夜が明けても痣は消えなかった。離宮の奥の一室で、綾は襟元を整えながら朔夜と鷹臣の話を聞いていた。鷹臣は昨夜の冷ややかさをそのままに腕を組んで壁際に立っている。
「この痣は月影の呪詛。あなたの勾玉を媒体にして私の霊力を吸い上げるための印です」
朔夜の声は努めて落ち着いていた。
「三夜ののち月蝕が来ます。月神の力が最も弱まる夜に呪詛は熟し魂を器にして私の力を根こそぎ奪い去る。そして、器となる者は月の血を持つ皇子に魂を結ばれた女でなければならない」
「魂を、結ばれた……」
「あなたが私にとって何よりも大切な存在だと、女御は見抜いたのです」
鷹臣が、低く口を挟んだ。
「藤壺の女御は、綾姫が若君の弱みだと見抜いておられる。だからこそ狙った……若君、お気持ちはわかりますがもはや猶予はございません」
「わかっている」
朔夜は、綾へ向き直った。
「あなたを、宮中から逃がします。鷹臣に手配させる。北の山に私の母方の者が守る里があります。呪詛は、術者から遠ざかるほど弱まる。あなたが安全な場所にいれば――」
「お断りします」
綾は、静かにけれどはっきりと言った。朔夜が目を見開いた。
「綾」
「もう、誰かに決められた場所へ行くのは嫌です」
自分の声が、部屋に凛と響くのを綾は不思議な気持ちで聞いていた。
「父の決めた邸。父の決めた後宮。……そして、あなたが決めた里にも。あなたが私を守ろうとしてくださることは、わかっています。けれど、私の居場所を私抜きで決められるのはもう、たくさんなのです」
朔夜の顔が、痛みをこらえるように歪んだ。
「私は、あなたにそれを強いようとしたのか」
「いいえ。あなたは、私を想ってくださった。ただ、その想いの行き先を私にも選ばせてほしいのです」
綾は朔夜の目をまっすぐに見つめた。
「私を、逃がさないでください。あなたと一緒に、この呪詛を解かせてください。……守られるだけの姫のままで終わるのは、いやなのです」
長い沈黙が、部屋を満たした。やがて、壁際で鷹臣が小さく息を吐いた。
「……覚悟のほど、拝見いたしました」
険しかった眼差しが、ほんのわずかに和らいでいた。
「そこまで仰せならば、私も力を尽くします」
綾は、さらに続けた。
「それから、お願いがございます。呪いの声は私の耳に届きます。その声の正体を聞き、鎮める香を調合したいのです。千草さまに、薬草を分けていただけますか」
鷹臣は目を見開き、それから深く頭を下げた。
「手配いたします」
鷹臣が下がると、部屋には二人だけが残った。
朔夜はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。


