朔夜は、その文を静かに読み、懐に納めた。
「命に代えても」
誰にともなく呟いた声には、揺るぎない誓いがあった。離宮では、その年から毎年あの夜の供養の灯が焚かれることになった。灯のなかには、女御の兄の名もあった。
砕けた勾玉の欠片は、二つの小さな守り袋に分けられ綾と朔夜の胸元にそれぞれ収まった。約束の形見でも、呪いの縄でもない。
二人が選んだ、証として。
翌朝。綾が目を覚ますと、隣に朔夜の姿はなかった。
代わりに、枕元に一通の文が置かれていた。後朝の文だった。震える指でそっと開く。流れるような筆跡がそこにあった。
月影に 見失ひし手を 結びおき
今宵よりなお 君を迎へむ
幼い日の、あの小屋。差し出された痩せた手。見失ったたったひとりの少年の手を長い年月の果てにこうしてもう一度結び直した。
そして今宵より、いっそうあなたを迎えよう。
そう読んで綾は目を閉じた。あの約束が十年の果てにやっと、ひとつの形になった。胸の奥にあたたかな光が満ちていく。
――母様。私は、咲く場所を、自分で選びました。
文を、胸に抱いた。
障子の向こう、朝の庭に白い衣の後ろ姿が見えた。朔夜は、池のほとりで空を見上げている。細い月がまだ淡く空に残っていた。
綾は立ち上がった。縁を渡り庭へ下りる。朝露に濡れた草を踏んで、まっすぐに彼のもとへ歩いていく。
振り向いた朔夜が、笑った。
かつて、誰かに与えられるだけだった姫は、月の下で初めて自分の手で愛する人を選んだ。
(了)


