月影の皇子は女房腹の姫を選ぶ


   

 庭の奥、築山の陰で、綾は立ち尽くしていた。
 泣いてはいなかった。泣き方を、忘れてしまったのかもしれない。ただ、胸のあたりが空っぽで風が通り抜けていくようだった。
 足音がして振り返ると、朔夜がいた。彼は少し離れたところで立ち止まり、それ以上は近づかなかった。


「……お聞きになりましたか」

「ええ。全部」


 綾は、ようやく笑うことができた。ひどく、力の抜けた笑みだった。


「あなたは、家人でいられなくなりますね。私のために」

「……」

「なぜですか」


 問いが、自分でも思いがけず震えていた。


「なぜ、私のために、家人の立場を失うのですか。黙って殿の言うことを聞いていれば、それで済んだのに」


 朔夜はすぐには答えなかった。
 ただ、ゆっくりと自分の襟元に手を差し入れ、細い組紐に通されたものを取り出した。
 掌に載せられたのは、淡い光を宿した、白い半月の勾玉だった。
 綾は、息を呑んだ。

 震える手で、自分の勾玉を取り出す。並べて見るまでもなかった。石の色も、艶も、削られた曲線も、まるでひとつの月を二つに割ったかのようだった。

 二つの石が近づくと、綾の勾玉が、かすかに温かくなった。
 朔夜は何も言わなかった。答えは、その掌の上にあった。


 ――そのとき、遠い記憶の蓋が、音を立てて開いた。


 古びた小屋。傷だらけの少年。痩せた手のなかに、握りしめられていた小さな半月の石。
 少年は、声を震わせながら、幼い綾の手にもうひとつの石を押しつけた。


 ――必ず、見つける。


 綾は、呆然と目の前の人を見つめた。


「……あなたは」



 唇が動いた。けれどその先を綾はまだ、言葉にすることができなかった。