月影の皇子は女房腹の姫を選ぶ





 綾は、少女の前にしゃがみ込んだ。目の高さを、合わせて。


「お名前は」

「……小百合、と申します」

「小百合さま。お腹は空いていますか」


 少女はこくりと頷いた。その途端、目から大粒の涙が、ぽろぽろとこぼれた。


「ここは、誰かに与えられる場所ではありません」


 綾は、優しく言った。


「あなたが選んで、いていい場所です。いたいだけ、いてください。出て行きたくなったらそれも、あなたが決めていい」


 小百合は、しゃくりあげながら何度も何度も頷いた。
 通りがかった朔夜が、遠くからその光景を見ていた。彼は何も言わず、ただ静かに微笑んでいた。
 その夕べ、日がな一日薬草の仕分けに追われた綾は縁でぐったりと座り込んでいた。


「綾」


 振り向くと、朔夜が盆を持って立っていた。盆の上には湯気の立つ椀がひとつ。


「……それは」

「粥です」


 朔夜は、どこか自信なさげに椀を差し出した。


「鷹臣に教わって、自分で炊きました。米が少し、硬いかもしれません」

「あなたが炊いたのですか」

「はい」


 椀を受け取り、ひと口含む。米は確かに少し硬かった。
 塩気も足りない。けれど胸にじんわりと熱いものが広がった。


「……おいしい」

「本当ですか」

「えぇ」


 朔夜は安堵したように微笑み、綾の隣に腰を下ろした。


「あの日、あなたはご自分の分の粥を私に分けてくださいました」


 静かな声だった。


「今度は私の番です。少しずつ、返させてください。一生かけて」


 綾は椀を握ったまま、俯いた。頬が熱い。


「返しきれませんよ。私はずいぶん、たくさん……」

「それでも」


 朔夜は綾の髪についた乾いた薬草のかけらを、指先でそっと払った。


「返しきれなくても、構いません。一生、お傍で返し続けますから」


 庭の陰から、顔を真っ赤にした菖蒲が覗いていた。鷹臣に袖を引かれて連れ戻される音が、遠くでした。
 夜になれば、綾は薬草の香を焚き屋敷の隅から聞こえる小さな声に、耳を傾けた。


 ――つらい、つらい。


 あの細い声も、いまではほんの少し穏やかになっている。


「ここは、寒くないでしょう。ずっといていいのよ」


 声は、ふわりと、灯のように揺れた。