冥府後宮で十五年、幼馴染は白狼帝になって迎えにきました

 空が燃えている。
 そうだ。十五年前、私は九尾に襲われた。
 それは私が——現世の帝の娘だったから。

 ひとつ、ふたつ。思い出す度に記憶に色がついていく。
 まるで春の花が咲いていくように、私の記憶は鮮明に蘇った。
 
 ——十五年前。
 当時の帝の突然の崩御で、朝廷は荒れに荒れていた。
 帝候補が擁立されては、謎の死を遂げる。時に病で、時に災害で。いろいろな理由は付けられたけれど、それらはすべて暗殺だった。
 そして、結局候補として残ったのは、何の力も持たない私一人。
 政争の道具として、私は望まぬまま現世の『女帝』の座に据えられた。

『皇帝陛下、万歳』

 そんな声を遠くに聞きながら、皮肉なものね、と嗤ったのを覚えている。
 何故なら私はただの木偶人形だから。
 与えられたのは豪奢な座敷牢。そして、毎日のように食事に混ぜられる微量な毒。結局誰も私を女帝とは認めておらず、さっさと死んでほしかったのだ。
 
『陛下、お食事を——毒見いたします』
『やめなさい、太狼。おまえも毒でやられてしまうわ』
『すぐに新しい食事を……』
『意味ないわ。どうせそれにも毒が入っているのだから』
 
 じわじわと身体が衰弱し、息をするのも苦しい絶望の中、私を慰めてくれたのは飼い猫と——寄り添い続けてくれた側仕えの太狼だけだった。

『私が死んだら、この子をお願いね』
『陛下、そのようなこと願ってはいけません。陛下はこの国の帝。陛下の御代を望む民は大勢おります』
『ふふ。近くの親族は私の食事に毒を盛るのに、遠くの民は私を好いてくれるなんて、不思議な話』 
『陛下……』
『お願い太狼。おまえだけは、私を『冥花』と呼んで』
 
 十歳の女帝と、十歳の側仕え。私たちは分不相応な身分を与えられ、何もできずに日々を泣いて暮らしていた。
 日が経つにつれ、痛みと絶望で狂っていくような苦痛に耐えきれず、私は泣きながら彼にすがったのだ。

『太狼……お願い、殺して。毒で死ぬ前に、他の誰でもない、あなたの手で』
『できません! そのようなこと——』
『太狼、命令です。私を……殺しなさい』
 
 彼は泣いていた。そして私をきつく抱きしめ、共に逝くことを選んでくれた。

『……仰せのままに、我が君』

 短刀が胸を貫く鋭い痛み。彼の手にかかり、私たちは共に命を絶ち、冥府の門を潜ったはずだった。
 冥府の川を渡るころには、私の望みは叶った。
 何もかもを忘れて、太狼と冥府の川沿いを無邪気に歩いた。転べば泣き、太狼に我儘を言っておぶってもらう。
 冥府において、私はただの子供に戻れたのだ。

「これをお食べ」

 私の身の上に同情した夜魔大帝は、私を受け入れてくれた。
 けれど、彼は太狼を受け入れはしなかった。私にだけ冥府の食事を与え、太狼を無情にも突き返す。
 『お前がここへ来るのは、まだ早すぎる』と。

◇ ◇ ◇
 
「……ふん、つまらぬ話」

 九尾妃の冷たい声があたりに響く。
 これは私の追憶。けれど私の記憶は幻となって、あたり一帯に映し出されていた。
 私の知っている記憶はここまで。けれど幻は続いている。

「どういう、こと……」

 ちりん、と鈴が鳴る。
 猫がにゃあとないて、私の足にすり寄ってきた。
 まるでこの幻の続きを見ろと命じているよう。
 
「ミ、ルナ……」
 
 狼と化した太狼がうめく。
 この先は、私の知らない世界——太狼の記憶だった。

◇ ◇ ◇
  
 現世へ突き返された太狼は——生き返ってしまった。
  彼は私が死んだ後、『女帝殺し』の罪をたった一人で背負うことになった。
 その絶望が太狼を変えてしまった。冥府から帰った彼の髪は真っ白に染まり、瞳からは一切の輝きが失われていた。
 絶望の中で。愛する者を自ら手にかけてしまった激痛を抱えながら、混沌とした現世で独り血みどろの戦場を駆け抜け、苛烈な白狼将軍として成り上がっていく。
 歩く道にはすべて血がある。彼は獲物を狙う獣のように、群れから逸れた狼のように、たった一人で現世を生き続けた。
 彼の祈りと信仰はすべて、私に捧げられた。征服した地すべてに私の廟を立て、憐れな悲劇の女帝がいることを世間に知らしめた。
 そんな彼を現世の民は「白狼将軍」と恐れ崇める。
 そして絶対的な権力を手にしたその瞬間、彼は「今が時だ」と、何のためらいもなく自らの命を絶ったのだ。冥府にいる私に、再び会うために。

 ◇ ◇ ◇
 
(ああ……なんてこと)

 燃え盛る青白い狐火の中で、私を庇う異形の太狼を見つめる。
 涙が止めどなく溢れ、熱い頬を伝ってこぼれ落ちた。
 私だ。彼を独りきりで、あんな血塗られた現世の地獄に置き去りにしたのは。
 私が死を望んだから、太狼はたった独りで十五年もの間、修羅の道を歩まねばならなかったのだ。
 彼をそこまで追い詰めたのは。彼を狂わせたのは……。

「……謎が、解けたわ」

 炎の中で、私は両腕を伸ばし、私を庇う太狼の狼の身体を力いっぱい抱きしめた。
 恐ろしさなど微塵もなかった。ただ、愛しくて、申し訳なくて、胸が張り裂けそうだった。

「太狼。白狼将軍の命を奪い、狂わせた大罪人。その答えは——」

 私を包み込む異形の瞳が、微かに揺れる。
 私は彼を抱きしめる腕にぎゅっと力を込め、はっきりと告げた。

「あなたを殺したのは——私」