月影の皇子は女房腹の姫を選ぶ




 朔夜が綾付きになって、七日が過ぎた。

 はじめのうち、綾は彼を警戒し続けた。父の目である以上、何を話しても筒抜けになると思ったからだ。けれど七日のあいだ、朔夜は父へ何かを報告した様子もなく、綾が頼んだことだけを、黙って、正確にこなした。
 そして綾は、少しずつ奇妙なことに気づいていく。

 歌を詠みあぐねて筆を止めていると、傍らで、下の句にふさわしい古歌の一節がふと低く口にされる。
 薫物の調合を誤りかければ「黒方には、もう少し沈香を」と責める色もなく静かに言い添えられる。客人を迎える折の座の順、頭を下げる深さ、扇の持ち方。どれも、家人が知っているはずのない、宮中の作法だった。

 明け方には、庭の隅から風を切る音がした。のぞけば、朔夜が弓を引いている。放たれた矢は、一本も的の中心を外さなかった。

「……どこで、学ばれたのです」

 あるとき尋ねると、朔夜は弓を下ろし、少しだけ視線を逸らした。

「昔、少し」

 それきりだった。過去を語らない人なのだ、と綾は察した。詮索しないことは、この邸で生きるために身につけた知恵のひとつだった。
 翌朝から、綾は、明け方の庭へ、水を入れた竹筒を持って出るようになった。


「姫様が、なさることでは」

「あなたが、毎朝、射っておられるから。喉が渇くでしょう」


 朔夜は、目を丸くした。それから、少し困ったように笑って、竹筒を受け取った。
 汗を拭うための布を、綾がためらいながら差し出すと、朔夜の指先が、その端に触れた。ほんの、一瞬だった。
 二人とも、同時に、手を引いた。


「……失礼を」

「いえ。私こそ」


 朝の光のなかで、朔夜の耳が赤かったことに、綾は、気づかなかったふりをした。自分の頬も、きっと、同じ色をしていたから。
 それでも、気づいてしまうことがある。朔夜は、ふとした折に、門のほうを見る。誰かを待つように。もう来ないかもしれない誰かを、それでも諦めきれずに待つように。