綾は薬草を煎じて痣に当て、手のひらを添えた。すると、かすかな声が聞こえた。
――月を……奪え……月を……
背筋が凍った。
「そこまで」
冷ややかな声が、背後から降ってきた。
振り向くと、絹の衣に身を包んだ女房が三人、廊に立っていた。中央の女は鋭い目で綾を見下ろしている。
「その者は、藤壺の女御様のお咎めを受けた者。余計な手当てをしてはなりません」
「……お咎め?」
「どこの家の女房かは存じませぬが」
女の視線が、綾の胸元で止まった。
「その勾玉。どこで手に入れました」
綾は、無意識に胸元を押さえた。女たちが、じり、と距離を詰める。
「見慣れぬ石ですこと。こちらへお渡しなさい」
「これは、私の」
伸びてきた手が、綾の襟をつかんだ。
その瞬間、胸の奥で勾玉が白く光った。
眩い月光のような輝きが弾け、女房たちが悲鳴を上げて後ずさる。光は廊を駆け抜け、奥庭へ続く回廊の暗がりへ走った。
見えない壁が、硝子のようにゆっくりと砕けていく。
結界が、開いた。
その向こう、青白い月光に満ちた奥庭に、ひとりの男が立っていた。
家人の質素な装いではなかった。月光を織りなしたような、月白の狩衣。まっすぐに伸びた背筋、その面差しには、かつて見たことのない、静かな威厳が宿っている。
けれど、綾を映すその目は。
朔夜のものだった。
女房たちは蒼白な顔で後退り、やがて逃げるように去っていった。
男は、ゆっくりと綾のもとへ歩み寄り、その場に膝をついた。
「お迎えに参りました、綾姫」
深く、頭を垂れる。
綾は、震える唇で問うた。
「あなたは……誰なのですか」


