17時00分。
画面に表示された最初の一行は、
〈このアカウントを作ったのは、私です〉
だった。
私は息を止めた。
その下には、まだ文章が続いている。
画面の上部を見る。
〈公開処理中〉
まだ外には出ていない。
その横に、小さく、
〈公開を取り消す〉
という文字があった。
押せる。
今なら。
でも、内容を知らずに消していいのか。
莉子が何を残そうとしたのかも知らないまま。
「ほんと、ずるいよ」
私は呟いた。
見ないでと言ったくせに。
消してと言ったくせに。
最後には、私に選ばせる。
私は文章を読んだ。
〈このアカウントを作ったのは、私です。
半年前、クラスで誰が一番人気なのか知りたくて、軽い気持ちで匿名投票を始めました。
最初は楽しいと思っていました。
名前を書かれた人も笑っていたし、誰も傷ついていないと思っていました。
でも、それは私が勝手にそう思っていただけでした〉
指が止まる。
莉子の声が聞こえるようだった。
いつもの明るい声ではない。
私が知らなかった莉子。
〈途中で他の人に管理を任せました。
そのあと投票の内容が変わりました。
嫌いな人。
性格が悪い人。
消えてほしい人。
学校からいなくなってほしい人。
私は怖くなって、やめてと言いました。
でも、「最初に始めたのは莉子じゃん」と言われました。
その通りでした〉
私は唇を噛んだ。
その言葉なら、私も莉子に言ったかもしれない。
自分で始めたんでしょ。
今さら正しい人みたいな顔をしないで。
〈学校に来られなくなった人がいます。
私が直接その人を一位にしたわけではありません。
でも、だから私は悪くない、とは言えません。
あの場所を作ったのは私です。
誰かの名前を出して、みんなで評価していい場所を作ったのは私です〉
涙で文字がぼやけた。
私は画面を拭った。
莉子を許したくなった。
同時に、許してはいけないような気もした。
どちらが正しいのか分からない。
〈私は全部公表しようと思いました。
でも怖くなりました。
学校のみんなに知られるのも怖い。
お母さんに知られるのも怖い。
美月に知られるのが、一番怖いです〉
「なんで」
声が震えた。
「なんで私なの」
文章は続く。
〈美月は、私のことをいい人だと思っているから。
私はたぶん、それを失いたくありません。
だから自分で言えないまま、ここまで来ました〉
胸の奥が痛んだ。
莉子は私を信じていたのではなかった。
私に嫌われるのが怖かった。
それが少し嬉しくて、
ものすごく悲しかった。
〈これを公開すれば、傷つけた人に謝ったことになるのか、私には分かりません。
公開しなければ、逃げたことになるのかも分かりません。
だから最後は、美月に任せます。
公開するか。
消すか。
美月が決めてください〉
私は最後の一文を何度も読んだ。
「ふざけないでよ」
涙が落ちた。
「それ、一番ずるいやつじゃん」
死んでから決めさせるなんて。
私は莉子ではない。
莉子が傷つけた人でもない。
莉子のお母さんでもない。
それなのに、公開するか隠すかを、どうして私が決めなければならないのか。
公開すれば。
莉子は「いじめを始めた人」として残るかもしれない。
知らない人まで莉子を叩く。
死んだ人間に石を投げる。
消せば。
莉子がしたことは闇の中に残る。
学校へ来られなくなった人は、何も知らないままになる。
莉子のお母さんも知らない。
そして私は、親友を守ったふりをして、親友のしたことまで消す。
二択だった。
どちらを押しても、
誰かが傷つく。
私は急に腹が立った。
「正解を私に押しつけないでよ」
画面の向こうへ言った。
「自分で決めてよ」
返事はない。
当たり前だった。
莉子はもういない。
だから、
生きている私が決めなければならない。
でも。
莉子が用意した二択から選ぶ必要はない。
私は〈公開を取り消す〉を押した。
〈本当に予約投稿を取り消しますか?〉
「うん」
押した。
〈予約を解除しました〉
文章は公開されなかった。
だからといって、
秘密にするとも決めていない。
私は画面を閉じた。
学校へ来られなくなった本人には伝える。
学校にも伝える。
莉子のお母さんにも。
必要な人には、莉子がしたことを話す。
