「おや、今日はライブに出かける日じゃなかったのか?」
午前の散歩から帰ってきた父と玄関先でばったりと出くわした。思えばこのパターン、よくあるな。
「うん、そうだよ、今日は渋谷の東京タワーレコードでインストアライブ」
「その恰好で行くのか? 『サエキング・ファッション』じゃなくて」
「なんでその名前知ってるのよ!」
「ハハハ」
父は、娘の頭のてっぺんからつま先まで視線を動かした。今、私は学校に通う時の『マイ制服』、つまりスケバンの衣装を身にまとっている。
「……うん、今日は、ユキヤ君の……ただの推しや追っかけじゃなくて、しっかり守ってあげなくちゃいけないんだ」
彼は私の目を見つめた。
「そうか。いろいろと大変だとは思うが、お前が正しいと思う道を突き進め……まあ、俺が言うまでのことではないが」
「……ありがとう」
いつもそうだ。父はこういう時の勘が鋭い。私が小さい頃からずっと。きっと私に何かがあったってわかっている。でも、あれこれと助け船は出さない。必要な時だけ、必要最小限のアドバイスと激励。私にはそれが嬉しかった。心強かった。
「グッドラック!」
玄関を出る私に、いつものようにサムアップする。
私もサムアップしてそれに応える。
さあ、カズサ。決戦の時だ!
〇
渋谷の東京タワーレコードに到着すると、まず予約商品の受け渡しカウンター前の列に並ぶ。行列を作っている女の子たちはみんな、CALINのデビューアルバムを受け取っていた。そして、地階のイベントホールへと急ぐ。
私もスマホで予約コードを提示し、三枚のCDを受け取った。ジャケットデザインも収録されている曲目も、すでにネットで公開されているが、こうやって実物を手に取ると感無量だ。
アルバムのタイトルは、"Cross The Line"。全十二曲のうち、四曲の作詞作曲をユキヤが手がけている。このアルバムのリード曲も、彼の手によるものだ。それだけに余計不安が募る。もし、今回のネット上の騒動が大きな問題となった場合、このアルバムはどうなるのだろうか。そして今後のCALINの活動は? ユキヤはどうなるのか?……でも、それを決めるのは、レコード会社であり、ユキヤの所属事務所である。私が詮索してもヤキモキしてもしょうがない……私はただ、ウチの学校の生徒であるユキヤを守り、支える。精一杯それに専念するしかない。
〇
「あなたたちもライブのチケット、当たってたんだね。よかった」
整理番号順に呼ばれ、ロビーに入ると、人混みに紛れてジェミーとそるてぃの後ろ姿が見えたので、声をかけた。
「おう、そういうサエキングもゲットできたんか……って……あんた……だだだだだ、ダレ?」
振り返って話しかけてきたジェミーが私の恰好を見てギョッとし、言葉を失った。
その反応を不思議に思ったのか、そるてぃも振り返り、瞬間的に固まった。
「え⁉ あ! その声は……まさか」
二人は私に近づき顔をまじまじと見る。その距離ニ十センチ……近すぎだろ!
「そう、サエキングだよ。これが私の普段の姿だ」
「えっ、マジで? 昭和のスケバンじゃん! それ、ヤバすぎ」
「ほんと! でも、サマになっててカッコええわ」
……まあ、予想していたリアクションだ。この際仕方がない。
「でさ、なんで今日はその恰好なん? ……さては、例のネットの騒動でヤケになったか?」
ジェミーが少し憐れむように私を見つめる。
「たわけ! そんなことじゃない。今日は、サエキングではなくて、佐伯和咲として、ユキヤ君を守る、支える。そのためにここに来たんだ」
「え、サエキングの本名って佐伯和咲っていうの?」
いけない! 口が滑った。
「それは内緒にしておいて欲しい、いいな、そるてぃ」
「……いいけど、サエキング、スケバンの恰好してると、言葉遣いまで迫力あってちょっとヤバ怖いわ」
それも狙っての今日の私の出で立ちだ。
「それはそうとして、ネットで騒動が起きている最中だ。このライブ会場には純粋なファンが集まっていると信じたいが、何か不穏な動きをする奴がいたら私は私なりに手を下す」
「うわ、マジでスケバン入ってる! かっこよすぎだけど、暴力はだめだぜ」
