し、今さらながら自分の見境のない行動に後悔する。
恐るおそるドアを開けて中を覗くと、部屋の様子は自分が予想していたものとは違っていた。
山積みされた服は綺麗に片づけられ、クローゼットを開けると、元通りに整然と色々なアイテムが吊り下げられている。キツネにつままれたような気分だ。
よく見ると、ベッドの上に綺麗に畳まれたパジャマが置いてあった。淡い桜色の厚手のガーゼ地のパジャマだ。小さい頃から、この素材のパジャマが好きだった。優しい手触りで心が落ち着く。
パジャマの上には、紙片が置かれていた。母の字で短いメッセージが書かれている。私がシャワーを浴びている短い時間で部屋を片づけて……こんなメモまで。
"自分の気の向くままに。カズサだから大丈夫"
生徒会長だなんてイキがっていても、私はまだまだ子供だ。父と母に助けられている。それを強く感じる。自分一人で、なんでも解決できるだなんて、思うな。家族がいる。そして仲間がいる……ユキヤもだ。
私は、母のメモを握りしめたまま布団に入った。
気が強く、周囲の人間といつも言い争いをして家に帰ってきた私。涙を瞳に溜めた私の髪を手ですきながら母がかけてくれた言葉。私の手の中に、いつものその言葉があった。
〇
「はい、では外苑フェスティバルの一か月前の進捗報告と、相談案件をまとめましたので資料の三ページ目を見てください」
イベント担当の佐野マサキは資料を配り終わると、元気に話し始めた。わが校の文化祭――いつの間にか、外苑フェスティバル、略して『外フェス』との愛称で呼ばれている――が目前に迫り、校内外の様々な団体や部署との連絡や交渉で超多忙だろうが、生徒会サポートスタッフのみんなと協力して準備にまい進してくれている。本当に頭が下がる。
「教室企画です。二年三組のお化け屋敷と、一年有志の迷路カフェなんですけど、暗幕で教室の窓を全部塞ぎたいって申請が出てます」
「なんだ、迷路カフェって? メイドカフェじゃないの?」
副会長のケイイチが疑問を挟む。
「えーっと、今流行りの謎解きゲームを合体させたカフェみたいですね……うまく謎を解いてゴールにたどり着けると、メイドちゃんがオリジナルのスイーツをご褒美にプレゼントしてくれるっていう……」
「結局メイドちゃんが出てくるのか」
そういうのが嫌いそうでないケイイチは、ノートに熱心にメモを取っている。
「先週の消防署へ相談したところ『避難経路の誘導灯が見えないのはNGだ』って、ことで改善案を出したら、なんとかOKをもらえました」
「それは、ご苦労だったな、ありがとう……ところでステージの調整の方はどうだ?」
「はい、カズサ会長。まあ毎年そうなんですけど、体育館と中庭の特設ステージのタイムスケジュールはかなりタイトになっています。軽音部や有志のバンドやダンスサークル、それにお笑いグループの申し込みが増えて、抽選で数は減らしたんですけど、それでもうまく回るかどうか……」
「悩みのタネだね……どうかな、最近申し込みが増えているお笑いグループは、できれば生徒玄関脇のロビーに別会場を設けて、そっちに回ってもらうのは? オンラインでのアーカイブ動画もつけてあげて、再生回数が多いグループに賞を出すとか」
生活委員長の佐久間リョウが名案を出してくれた。
「よし、その線で行こう。放送部も、今年はネット配信に力を入れると言っていたから、きっと協力してくれるだろう」
「はい、わかりました!」
イベント担当のマサキが元気に答えてくれた。イベントは、様々な団体が参加し、人が多く集まる機会なので、なにかと準備には苦労するが、なんとか順調に進んでいるようだ。
「あの、特に今年はきちんと対策しておかなくちゃいけないなって思うことがあって……」
「ここでひとつ、私からみんなに相談を持ちかけねばならない」
マサキと私の発言が被った。
「ごめんごめん、佐野さん、先に話してくれ」
「カズサさん、ありがとうございます。今回一番デリケートな相談だと思ってるんですけど。すでに他校の生徒や近隣から『今年の外フェス、アイドルが出るんじゃないか』みたいな問い合わせやSNSの投稿もかなりあるみたいで。今年の外フェスのプログラムはまだ公表してないんですけど……例の、ネットの騒ぎの余波だと思います。入場制限や動画の撮影の禁止なんかは徹底した方がいいような気もしています」
