死んだ親友の裏アカを、私は開いていいですか

 匿名投票を最初に作ったのは、莉子だった。

 その言葉が、頭の中で何度も繰り返された。

「嘘でしょ」

 私はもう一度言った。

 蓮は否定しなかった。

「最初は、今みたいなやつじゃなかった」

「同じじゃん」

「違う」

「匿名で人の名前出して、順位つけてたんでしょ」

「……そうだけど」

「じゃあ同じだよ」

 自分でも分かっていた。

 私は怒っている。

 莉子に。

 死んだ莉子に。

 でも、死んだ人には怒りをぶつけられない。

 だから目の前の蓮にぶつけていた。

「莉子は最初、遊びで作ったんだ」

「遊びならいいの?」

「いいとは言ってない」

「じゃあ何」

 蓮はスマホの画面を消した。

「最初は恋愛系だけだった。誰が人気あるとか、誰と誰が似合うとか。そのうちフォロワーが増えて、莉子一人じゃ管理できなくなった」

「だから?」

「別のやつにパスワードを教えた」

 私は顔を上げた。

「誰に?」

「それは――」

「また言えない?」

 蓮が黙る。

「もういい」

 私は立ち上がった。

「美月」

「どうせ、莉子が全部悪かったってことでしょ」

「そうじゃない」

「じゃあ何なの」

「莉子は途中でやめようとした」

 私は振り返った。

 蓮の声は低かった。

「内容が変わっていったから」

 恋愛。

 見た目。

 性格。

 嫌われている人。

 消えてほしい人。

 学校から消えてほしい人。

「莉子は、自分が作ったものじゃなくなったって言ってた」

「そんなの」

 私は笑った。

「勝手じゃん」

「分かってたよ」

「何を?」

「自分が始めたってこと」

 蓮は続けた。

「だから止めたかったんだ」

「正義感?」

「罪悪感だと思う」

 その言葉のほうが、少しだけ納得できた。

 莉子は正しい人だった。

 少なくとも私は、そう思っていた。

 誰かが一人でいたら声をかける。

 先生が理不尽なら文句を言う。

 クラスで誰かが笑われていたら、話題を変える。

 そういう莉子を、私はずっと見てきた。

 でも。

 その莉子が、

 誰かを順位づけるアカウントを作った。

「学校に来なくなった子」

 私は聞いた。

「莉子が作ったって知ってるの?」

「たぶん知らない」

「じゃあ、莉子は謝ってないんだ」

「謝ろうとしてた」

「してないじゃん」

 声が震えた。

「しようとしたって、してないのと同じじゃん」

 莉子は死んだ。

 もう謝れない。

 だから私は、余計に腹が立っていた。

 途中だったから。

 反省も。

 謝罪も。

 責任も。

 全部、途中で終わっている。

「予約投稿は、その謝罪かもしれない」

 蓮が言った。

 私はスマホを見る。

 16時48分。

 あと十二分。

「だったら公開すればいい」

 思ったより簡単に言葉が出た。

「全部」

 蓮が私を見る。

「莉子が始めたことも、途中で止めようとしたことも、全部公開すればいい」

「美月」

「それが正しいでしょ」

「本気で言ってる?」

「何が?」

「死んだ莉子を、ネットで裁かせるのか」

 私は答えた。

「じゃあ隠すの?」

「そうじゃない」

「同じじゃん」

「違う」

「何が違うの」

 蓮は苛立ったように髪をかき上げた。

「ネットに出したら、もう説明できないんだよ」

「事実なんでしょ」

「事実だけで人間が全部決まるのかよ」

 私は黙った。

「莉子が匿名投票を作った。事実だよ。でも、それだけ公開されたらどうなる?」

「……」

「『いじめを始めた女』で終わる」

「実際そうじゃん」

「じゃあ止めようとしてたことは?」

「それも書けばいい」

「信じてもらえると思う?」

 私は言葉を失った。

 莉子本人はいない。

 謝罪も言い訳も、全部、誰かが代わりに説明するしかない。

 そして、その「誰か」の言葉を信じるかどうかも、ネットの向こうの人たちが決める。

「だったらどうすればいいの」

 私が聞くと、蓮は首を振った。

「分からない」

「そればっかり」

「正解があるなら、とっくにやってる」

 16時50分。

 あと十分。

 私はスマホを握った。

 予約投稿を開けば分かる。

 莉子が何を書いたのか。

 何を公表しようとしていたのか。

 でも、それを見た瞬間、また一つ約束を破る。

「莉子のお母さんに話す」

 私は言った。

「今?」

「うん」

「予約投稿は?」

「その前に聞きたい」

「何を」

「親なら、娘がしたことを全部知りたいのか」

 蓮は何も言わなかった。

 私は走った。

 莉子の家までは駅から十分ほど。

 途中で何度も時間を見る。

 16時53分。

 16時55分。

 私はインターホンを押した。

 莉子のお母さんが出てきた。

「美月ちゃん?」

「すみません」

 息が切れていた。

「聞きたいことがあります」

「何?」

 私は言えなかった。

 莉子が匿名投票を作った。

 その一言を。

 代わりに聞いた。

「もし、莉子が誰かを傷つけることをしてたって分かったら」

 お母さんの表情が変わった。

「それでも知りたいですか」

「……どういうこと?」

「本当のことを、全部」

 しばらく沈黙があった。

「知りたい」

 お母さんは言った。

「莉子のことなら、全部知りたい」

 私は少しだけ安心した。

 その瞬間だった。

「でも」

 お母さんが続けた。

「それを他の人に知られる必要はないわよね」

 私は顔を上げた。

「莉子が何か失敗してたとしても、もう死んでるのよ」

 その声には、母親の強さがあった。

「死んだあとまで悪く言われる必要なんてないでしょう」

 私は何も言えなかった。

「何か知ってるの?」

 お母さんが聞く。

 私は首を横に振れなかった。

 でも、うなずくこともできなかった。

「美月ちゃん」

 莉子のお母さんの顔を見ながら、昼間の言葉を思い出した。

 最後に何を考えていたか知りたい。

 親なのに、何も知らない。

 知る権利くらいある。

 でも今は、

 他の人には知られたくない。

 その気持ちは矛盾していない。

 たぶん、普通だ。

 私だって同じだった。

 莉子の秘密を知りたかった。

 でも、莉子が悪い人だったとは思いたくなかった。

 真実が知りたいんじゃない。

 私が受け入れられる莉子を知りたいだけだった。

「ごめんなさい」

 私は頭を下げた。

 スマホを見る。

 16時58分。

 あと二分。

 家を飛び出す。

 走りながら、莉子のアカウントを開いた。

 予約投稿。

 一件。

 あと一分。

 私は思った。

 正しいことをした人は、

 その前にした間違いを隠していいのだろうか。

 間違ったことをした人は、

 そのあとにした正しいことまで否定されなければならないのだろうか。

 莉子はどっちだった?

 正しい人?

 間違った人?

 どちらでもない。

 たぶん、

 どちらでもあった。

 16時59分。

 私は予約投稿のタイトルを押した。

 画面が開く。

 最初の一行が見えた。

〈このアカウントを作ったのは、私です〉

 その瞬間、

 時計が17時00分になった。