「そんなことするものか」……実は、竹刀を持参するか、一瞬悩んだことは悩んだ。
係員の指示に従い、整理番号ごとに指定されたゾーンに立つ。偶然、ジェミーもソルティも同じ区画だった。ざっと見回したところ、神崎凛の姿は無かった。内心ホッとする自分が情けない。
会場のざわめきに聞き耳を立てる。ユキヤ……女の子……ラヴィ……ショック……雪ウサギ……マジ?……そんなキーワードがあちらこちらで飛び交っている。自分たちの推しがメジャーに羽ばたく喜び半分、ネットの噂への不安が半分。そんな空気が漂っている。
「あのさ、サエキング」
私の左隣に立っているそるてぃがちょんちょんと肩をつついてきた。
「なんだ?」
「あいつら、ちょっと怪しくなくない?」
彼女は客席の前の方を指さす。
そこには、この場に不似合いな、黒ずくめの男三人がいた。帽子を被り、黒いマスクをしている。上着になにが入っているのかわからないが、いくつもポケットがついていて、それが不自然に膨らんでいる。その姿は運営スタッフからは見えない。彼らもCDを買って、ライブに応募したのだろうが、確かに怪しい。
「いわゆる『サセン』(アイドルのプライベートを追いかけ回すストーカー)かも知れないな」
私は嫌な予感がした。
照明が落ち、ライブはMCが入ることもなく、いきなり始まった。
やや狭いステージに五人のシルエット。
彼らは正面からライトで照らし出され、踊り始める。
大歓声が起き、みんなペンライトを振る。
普段は楽器も演奏するCALINのメンバーだが、今日は、カラオケ仕様で、歌と踊りだけの披露のようだ。今回はミニライブ形式で、アルバムから三曲披露され、そのあと来場者が購入したCDへのサイン会がある。
新曲二曲が続けて演奏され、ここで初めて挨拶が入る。リーダーのマーシュ(ヒツジ&執事キャラ)からだ。
「みなさん、こんにちは! CALINのマシュですぞ。
……なんと熱いこと! みなさまの顔、一番後ろの人の表情まで、ちゃんと拝見しておりますぞ。まずは、ワタシたちのメジャーデビューをこうして同じ空間でお祝いしてくれて、感謝申し上げる次第でございます。メンバーの仲間たちは、ここに来るまで、楽しいことばかりではなくて、壁にぶつかったり、悩んだり、時には迷うこともたくさんありました。ですが、どんな時もワタシたちを繋いでくれたのは、音楽と、メンバーの絆と、なによりも、目の前にいるファンのみなさまの温かい笑顔でした。ワタシたちCALINは、誰がなんと言おうと、この場所で、ありのままの姿で歌って踊り続けます。今日はワタシたちからみなさんへの、精一杯の熱いラブレターをお届けしましょうぞ。心の準備はいいですかな?……受け取る準備、できておりますか? ラストの曲は、ワタシたちのセンター、ラヴィが心を込めて作ってくれた、このアルバムの大切な看板曲ですぞ。みなさまの心に、まっすぐ届きますように、どうかお聴きくだされ」
リーダーが『執事ことば』であいさつをし、五人は同時に頭を下げた。ネットの騒動については一言も触れなかった。
すぐさま、アルバムのメイン曲のイントロが流れる。
〈タイトル〉 境界線を脱ぎ捨てて
〈作詞・作曲〉 今川 雪夜
〈歌とダンス〉 CALIN
――――――――――――――――
♪~
Aメロ
似合ってるね
そう言ってもらえるのが
僕にとって ただの安心材料だった
誰かがプレゼントしてくれた
洋服 帽子 靴 かばん
君にぴったり 君らしいよ
そう言ってくれるのは うれしいけれど
いつのまにか それは
不安材料に 変わってた
問わずに いられない
Who am I?
Bメロ
紅の空 進んでいく電車
つり革につかまって
揺れている 僕
窓に映った隣の君が 教えてくれた
捨ててごらん そこからだって
No Border.
サビ
こんな服 脱いでしまおう
余計なものだらけのカバンは
放り投げよう
そこからだ
ほら 超えられっこないって思ってた
境界線なんて どこにもなかったんだ
やっとそれに 気づいた
今さらだけど ここから始まる 始めるんだ
I am Who I Will Be.
