月影の皇子は女房腹の姫を選ぶ


   

 雨の降る夕べ、綾は薫物の調合に取りかかっていた。
 沈香、丁子、甘松。細かく砕いた香木を、練り蜜で合わせていく。けれど、どうにも香りが定まらない。


「……もう少し、ゆるやかに」


 背後から、低い声が落ちた。
 朔夜が、綾の手元をのぞき込んでいる。そう気づいたときには、彼の手が、綾の手にそっと重ねられていた。


「こう、円を描くように。急ぐと、香が尖ります」


 大きな手だった。乾いていて、温かくて剣を握る人の硬さがあった。導かれるまま、綾の手はゆっくりと蜜を練っていく。
 息が、うなじにかかる。
 近いと思った。思ったとたん、匙を持つ指先から力が抜けた。

「綾姫様?」

「……いえ。なんでもありません」

「お顔が、赤いようです」

「雨で、火鉢の熱がこもっているのです」


 朔夜は、少しだけ間を置いてから、静かに手を離した。


「失礼いたしました。出過ぎたことを」


 その声が、いつもよりほんのわずかに低かった。
 離れた手の熱は、いつまでも消えなかった。出来上がった薫物は、雨の夜に、しっとりと甘い香りを立てる。朔夜が、目を細めて言った。


「よい香です……姫様の、お心のようで」


 綾は返事のかわりに、慌てて香炉の蓋を閉めた。襖の陰で菖蒲が声を殺して悶えていたことを、綾は知らない。