やはりその件か。ユキヤがこの学校に転入してきたばかりの時から、彼は自ら進んで文化祭のステージに上がることを申し出てくれている。それを楽しみにしている生徒も大勢いる……もちろん私もその一人『だった』。しかし、状況は大きく変わり始めている。ユキヤからも所属の事務所からも、まだ公式なコメントは出ていないが、『ユキヤは実は女の子だった』という説は有力視され、ネットでも多く出回っている。幸いにも――というより、ユキヤの人間性がそうさせていると思っているが――彼のことを悪く言ったり誹謗中傷するようなコメントはほとんど見かけない。どちらかというと、がんばれ、とか応援してるとか、そういうポジティブなコメントが多い印象はある。とはいえ、何も対策をしないで彼のステージを敢行するわけにはいかない。やはり来場者数は増えるだろうし、あのインストアライブに出没した『迷惑系』な奴らはこういう機会を虎視眈々と狙っているだろう。
「私からの相談というのは、ユキヤ……今川雪夜君のステージは、キャンセルしてはどうか、ということだ」
「「「「「「え! そんな」」」」」」
やはり生徒会役員メンバーからのリアクションはこんな感じだ。
「その理由として、ひとつは佐野さんが懸念している通り、安全性の問題だ。現場での混乱、それからネットでの風評被害。その両方で大きなリスクがつきまとう」
「でも、マサキちゃんが言うように、入場制限やスマホ撮影の禁止など、俺たち運営の方でしっかり対策すればいいんじゃないのかな」
ケイイチの言うことはわからなくもない。でも私が最も恐れていることは別にあるのだ。
「私たちは、今川君の気持ちをしっかり考えてあげる必要がある。メジャーデビューというスタートラインに立った矢先に、ネットでのこの騒動だ。今後のことについて、何も発表がないこのタイミングで彼をステージに上げるのは、少々酷ではないか? しばらくそっと見守ってあげるのが、彼のためなんだと思う」
二学期が始まり、彼にまつわる騒動は、生徒たちの間でも十分知られているはずだ。各クラスの担任から、そして学期の始まりの全校集会で私から『いろいろとネットで騒がれてはいるが、彼のことは、この学校の生徒の一人として、君たちの仲間の一人として温かく見守って欲しい』と強くお願いしている。ユキヤは通信課程のクラスに所属していて、彼と会う機会が少ないということもあると思うが、生徒たちはみなその通りに振る舞ってくれている。外苑前高校の素晴らしい校風だと思う。
「確かに彼のことを考えると、カズサさんのおっしゃる通りかも知れませんね」
もう一人の副会長の沢田タクミがそうつぶやき、役員のみんなもうなずく。
「じゃあ、そういうことで今川君には遠慮してもらうよう連絡を……」
そう言いかけた時、生徒会室のドアがバタンと開いた。
「遠慮なんか、要りませんよ」
語気強くそう言い放ったのは、他でもない、今川雪夜だ。
彼の隣には、生徒会顧問の戸波先生も立っている。
「ユキヤ……君、どうしてここに?」
「カズサさん、いろいろ心配してくれてありがとうございます。でも、僕は大丈夫です」
彼は私の質問には答えずに、笑顔を見せた。
戸波先生が補足する。
「今川君から相談があってね、ぜひ会長さん、そして生徒会役員のメンバーに恩返しをしたいそうだ」
「みなさん、お願いです……三十分だけ、僕に歌う時間をください」
ユキヤが頭を下げた。
「で、でも、当日、会場の混乱が心配です」
イベント担当のマサキが不安そうに言う。
「早朝ライブをやらないか?」
「え!」
生徒会顧問の先生から、思いも寄らない提案があった。
「そ、早朝って……」
「文化祭二日目の朝六時……今川君からの提案でね……幸い学校の周りに住宅は無く、公園で隔てられてるから、騒音の苦情も出ないだろう」
「ろ、六時からやるのか?」私もその大胆な提案に驚き、ユキヤを見つめる。
「はい、その時間帯は『迷惑系YouTuber』の活動が一番鈍い時間帯でしょうし(笑)」
「あの、警備や誘導は?」マサキが心配する。
「ああ、ウチの先生方も早起きして協力するって言ってくれているし、もちろん、イベントの運営管理責任者は、和咲君、もちろん君だ」
「は、はい……」
「ああ、それから、今川君の所属事務所の社長さんからの申し入れがあってね、同社のスタッフさんも場内誘導のお手伝いをしてくれるそうだ」
「そ、それはありがたいですが……いいんですか?」
「ああ、転校の時以来、いつも今川君がお世話になっているお礼だそうだ」
「よーし、そうと決まれば、俺たち生徒会、『チームユキヤ』で頑張るぞ!」
お調子者のケイイチがそう言って手を上げ、シュプレヒコールを叫ぼうとしたところ、
「ケイイチ、遅刻するんじゃないわよ! あんたが一番ネボスケなんだから」とマサキに釘を刺されてコールは宙に浮いたままになった。



