三日後、綾は宮中へ上がった。父は、目も合わせずに言った。
「薬司の女房の口を見つけた。姫としてではない。ただの女房として励め」
出立の朝、菖蒲は、門まで追いかけてきて、綾の手に小さな包みを押しつけた。
「姫様のお好きな、梅の砂糖漬けです。辛くなったら、召し上がってください。それから、文を、必ずくださいませね」
「菖蒲、あなたが泣いたら、私まで泣いてしまうわ」
「泣いておりません! これは、花の粉です!」
綾は、笑いながら、泣いた。
与えられた務めは後宮の薬房の隅で薬研を挽くことだった。かつて姫と呼ばれた者が、袖をたすき掛けにして薬草を挽く。
同じ房の女房たちは、聞こえよがしに囁き合った。
「藤原の姫君が、薬草挽きですって」
「女房腹だそうよ。似合いでしょう」
茶を差し出されて受け取ろうとすると、わざと肘を当てられ、袖がすっかり濡れた。
「あら、ごめんあそばせ。姫君ともあろうお方が、そんなところにいらっしゃるから」
綾は黙って袖を絞り、薬研を挽き続けた。屈辱には、慣れていた。けれど胸のどこかに、これまでなかったものが小さく灯っている。ただ黙って耐えるだけの自分でいたくない、という思いだった。
その日の暮れ、薬房を束ねる年老いた女房が、無言で綾の袖に、干した杏をひとつ落として去っていった。振り返ったときには、その背は、もう遠かった。
懐の勾玉が、いつもより温かかった。そんな日々のなか、菖蒲から文が届いた。
取り次ぎの女官が、汚いものでも扱うように差し出した紙には、丸みを帯びた懐かしい文字が並んでいた。
――姫様、お元気でいらっしゃいますか。菖蒲は、毎日、姫様のお部屋の畳を拭いております。
そんな書き出しで始まる文は驚くべき知らせを、たどたどしく伝えていた。
――朔夜さまを乗せた荷車は、三日目の夜、山道の宿で、朝には空になっていたそうです。見張りの者たちは、朝まで、ぐっすり眠っていたとか。あの目つきの鋭い若い家人の方も、姿が見えぬそうで殿は烈火のごとくお怒りです。
綾は、声を出して笑いそうになり、慌てて口を押さえた。
――それから、姫様。どうか、ご無理をなさらないでください。菖蒲は、お戻りを待っております。
文を読み終えて、綾は懐の勾玉を、そっと握った。
逃げたのだ。あの人は荘園へなど行かなかった。
どこにいるのだろう。無事だろうか。あの言葉は、本当なのだろうか。
答えのない問いを抱えたまま、綾はその夜も、薬研を挽く手を止めなかった。