~♪
――――――――――――――――
ユキヤのメインボーカルのもと、CALINのメンバーは、美しいコーラスとそれぞれの身体能力を活かした踊りで、一体感と個性を十分に発揮し、短いながらも素敵なライブの時間をプレゼントしてくれた。
この曲の歌詞じゃないけれど、私は今さらながら、気づく。ユキヤが創り上げる歌は、決して想像の世界の話ではなく、彼の経験、そこで感じたこと、思ったこと……不安に期待に、決意。そんな心の叫びをずっと表現していたんだって。
歌い終わる直前、ユキヤが私に気づき、ウィンクした……ような気がする。私はただ、呆然と彼を見つめ、涙ぐむ。
〇
ライブ会場は、そのままCDのサイン会場となった。メンバー五人それぞれに設けられたカウンターごとに長蛇の列ができ、推しと一言二言会話をしながらサインをもらっている。もちろんジェミーはノワールの列に、そるてぃはシュガーの列に並び、サインをもらうと私にバイバイと手を振りつつ、係員に強制的に出口に誘導されていった。
私もユキヤの列に並ぼうかと迷ったが、なんとなく会場の様子が気になって少し離れてサイン会の模様を眺めていた。
一番長かったユキヤの列も最後の一人となったので、一安心してその場を離れることにした。今日はもう、このまま帰ろう。
スタッフが後片づけを始めた時、ちょっとした違和感を抱く。出口付近の黒い影のうごめき。ライブの時、前方に陣取っていた、あの黒づくめの三人組がユキヤの方に近づいてきたのだ。
ユキヤはそれには気づかず、私を見つけて微笑んだ。
「あ、カズサさん、今日はありがとうございました! ステージから見てましたけど、今夜の服装にはびっくりしましたよ……あ、CDのサイン、まだですよね? よかったら……」
私はユキヤの手を引き、ライブ会場のドアを開け、二人で通路に出た。
「ち、ちょっと、どうしたんですか?」
「怪しい奴らがこっちに向かっている……『サセン』かも知れない」
「え⁉」
通路に出たものの、なにせ初めて訪れた不案内な施設だ。奥に向かい、突き当りのドアを開けようとしたが、残念ながら鍵がかかっている。反対方向を目指そうか。きっとホールの出口に通じているはずだ。
そう思った矢先。
さっき私たちがこの通路に入る時に使ったドアがガチャリと音をたてて開いた。これはまずいな。
「ユキヤ君、悪いが、ちょっと我慢してくれ」
「え⁉」
私は、自分の超ロングスカートの裾を両手でまくると、ユキヤの頭からすっぽりと被せ、彼を隠した。……別にこれを想定して今日ここにスケバンスタイルで来たわけではない。
「ち、ちょっと……これ、ヤバいです!」
「しばらく、喋らないでじっとしていてくれ……それから動かないでくれ……コラ! 太ももに触るな、くすぐったいだろ」
そんなやりとりをしていたら、ドアから三人の男が姿を現した。やはりあいつらだ。鍵のかかったドアを背にした私に迫ってくる。
三メートルほど距離をとって奴らは私と向き合った。
「あのさ、さっきまでいっしょだったでしょ? ユキヤちゃんと?」
一人がぬめっとした声で尋ねてきた……ユキヤちゃんだと⁉
「さあ、知らないな、ここにいるのは私ひとりだけだ」
「そんなことないでしょ? 俺たち、あんたら二人がおててつないでここに来るの、ずっと見てたんだから」
「知らんと言ってるだろう! だいたいそのユキヤとやらを探してどうするつもりだ?」
今まで黙っていた小太りの男が口を開く。
「いやあ、今ネットで話題になってるでしょ? ユキヤちゃんが実は可愛い女の子ちゃんだって……本人からそのこと、ちょっと聞かせてもらいたいんだよね」
そいつの左手には、ハンディカメラが握られている。もう一人の男は黒シャツの胸ポケットからウエアラブルカメラが覗いており、もう一人はなんとヘアバンドで頭にカメラを括りつけている……ひょっとしたらこいつら、ライブ配信しているのかも知れない……いや、確かこの地下のライブ会場はネットを遮断しているはずだ。
「ひょっとして、お前らか? ユキヤについて心無い情報を拡散しているのは?」
「とんでもない! 俺たちは、その情報を見て『真相』を伝えるために取材をさせてもらっているだけさ」
「大して変わらん! とにかくここにユキヤはいない。さっさと帰れ」
その時、何のハズミか、ユキヤの手が私のお尻を触った。
「ひゃああ!」
変な声が出てしまった。ユキヤはもぞもぞ動き、スカートが揺れる。
「あれ?」小太り男がニヤリと笑う。
「ひょっとして、そんなところでかくれんぼしてるのかなあ?」
「ち……違う」
三人の男がじりじりと寄ってくる。
「ちょっと、顔だけでも見せてくんないかな」
「おい! これ以上近づくな」
「ユキヤちゃんを引き渡してくれれば、何もしないよ」
「ふざけるな!」
三人が一斉に飛びかかってきた。仕方ない。ここは柔術を使ってかわすしかない。
