月影の皇子は女房腹の姫を選ぶ




「そして私は、この国の帝の庶子にございます」


 綾は、息を止めた。
 家人の装いを脱いだ彼は、確かに、ただの人ではなかった。立ち居振る舞いの端々に感じていた違和が、ひとつの答えへつながっていく。


「母は、月神の血を引く巫女の家の出でした。帝は母を愛しましたが、私を世に公にはなさらなかった。この離宮は、母と私が暮らした家です。ですが、宮中には、月神の加護を受ける皇子を邪魔に思う者たちがいた」


 朔夜は、遠い水面を見つめた。


「あるとき、この離宮が襲われました。追手に囲まれた夜、幼い私のなかの月の力が、初めて暴れたのです。青白い炎が離宮を呑み、追手も、その場にいた多くの者も焼いてしまった」


 綾は、息を呑んだ。朔夜は、その視線から逃げずに静かに続けた。


「母は、私の手を引いて炎のなかを逃げました。妖は月の血に惹かれます。追手と妖に挟まれて、私は母とはぐれ、傷を負い……山あいの村の古い小屋で倒れました」


 綾の胸の奥で、何かが小さく鳴った。


「そこで私を見つけたのが、あなたでした」


 古びた小屋。母の里に身を寄せていた、幼い夏。裏山の小屋でうめき声を聞き、恐る恐る覗いた先にいた血と泥にまみれた少年。


「あなたは、誰にも告げず毎日、粥を運んでくださった。ご自分の分を分けて」

「……あなたは、泣いていました」

「怖くて、痛くて、母に会えなくて。あのとき、あなたは私の頭を撫でて『泣かないで』と言ってくださった。私はあなたを、姉さまと呼びました。あんなに温かい手に触れたのは初めてだったのです」

「あのとき、私は十、あなたは十二でいらした。二つ年下の私には、あなたが、本当に姉のように見えたのです」


 朔夜は、そっと胸元に手を当てた。


「数日後、母方の者たちが私を迎えに来ました。別れの日、私はこの半月の勾玉の片割れをあなたに渡した。必ず見つけると約束して」

「母が月神に祈って、ひとつの石を二つに割りました。離れても互いを見失わぬようにと」


 綾は、はっとした。だから、この石は彼の傍にいると温かくなるのだ。自分の掌のなかの勾玉を見つめた。十年ものあいだ、顔も名も忘れていた少年のただひとつの形見だった。


「母は、それから数年後、逃亡の暮らしに疲れ果てて世を去りました。そのとき、私に残されたのは、あなたとの約束だけでした」


 朔夜は、淡く微笑んだ。


「手がかりは、この勾玉と村の名と、あなたがご自分を藤原の子だと話されたこと。それだけを頼りに長い間、探しました。そして藤原家の邸に女房腹の姫君がおられると知ったのです」

「……だから、家人として」

「はい」


 綾のなかで、何かが崩れた。それは安堵にも似ていて、けれどそれ以上に、激しい怒りだった。


「見つけていたなら、なぜ名乗ってくださらなかったのです」


 自分の声が、震えているのがわかった。


「私は、あなたを疑いました。父の目だと。私を見張るために置かれた者だと。あなたが私の前で膝をつくたび、私は……」


 涙がこぼれた。悲しいのか、悔しいのか、自分でもわからなかった。


「あなたはすべてを知っていて、黙って、私に仕えていたのですね」

「……申し訳ございません」