死んだ親友の裏アカを、私は開いていいですか

 ログインボタンは、ただの四角い青だった。

 押せば終わる。

 押さなければ、午後五時に何かが公開される。

 駅前のベンチで、私はその青い四角を見つめていた。

 16時07分。

 あと五十三分。

 莉子の最後のメッセージをもう一度読む。

〈中は絶対に見ないで〉

「無理じゃん」

 思わず声が出た。

 消してほしいなら、ログインしなければならない。

 ログインすれば、中が見える。

 見ないで消すには、一度だけ開かなければならない。

 そんなの、最初から矛盾している。

 私は目を閉じた。

 莉子だったら何と言うだろう。

「細かいこと気にしすぎ」

 たぶん、そう笑う。

 でも、その細かいことを気にしているのは莉子のほうだ。

 中は絶対に見ないで。

 絶対に。

 その二文字が、やけに強かった。

 私は息を吸って、ログインボタンを押した。

 画面が切り替わった。

 最初に表示されたのはプロフィールだった。

 アイコンは黒。

 自己紹介は空欄。

 投稿数、三十七。

 フォロー、十二。

 フォロワー、九。

 数字だけが並んでいる。

 私は画面の上半分だけを見るようにした。

「見ない。見ないから」

 誰に言い訳しているのか分からない。

 右上の設定を探す。

 歯車のマーク。

 アカウント。

 セキュリティ。

 削除。

 それだけ見ればいい。

 指を動かした瞬間、通知が一件、画面の上から降りてきた。

〈新堂蓮から新しいメッセージがあります〉

 手が止まった。

 蓮。

 さっき廊下で、死んだ人のスマホは見ないと言った蓮。

 私は通知を消そうとした。

 けれど、指が動かなかった。

 新しいメッセージ。

 つまり、蓮はこのアカウントが莉子のものだと知っている。

 知らなければ、死んだ莉子の匿名アカウントに今さらメッセージを送る理由がない。

「……知ってたんだ」

 胸の奥が冷たくなった。

 私は通知を横に払った。

 消えた。

 見ていない。

 本文は見ていない。

 まだ約束は破っていない。

 そう思ったとき、今度は画面の下に赤い数字が見えた。

 DM、未読一件。

 設定画面へ進めばいい。

 それなのに、私は動けなかった。

 蓮は何を送った?

 莉子に何を言おうとしている?

 今日の昼、私が「死んだ人のスマホを見る?」と聞いたとき、蓮は一瞬だけ黙った。

 あの間は、これだったのではないか。

 私は周囲を見回した。

 駅前を人が行き交っている。

 高校生。

 会社員。

 買い物袋を下げた人。

 みんな自分の行き先へ歩いている。

 私だけが、死んだ親友のアカウントの中で立ち止まっていた。

 16時12分。

 私はDMを開いた。

 約束を破った。

 たった一度だけ。

 そう決めた。

 新堂蓮とのメッセージ画面が出る。

 最新の一通。

〈今でも、あれを公開するつもり?〉

 送信時刻は16時09分。

 私は息を止めた。

 あれ。

 何のこと?

 その下に、過去のやり取りが並んでいる。

 読まない。

 そう思った。

 でも、視界に入った。

〈明日、ちゃんと話す〉

 莉子。

〈美月には言うな〉

 蓮。

〈それは私が決める〉

 莉子。

 日付は、三日前。

 莉子が死んだ日。

 私は画面を見つめたまま動けなかった。

 三日前の莉子と蓮が、ここで話していた。

 美月には言うな。

 私には知られたくない何か。

 そして翌日ではなく、莉子はその夜に死んだ。

 喉が乾いた。

 さらに一つ上を見る。

〈今日の八時。いつものところで〉

 蓮。

 時刻は午後六時四十一分。

 莉子が歩道橋の下で見つかったのは、八時すぎ。

 私はベンチから立ち上がった。

 心臓が速い。

 いつものところ。

 どこ?

 歩道橋?

 莉子は蓮に会いに行った?

 そして死んだ?

「違う」

 私は声に出した。

 まだ何も分かっていない。

 DMだけで蓮を疑うのは、教室で噂していた子たちと同じだ。

 事故だった。

 そう警察は言っている。

 けれど、指は勝手に過去のメッセージを追っていた。

〈もうやめたほうがいい〉

〈放っておけない〉

〈美月が知ったら傷つく〉

〈だからって、このままは無理〉

 断片だけ。

 何について話しているのかは分からない。

 でも一つだけ分かった。

 莉子は、私に隠していた。

 蓮と一緒に、何かを。

 私はDMを閉じた。

 頭の中がうるさい。

 親友だから何でも話す必要はない。

 そう思っていた。

 なのに、自分だけ知らされていなかったと分かった瞬間、胸が痛んだ。

 私は何に傷ついているのだろう。

 莉子が死んだことか。

 秘密があったことか。

 その秘密を蓮は知っていたことか。

 自分でも分からない。

 画面を戻す。

 予約投稿。

 公開予定、17時00分。

 あと三十九分。

 私は設定を開き、予約投稿の管理画面へ進んだ。

 一件。

 タイトルは表示されていない。

 本文を開かなければ、削除できない仕様だった。

「また?」

 笑いそうになった。

 見ないで消してと言ったくせに、どこまで行っても見なければ消せない。

 莉子らしい、と一瞬思った。

 違う。

 莉子は、こんな面倒なことをわざと残したのかもしれない。

 私に判断させるために。

 そのとき、画面の端に「下書き」という項目が見えた。

 数字は一。

 私は触らないつもりだった。

 けれど、タイトルだけは表示されていた。

〈美月へ〉

 指先が冷たくなる。

 私の名前。

 予約投稿ではない。

 公開もされていない。

 莉子が書いて、送らなかった文章。

 私は画面を閉じようとした。

 でも、閉じられなかった。

 これを開けば、莉子が私に言えなかったことが分かる。

 蓮との秘密も。

 死んだ日のことも。

 全部。

 たぶん。

 時計は16時23分。

 公開まで三十七分。

 私は〈美月へ〉という四文字の上に指を置いた。

 けれど、押さなかった。

 莉子が送らなかった言葉は、

 莉子が私に見せると決めなかった言葉でもある。

 私は指を離した。

 その瞬間、またDMの通知が来た。

 今度も、新堂蓮だった。

〈美月、そこにいる?〉

 私は背筋が凍った。

 蓮は、

 私がこのアカウントを開いたことを知っている。