一人が正面から掴みかかろうと低く踏みこみ、残る二人が左右から同時に飛びついてきた。私は体捌きで自らの軸をわずかに右前方へとずらす。スカートの中にユキヤがいるので動きづらい。それでも正面の男は勢い余って空を切り、左右から飛び込んできた二人の男と衝突する形となった。三人は「ぎゅう」と情けない声を上げて折り重なった。もし彼らがカメラを回しているのなら、私が手を下すことなく、彼らが自滅したことを証明してくれるだろう。
こいつらどうしてくれようと思案していたら、いつの間にか通路の五メートル先に一人の女子が立っていた。
「あんたは、確か……」その姿に見覚えがあった。
彼女は首を傾げる。
「あなた、アタシのこと、知ってるの? スケバンに知り合いなんていないんだけどなあ」
「そんなことは、どうでもいい。ひょっとしてあんたか? ユキヤについて、あることないことネットに書きこんだ奴は?」
「あら、心外ねえ。アタシは『あることあること』、つまり事実しか書かないわよ」
「なんでそんなことをした?」
この女性は、以前ライブハウスでユキヤの魅力について、意見がぶつかり合った、いわゆる『同担』だ。あれ以来、関わりを持たないようにしていたが、SNSの裏アカで好き勝手書きまくっていると、ジェミーから聞いたことがある。ここでひっくり返っている三人の男はネットの仲間、いわゆる迷惑系YouTuberなのかも知れない。
「だってさ、ユキヤ君? ちゃん? に、おつきあいしてってお願いしたんだけど、返事してくんないし……だからちょっとイジワルしてみただけよ」
私は心底腹が立った。
「あんた、自分がいったい何をしたのかわかっているのか? 小さい頃から辛い練習を乗り越えてファンのために懸命に歌ってくれる、CALIN、そしてユキヤ君の努力と才能を踏みにじったんだぞ」
「だってユキヤ君、私の愛を踏みにじったのよ?」
「ゆ、歪んでいる……」
私は一歩前に出ようとした。彼女の胸ぐらをつかもうとした時、私のスカートからユキヤがモゾモゾと這い出してきて、私の腕を両手で抱き抱えた。
「ユ、ユキヤ……」
「カズサさん、いいんだ……ここまでにしよう」
「ど、どうして?」
「この子の言う通り、僕の秘密は、遅かれ早かれ、わかってしまう……それを隠していたのは僕だ……僕にすべての責任がある」
「とはいえ、君の役回りについて、事務所との取り決めもあったんじゃないのか?」
「確かにそうだけど、それだっていつか終わりがくることはわかっていた……だから、これからのことは、僕と事務所が話し合って決める」
メジャーデビューを果たしたばかりで、レコード会社との契約もあるだろう。ユキヤは厳しい状況に追い込まれているはずだ。でもそれにしっかり向き合おうとしている。
「わかった。ユキヤ君の意思を尊重する。そして、君のためなら、なんでもする。どんなワガママでも言ってくれ」
それを聞いていた『同担』の女子が苦笑いしながら言った。
「あら、どんなにユキヤに取り入ろうたって無理よ。だって、『この女の子、女の子には興味がない』んだから」
「あんたなあ……少しは彼の身になって想像したことはあるのか? ユキヤ……ユキヤ君がどれだけ悩み、辛い思いをしているのか……それでも、ファンや仲間たちのことを第一に考えて……」
食ってかかる私と同担の間に、ユキヤは割って入った。
「カズサさん、いいからいいから」
そう言って、彼は同担に向き合った。
「僕は、君が『一人のファン』でいてくれるのなら、これ以上もう何も言わない。それから別に女の子に興味がないわけじゃない。だって実際、僕はカズサさんのことが大好きだし……愛してる……カズサさんが僕のことをどう思っているのかは知らないけどね」
「え⁉」
い、今ユキヤ、なんて言った? 私のこと大好き? 愛してる? 「僕のことをどう思っているのかは知らないけど」って、この間強制的にコクらされたばっかりじゃないか!
それを聞いた同担の子からひゅるひゅると戦意が喪失するのが手にとるようにわかった。彼女は両手を肩の高さで広げると「しょうがないわね」と言って、もぞもぞと動いている三人の男からカメラを取り上げ、通路の反対側に歩き始めた。
「今、ここのスタッフ呼んでくるから、あんたたち二人は出てっていいわよ」
今度は私がユキヤに手を引かれて、その場を後にした。
ライブ会場に再び戻ると、そこは照明がほとんど消され、人は誰もいなかった。
いきなりユキヤが振り返って言った。
「前にも言ったかもしれませんが、ウチの事務所、恋愛は禁止されてないんです」
そう言うと彼は私の頭に両腕を回し、私の唇に、冷たい唇をあてた。
そこから伝わってくる。
男であり、女であり。
シンガーであり、ダンサーであり。
子供であり、大人であり。
天使であり、悪魔であり。
そして、
優しさであり、悲しさであり。
二つの異なる性質のものが、彼の中で一つに融和していることが。
それが彼の魅力であり、孤独なんだって。
「ユキヤ……やっぱりあなたは……小悪魔」
私が言葉にできたのは、それだけ。
彼の細い体に腕を回し、冷えた唇に、冷えた体に、冷えた心に、精一杯の熱を伝えようとした。



