居間を辞して庭に下りると、背後に足音がついてきた。
綾は立ち止まり、振り返らずに言った。
「父上のお言いつけは、聞こえておりました。見張るのがお役目なら、どうぞご随意に。ただ、私に取り入ろうとなさる必要はありません。得るものなど、ございませんから」
沈黙があった。やがて衣擦れの音がして、朔夜が庭の土に膝をついたのが分かった。
「私は、綾姫様のお傍を守るために参りました」
低く、澄んだ声だった。
「それ以外の務めは、私にはございません」
思わず振り向くと、彼は深く頭を下げていた。見張る者の目ではなかった。命じられたから言っているだけの、形ばかりの口上にも聞こえなかった。綾は返す言葉を見つけられず、胸の奥が小さくざわつくのを、ただ持て余した。
咲き残りの桜を見上げようと、築山の脇の小道に入ったときだった。低く垂れた枝を避けようとして、綾の袖が枝にかかった。首から下げていた細い紐が引かれ、ぷつりと切れる。
衣の内から、小さな白いものが滑り落ちた。
――あ。
石の上で砕ける、と思った瞬間、それは地面に着く前に、ひとつの手のなかにおさまっていた。
朔夜だった。数歩は離れていたはずなのに、いつ動いたのか、綾には見えなかった。
「お怪我は」
「……いいえ。ありがとうございます」
差し出された掌に、月の形をした白い勾玉が載っていた。幼いころから、綾が肌身離さず持ち歩いてきた、たったひとつの宝物だった。


