私は次のページを出した。
「昨年の四月と五月の、この売場の日別の数字です。什器を入れた初週だけは動いていて、そのあと落ちています。うちのほうでも要因を分析しましたが、いちばん大きいのは、あの企画がテレビCMと連動していたことだと思っています」
「CMがあったほうがいいでしょう、普通は」
「短期的にはそうです。ただ、CMは四月の二週間で終わっていて、そのあと売場に来たお客様には、あの什器が何を言いたいのかわからなかったと思います。什器の中に、商品の説明がほとんど入っていないんです」
久保田さんの手が止まった。
「今回は、什器そのものが説明になるようにしました。上から順に、秋の肌に何が起きるか、それに対して何を使うか、という並びにしています」
「羽鳥、どう思う」
「CMは今回、九月と十月に流れますが、それがなくても成立する売場にしたいです」
言い終わってから、口の中が乾いていることに気がついた。
水に手を伸ばして、一口飲む。
久保田さんが振ると、羽鳥さんは資料の什器の図を指でなぞっていた。
「什器のサイズ、幅九十でいけますか。うち、店舗によってエンドの幅が違って、九十を超えると入らない店が四割くらいあります」
「九十でお出しできます。奥行きは四十五です」
「じゃあ、あとは高さですね。うちの什器の規定が百五十までなので」
「百四十五で作っています」
羽鳥さんの表情が少しだけ、感心したような顔に変わった。
「調べてくださったんですか」
「前に一度、御社の売場を見に行かせていただいたので」
そのときのメモが、まだ手帳に残っている。
そこから先は、少し空気が動いた。
羽鳥さんは什器の納品のタイミングと、店舗への案内文をどちらが作るかを訊いてきて、私はそれに答えていった。
話が、企画の是非から、やるとしたらどうやるか、のほうへずれていく。
二時半を回ったころ、久保田さんが資料を閉じた。
「北村さん」
「はい」
「悪くないと思います」
私は膝の上で手を握った。
「ただ、全店一斉は無理です」
思っていたより、はっきり言われた。
「うちは百二十店舗ありますけど、化粧品の売場がちゃんと回っている店とそうでない店の差が大きいんですよ。全部に什器を送っても、置いてくれない店が出ます。置いてくれない店が出ると、什器代がまるまる無駄になる。それはお互い嬉しくない」
「はい」
「なので、店舗を絞った案を見せてください。何店舗で、どこを選ぶ基準で、そのときの数字がどうなるか。明日、そこを詰めたいです」
時計を見ると、二時四十分だった。
「承知しました。明日の午前中までにご用意します」
「お願いします。社内でも私からもう一度共有しておきますので」
パソコンを片づけて、資料をまとめる。
会議室を出るとき、背中に汗をかいているのがわかった。冷房が効いていたはずなのに。
羽鳥さんがエレベーターまで送ってくれた。
廊下は静かで、遠くで電話が鳴っている。
「什器の高さのところ、久保田、たぶん気に入ってましたよ」
「そうなんですか? 全然わかりませんでした」
「あの人、顔に出ないんです」
エレベーターのボタンを押して、羽鳥さんが少し私のほうを見た。
「北村さん、お疲れですか」
どきっとしたけれど、笑ってみせた。
「昨日、あんまり眠れなかっただけです」
「ああ、緊張しますよね。うちの久保田、圧がすごいので」
「それもあります」
扉が開くと、羽鳥さんはそれ以上、何も訊かなかった。
「明日、十時にお待ちしてます。気をつけて」
「ありがとうございます。失礼します」
エレベーターの扉が閉まって、一人になると大きく息を吐く。
ステンレスの壁に、ジャケットを着た自分が映っている。
絞った案。基準。数字。
頭の中で明日の段取りを並べながら、私は一階のボタンの光を見ていた。
自動ドアを抜けた瞬間、外の熱を一身に浴びる。
三時前の日差しはまだ真上に近くて、歩道の白さが目に痛い。
ビルの前で少し立ち止まって、私はもう一度大きく息を吐いた。
終わった。
そう思ったすぐあとに、別のものが戻ってきた。
ああ、そうだ……私、振られたんだった。
忘れていたわけじゃない。
忘れられるようなことでもない……ただ、会議室にいるあいだはそれがどこか別の場所に置いてあった。