でも知らない誰かの暇つぶしのために、莉子を差し出すことはしない。
それが正しいかは分からない。
ただ、
私が責任を持てる範囲で真実を渡す。
今の私には、それしかできなかった。
スマホの画面を戻す。
そこで、一つの表示が目に入った。
〈下書き 1〉
私は固まった。
タイトル。
〈美月へ〉
さっきからずっとそこにある。
莉子が私だけに書いた文章。
公開する予定もなかった。
送信もしていない。
もしかしたら、
死ぬ前の本当の気持ちが書かれている。
どうして歩道橋へ行ったのか。
事故だったのか。
最後に誰を思っていたのか。
私について何を考えていたのか。
全部書いてあるかもしれない。
私は指を置いた。
今までなら開いていた。
親友だから。
知りたいから。
もう二度と聞けないから。
その理由だけで。
でも、ふと思った。
これは遺書なのだろうか。
違う。
少なくとも莉子は、私に送っていない。
下書きのまま残した。
書いたからといって、
読まれたいとは限らない。
人は誰かへの手紙を書いて、破ることもある。
送信しないメッセージを書くこともある。
言いたいことと、
言うと決めたことは、
同じではない。
親友なら何でも知っていい。
私はずっと、どこかでそう思っていたのかもしれない。
でも親友だからこそ、
知らないままにしておく秘密があってもいい。
私は指を離した。
「読まないよ」
画面に向かって言う。
「これは読まない」
初めてだった。
莉子の秘密を前にして、
知りたいと思ったまま、
知らないことを選んだ。
下書きを開かず、
アカウントの設定画面へ戻る。
削除の文字が見える。
私はまだ押さなかった。
莉子がしたことを、
伝えなければならない人がいる。
全部が終わったら、
最後に消そう。
スマホを閉じる。
涙はまだ止まらなかった。
私は莉子の遺書を読まなかった。
だから、
莉子が最後に私を好きだったのかも、
嫌いだったのかも、
もう一生分からない。
それでいい。
分からないまま生きることも、
たぶん、
誰かを大切にする方法の一つなのだ。
画面に表示された最初の一行は、
〈このアカウントを作ったのは、私です〉
だった。
私は息を止めた。
その下には、まだ文章が続いている。
画面の上部を見る。
〈公開処理中〉
まだ外には出ていない。
その横に、小さく、
〈公開を取り消す〉
という文字があった。
押せる。
今なら。
でも、内容を知らずに消していいのか。
莉子が何を残そうとしたのかも知らないまま。
「ほんと、ずるいよ」
私は呟いた。
見ないでと言ったくせに。
消してと言ったくせに。
最後には、私に選ばせる。
私は文章を読んだ。
〈このアカウントを作ったのは、私です。
半年前、クラスで誰が一番人気なのか知りたくて、軽い気持ちで匿名投票を始めました。
最初は楽しいと思っていました。
名前を書かれた人も笑っていたし、誰も傷ついていないと思っていました。
でも、それは私が勝手にそう思っていただけでした〉
指が止まる。
莉子の声が聞こえるようだった。
いつもの明るい声ではない。
私が知らなかった莉子。
〈途中で他の人に管理を任せました。
そのあと投票の内容が変わりました。
嫌いな人。
性格が悪い人。
消えてほしい人。
学校からいなくなってほしい人。
私は怖くなって、やめてと言いました。
でも、「最初に始めたのは莉子じゃん」と言われました。
その通りでした〉
私は唇を噛んだ。
その言葉なら、私も莉子に言ったかもしれない。
自分で始めたんでしょ。
今さら正しい人みたいな顔をしないで。
〈学校に来られなくなった人がいます。
私が直接その人を一位にしたわけではありません。
でも、だから私は悪くない、とは言えません。
あの場所を作ったのは私です。
誰かの名前を出して、みんなで評価していい場所を作ったのは私です〉
涙で文字がぼやけた。
私は画面を拭った。
莉子を許したくなった。
同時に、許してはいけないような気もした。
どちらが正しいのか分からない。
〈私は全部公表しようと思いました。
でも怖くなりました。
学校のみんなに知られるのも怖い。
お母さんに知られるのも怖い。
