冥府後宮で十五年、幼馴染は白狼帝になって迎えにきました

「というわけで、私は冥府に取り残されてしまったのです」
「——ははは、お前の話は、いつも面白いな」
「笑い事ではありません、とと様!」

 あれからどれだけの時が経ったのだろう、空のない冥府では時の流れがわからない。
 たった一人取り残された冥府で、私は彷徨い続けた。
 けれど私は不幸な子供であり、幸福な子供でもあった。

「現世では貴族の娘であったのだろう? 何故に知らぬ場所の菓子など食べる?」
「冥府の帝たる、とと様にはわからぬでしょう。飢えた者の気持ちなど」

 黒の髪の美しい男性が笑う。褐色の肌は艶めき、金色の瞳がにこやかに細められた。
 冥府を統べる帝王、夜魔(やま)大帝。私は彼の養女として保護された。
 冥府の王とは、どれだけ恐ろしいかを現世の父様に散々教えられてきたけれど、実際会ってみると娘を溺愛する、とても優しいひとだった。
 私に冥府の理を教え、導き、育んでくれた——といっても、時の流れがわからない冥府では私は年を取らない。
 どれだけの時を共にしているのかはわからないけれど、「いつまでも良き子であれ」とのとと様の願いのまま、私は十歳の体のまま過ごしている。

「あれは結局、なんだったのでしょうか」
「さてな、妖に化かされたか、陰謀に巻き込まれたか、はたまた——」
「……でも、とと様に出会えてよかったです」
「朕がそう望んだからな」
 
 「とと様」と呼べば、険しい顔を緩めて笑ってくれる。その笑顔が好き。見ていると、怖いものなど何もないと思える。

「黄泉竈食ひ——冥府の竈で煮炊きしたものを食べれば、二度と現世には戻れない」
「ああ、もっと早く知っていればよかった」

 とと様は既に私にさまざまなことを教えてくれている。
 冥府の川を渡ってはいけないこと。
 冥府後宮には妖の名を冠する妃が多く囲われていること。
 妖と人の理は、天と地のように交わらず、何もかもが違うことを。
 
「——ああ、朝が来た。今日はもう帰ろう。お前も眠りなさい」
「朝だなんて、太陽はどこにもございませんよ。それに朝に眠るなんて、あべこべです」
「朕が朝と言えば朝になり、夜と言えば夜になる。朝に眠り、夜に働く。全て朕の思うままよ」

 ふと窓を見て、とと様は朝の訪れを告げる。すると不思議なことに朝を告げる鶏が鳴き、犬が元気に吠え出すのだ。
 この冥府で起きることは全て夜魔大帝の思し召し。今この瞬間に夜が欲しければ、一声発せば夜の虫が鳴き出すだろう。

「現世で朕を呼ぶ声が減ったな」
「声?」
「祈りだ。神も妖も、忘れられれば弱るものよ」
 
 いつもなら、とと様は振り返らずにご自分の宮にもどっていく——たまに、ぎゅうと抱きしめて添い寝をしてくれることはあるけれど。
 けれどどういうわけかその日は、とと様は名残惜しそうに玄関で立ち止まった。
  
「……今宵、星が落ちる。お前はその時、何を導として進む?」
「いやですわ、とと様。冥府に星はございません」
 
 それはいつもの謎かけだろうか。
 私はくすりと笑って答えを探す。天のない冥府で星が落ちる、それはつまり——

「巨星落ちる——現世でどなたか高貴な方が亡くなられたのでしょうか」
「さあどうだろう。答えはいずれわかるさ」

 ちゅ、と音を立ててとと様が額に口づけをする。
 くすぐったくて身をよじると、愛おしそうに頭を撫でられた。
 
「おやすみ。朕の可愛い子」
「おやすみなさい、とと様。明日もお話、沢山してください」
 
 そう言って別れを告げる。いつもの朝、いつもの光景。
 けれど、いつもの明日は、私たちにはやってこなかった。