冥府後宮で十五年、幼馴染は白狼帝になって迎えにきました

「あなたを殺したのは——私……」

 私が炎の中で答えた。
 狼となった太狼を強く抱きしめ、己の罪に震える。
 そうだ、私が太狼を孤独にした。太狼を苦しめた。太狼を変えてしまったのは、私だった。

「メイ……カ……」

 太狼が唸る。ああ、私は化猫に。太狼は狼に。己の本性が体を変えている。
 私たちは異形の姿のままぎゅっと抱きしめ合う。
 迫りくる炎が、今度こそ私たちを焼こうとしていた。
  
「違うな。また間違えたぞ、冥花」

 けれど、炎が私たちを焼くことはなかった。
 炎の爆ぜる音に混じって、低く威厳のある声が響いた。
 声の主を探して視線を落とすと、足元にいたあの黒猫が、金色の瞳で真っ直ぐに私を見上げていた。

「え……その声はまさか……!」
「九尾妃、貴様は本当に底知れぬ欲を持つ……」
 
 九尾妃が悲鳴のような声を上げる。
 黒猫はふああ、とあくびをしながら呆れたようにつぶやいた。
 この穏やかな声を、私は知っている。
 
「とと様……?」

 この黒猫はとと様——夜魔大帝だ。

「夜魔大帝、生きていたの!?」
「朕の可愛い子を、見守らぬわけがなかろう」
「ええい、しつこい! この小賢しい獣どもめ、まとめて灰にして潰してやる!」
 
 私たちが生きていることに気づいた九尾妃が、激昂して再び青白い狐火を巨大化させる。
 しかし、黒猫は炎を前にしても微動だにしなかった。

「愚かな九尾妃め。この冥府における絶対の力とは、現世の『信仰』に依るもの」
 
 黒猫がしっぽを揺らし、私を見上げる。

「ならば次代の帝は——冥花だ」
「え……?」

 その瞬間、私の身体から目も眩むような白銀の光が溢れ出した。
 私を包む光は、あまりにも温かくて、巨大だった。
 そうだ。太狼は現世で将軍となり、この十五年間、現世のすべての民に『十歳の女帝・冥花』を神として信仰させていた。現世の人々の祈りと、太狼自身の狂おしいほどの執念。それがすべて、冥府にいる私の力となっていた。

「そんな……こんな子供が、帝の力など持てるものか!」
「現世では女帝だった者。当然、この地でもその力を得るであろう」

 九尾妃が怯んだように後ずさる。私は光を纏いながら、凛と立ち上がった。
 今度こそ間違えない。
 私は——女帝になる。

「九尾妃。私の父母を奪った仇。そして何より、私の大切な太狼を傷つけ、貶めた罪——お前は、ただの狐に戻りなさい!」

 私が新たな力と共に命じた瞬間。
 九尾妃の身体を覆っていた妖気が霧散し、彼女は一匹の狐へと姿を変えた。
 
「キャインッ!」
 
 全ての力を失い、ただの獣に戻ってしまった九尾妃。それに従っていた妖たちも次々と小さな狐に戻ってしまい、狼となった太狼の姿に恐れをなして、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
 炎が消え、宮に静寂が戻る。

「とと様! お願い、太狼が……!」

 私は慌てて黒猫の前に跪いた。私の力で炎は消せたが、太狼の姿はまだ狼の姿のままだった。
 私にはまだ、冥府の力を完全に使いこなすことができない。

「案ずるな。冥花、お前たちがふたつの謎かけに見事答えれば、すべての願いは叶う」
 
 黒猫が厳かに告げる。

「ふたつ? それは——」 
「一つ目の問いだ。『白狼帝を殺した者はだれか』……さあ、その答えやいかに」

 私は、狼となった太狼を見つめた。
 私が彼に過ちを犯させ、彼自身もまた、私を殺すという道を選んで間違えた。どちらか一人の罪ではない。

「答えは……『ふたり』」
 
 私は狼となった太狼の頬に両手を添え、額を寄せ合った。

「私が彼に過ちを犯させ、太狼も間違えた。答えは、私たち二人です」
「——正解だ」

 黒猫が頷いた瞬間、太狼を包んでいた黒い靄が晴れ、彼は元の美しい白銀の髪を持つ、大人の白狼帝の姿へと戻った。
 
「太狼……!」

 私は堪えきれずに彼の胸に飛び込んだ。太狼は力強く私を抱きしめ返す。

「冥花!」
「ああ、太狼。よかった。もう戻らないのかと——」

 太狼の体は温かく、大きい。ふわりと漂う香りは大人の男のもの。
 けれど私にはわかる。彼こそが太狼。私の愛しい幼馴染、そして、大好きな人。
 
「そして、もう一つの問いだ」

 黒猫が静かに尋ねる。

「今宵、星が落ちる。お前はその時、何を導として進む?」

 ハッとした。それは白狼帝が現れる直前、とと様が私に出した謎かけだった。
 あの頃の私は答えを出せなかった。でも、今は違う。

「答えは、『ふたり』」

 私は涙を拭い、太狼としっかりと手を繋ぎ直した。

「私は、太狼と進みます」
「俺も、冥花と進む」

 太狼が私の手をきつく握り、まっすぐに黒猫を見据えた。

「俺たちは間違えた。だが、だからこそ、今度は手を取り合って、互いを導に進みたい」
「……正解だ」

 とと様の優しい声が響いた。
 その瞬間、私の中にあった途方もない冥府の力が、すべて黒猫の中へと移っていく。
 夜魔大帝が、すべての力を取り戻したのだ。
 とと様はかつての頃のように人の形を取り戻し、黒い髪に金の瞳を持つ美しい青年へと姿を変えた。
 
「ならば二人で道を行け。三途の川を越え、再び現世へ――』

 光が満ちる。
 私たちは顔を見合わせて微笑み合った。もう、何も怖くない。
 ぎゅっと手を握る。川の先に何があるかはわからない。
 けれど私たちは互いを導として、ただひたすらに光の先に歩いて行った。