美月に知られるのが、一番怖いです〉
「なんで」
声が震えた。
「なんで私なの」
文章は続く。
〈美月は、私のことをいい人だと思っているから。
私はたぶん、それを失いたくありません。
だから自分で言えないまま、ここまで来ました〉
胸の奥が痛んだ。
莉子は私を信じていたのではなかった。
私に嫌われるのが怖かった。
それが少し嬉しくて、
ものすごく悲しかった。
〈これを公開すれば、傷つけた人に謝ったことになるのか、私には分かりません。
公開しなければ、逃げたことになるのかも分かりません。
だから最後は、美月に任せます。
公開するか。
消すか。
美月が決めてください〉
私は最後の一文を何度も読んだ。
「ふざけないでよ」
涙が落ちた。
「それ、一番ずるいやつじゃん」
死んでから決めさせるなんて。
私は莉子ではない。
莉子が傷つけた人でもない。
莉子のお母さんでもない。
それなのに、公開するか隠すかを、どうして私が決めなければならないのか。
公開すれば。
莉子は「いじめを始めた人」として残るかもしれない。
知らない人まで莉子を叩く。
死んだ人間に石を投げる。
消せば。
莉子がしたことは闇の中に残る。
学校へ来られなくなった人は、何も知らないままになる。
莉子のお母さんも知らない。
そして私は、親友を守ったふりをして、親友のしたことまで消す。
二択だった。
どちらを押しても、
誰かが傷つく。
私は急に腹が立った。
「正解を私に押しつけないでよ」
画面の向こうへ言った。
「自分で決めてよ」
返事はない。
当たり前だった。
莉子はもういない。
だから、
生きている私が決めなければならない。
でも。
莉子が用意した二択から選ぶ必要はない。
私は〈公開を取り消す〉を押した。
〈本当に予約投稿を取り消しますか?〉
「うん」
押した。
〈予約を解除しました〉
文章は公開されなかった。
だからといって、
秘密にするとも決めていない。
私は画面を閉じた。
学校へ来られなくなった本人には伝える。
学校にも伝える。
莉子のお母さんにも。
必要な人には、莉子がしたことを話す。
でも知らない誰かの暇つぶしのために、莉子を差し出すことはしない。
それが正しいかは分からない。
ただ、
私が責任を持てる範囲で真実を渡す。
今の私には、それしかできなかった。
スマホの画面を戻す。
そこで、一つの表示が目に入った。
〈下書き 1〉
私は固まった。
タイトル。
〈美月へ〉
さっきからずっとそこにある。
莉子が私だけに書いた文章。
公開する予定もなかった。
送信もしていない。
もしかしたら、
死ぬ前の本当の気持ちが書かれている。
どうして歩道橋へ行ったのか。
事故だったのか。
最後に誰を思っていたのか。
私について何を考えていたのか。
全部書いてあるかもしれない。
私は指を置いた。
今までなら開いていた。
親友だから。
知りたいから。
もう二度と聞けないから。
その理由だけで。
でも、ふと思った。
これは遺書なのだろうか。
違う。
少なくとも莉子は、私に送っていない。
下書きのまま残した。
書いたからといって、
読まれたいとは限らない。
人は誰かへの手紙を書いて、破ることもある。
送信しないメッセージを書くこともある。
言いたいことと、
言うと決めたことは、
同じではない。
親友なら何でも知っていい。
私はずっと、どこかでそう思っていたのかもしれない。
でも親友だからこそ、
知らないままにしておく秘密があってもいい。
私は指を離した。
「読まないよ」
画面に向かって言う。
「これは読まない」
初めてだった。
莉子の秘密を前にして、
知りたいと思ったまま、
知らないことを選んだ。
下書きを開かず、
アカウントの設定画面へ戻る。
削除の文字が見える。
私はまだ押さなかった。
莉子がしたことを、
伝えなければならない人がいる。
全部が終わったら、
最後に消そう。
スマホを閉じる。
涙はまだ止まらなかった。
私は莉子の遺書を読まなかった。
だから、
莉子が最後に私を好きだったのかも、
嫌いだったのかも、
もう一生分からない。
それでいい。
分からないまま生きることも、
たぶん、
誰かを大切にする方法の一つなのだ。