「昨年の四月と五月の、この売場の日別の数字です。什器を入れた初週だけは動いていて、そのあと落ちています。うちのほうでも要因を分析しましたが、いちばん大きいのは、あの企画がテレビCMと連動していたことだと思っています」
「CMがあったほうがいいでしょう、普通は」
「短期的にはそうです。ただ、CMは四月の二週間で終わっていて、そのあと売場に来たお客様には、あの什器が何を言いたいのかわからなかったと思います。什器の中に、商品の説明がほとんど入っていないんです」
久保田さんの手が止まった。
「今回は、什器そのものが説明になるようにしました。上から順に、秋の肌に何が起きるか、それに対して何を使うか、という並びにしています」
「羽鳥、どう思う」
「CMは今回、九月と十月に流れますが、それがなくても成立する売場にしたいです」
言い終わってから、口の中が乾いていることに気がついた。
水に手を伸ばして、一口飲む。
久保田さんが振ると、羽鳥さんは資料の什器の図を指でなぞっていた。
「什器のサイズ、幅九十でいけますか。うち、店舗によってエンドの幅が違って、九十を超えると入らない店が四割くらいあります」
「九十でお出しできます。奥行きは四十五です」
「じゃあ、あとは高さですね。うちの什器の規定が百五十までなので」
「百四十五で作っています」
羽鳥さんの表情が少しだけ、感心したような顔に変わった。
「調べてくださったんですか」
「前に一度、御社の売場を見に行かせていただいたので」
そのときのメモが、まだ手帳に残っている。
そこから先は、少し空気が動いた。
羽鳥さんは什器の納品のタイミングと、店舗への案内文をどちらが作るかを訊いてきて、私はそれに答えていった。
話が、企画の是非から、やるとしたらどうやるか、のほうへずれていく。
二時半を回ったころ、久保田さんが資料を閉じた。
「北村さん」
「はい」
「悪くないと思います」
私は膝の上で手を握った。
「ただ、全店一斉は無理です」
思っていたより、はっきり言われた。
「うちは百二十店舗ありますけど、化粧品の売場がちゃんと回っている店とそうでない店の差が大きいんですよ。全部に什器を送っても、置いてくれない店が出ます。置いてくれない店が出ると、什器代がまるまる無駄になる。それはお互い嬉しくない」
「はい」
「なので、店舗を絞った案を見せてください。何店舗で、どこを選ぶ基準で、そのときの数字がどうなるか。明日、そこを詰めたいです」
時計を見ると、二時四十分だった。
「承知しました。明日の午前中までにご用意します」
「お願いします。社内でも私からもう一度共有しておきますので」
パソコンを片づけて、資料をまとめる。
会議室を出るとき、背中に汗をかいているのがわかった。冷房が効いていたはずなのに。
羽鳥さんがエレベーターまで送ってくれた。
廊下は静かで、遠くで電話が鳴っている。
「什器の高さのところ、久保田、たぶん気に入ってましたよ」
「そうなんですか? 全然わかりませんでした」
「あの人、顔に出ないんです」
エレベーターのボタンを押して、羽鳥さんが少し私のほうを見た。
「北村さん、お疲れですか」
どきっとしたけれど、笑ってみせた。
「昨日、あんまり眠れなかっただけです」
「ああ、緊張しますよね。うちの久保田、圧がすごいので」
「それもあります」
扉が開くと、羽鳥さんはそれ以上、何も訊かなかった。
「明日、十時にお待ちしてます。気をつけて」
「ありがとうございます。失礼します」
エレベーターの扉が閉まって、一人になると大きく息を吐く。
ステンレスの壁に、ジャケットを着た自分が映っている。
絞った案。基準。数字。
頭の中で明日の段取りを並べながら、私は一階のボタンの光を見ていた。
自動ドアを抜けた瞬間、外の熱を一身に浴びる。
三時前の日差しはまだ真上に近くて、歩道の白さが目に痛い。
ビルの前で少し立ち止まって、私はもう一度大きく息を吐いた。
終わった。
そう思ったすぐあとに、別のものが戻ってきた。
ああ、そうだ……私、振られたんだった。
忘れていたわけじゃない。
忘れられるようなことでもない……ただ、会議室にいるあいだはそれがどこか別の場所に置いてあった。



