寝殿の奥、父の居間に通されるのは、いつ以来だろう。
兼雅は脇息にもたれ、綾の顔をろくに見ようともしなかった。その傍らには、見慣れぬ男が控えている。
「今日から、この者をそなたに付ける。朔夜という。腕が立ち、口も堅い。近ごろは物騒ゆえ、身辺を守らせよう」
守らせる、と父は言った。だが続く言葉は、男へ向けて声を落として吐かれた。
「余計なことをさせぬよう、よく見張れ」
それは、綾の耳にもはっきりと届いた。朔夜と呼ばれた男は、深く頭を下げたまま、眉ひとつ動かさなかった。
綾は、その人をはじめて正面から見た。
二十歳になるかならぬか、であろうか。すらりとした長身に、飾り気のない家人の装い。伏せた睫が頬に影を落とし、整った面差しは水のように静かだった。年若いのに、不思議なほど落ち着いている。ただ、家人にしては、座る姿があまりに美しい。背筋の通し方も、膝の揃え方も、宮中の礼法を骨の髄まで染み込ませた人のそれに見えた。
監視役だ、と綾は悟った。
婚礼のあいだに、私が何か騒ぎを起こすとでも思っているのだろうか。それとも、私が家中の厄介者であることを、はっきり示しておきたいのか。
「……承知いたしました」
綾は静かに頭を下げた。感情を面に出さぬことだけは、この邸で覚えた術だった。


