観覧車とからあげとビール

 昨日振られて、今日も一日それを引きずっていて、さっきなんて泣きそうになったのに、今、この夜景をちゃんときれいだと思っている。

 無理をしているわけでもない。
 ビールもおいしいし、唐揚げもおいしい。
 久保田さんに「悪くないと思います」と言われたのも、やっぱり嬉しかった。

 三つとも、同じくらい本当だった。

「……私、全然元気じゃん」

 声に出してから、少し笑った。
 誰もいないゴンドラの中で、二十六歳の女が缶ビール片手に何を言っているんだろう。

 振られたのは悲しい。
 まだ祐介のことは好きだと思うし、名古屋に帰って部屋に一人でいたら、そのうち普通に泣くと思う。
 でも、今この瞬間はビールは冷たくてうまいし、夜景は明るくてきれい。

 昨日の夜、荷造りをしていた私に教えてやりたい。
 明日あんたは、横浜で普通に商談をして、普通に褒められて、夜には観覧車に乗ってビールを飲んでいる。
 しかも、それをちゃんとおいしいと思っている。

 言っても信じないと思う。
 私だって、昨日の時点では信じない。

 窓の左のほうに、隣のゴンドラが見えた。
 少し下を、同じ速さで動いている。

 中に子どもがいて、こちらに向かって両手を振っていた。
 後ろで親らしい人が笑っているのを見て、手を振り返してみた。
 子どもがもっと大きく振った。

 缶を持ったままの手だったから、向こうからはたぶん変な人に見えたかもしれないけれど。

 ゴンドラが少しずつずれていって、その子は見えなくなった。

 考えてみると、今日の夕飯を私は誰にも相談していない。
 何を食べるかも、どこで食べるかも、全部一人で決めた。
 コンビニの前で足を止めて、一度通り過ぎたビールの棚まで戻って、レジ横のケースを指さした。
 それだけのことだけれど、そこに他人が一人も関わっていない。

 この四年、晩ごはんの話は、たいてい二人でしていた。
 今日は何食べるという連絡を、どちらかが必ずしていた。
 あれがなくなるのは、やっぱり寂しい。

 でも、一人で決めた夕飯がこんなにうまいことも今日わかった。
 箱の中には、あと二つ残っていた。
 缶を持ち上げると、思ったより軽くなっていて、振ると底のほうで少し音がする。
 半分以上飲んでしまったらしい。

 残りを大事に飲もうと思っていたのに、結局そのまま普通に一口飲んだ。

 窓の外の景色が、少しずつ横へずれていく。
 頂上を通り過ぎたのだ。
 海のほうを見ながら、私はもう一つ唐揚げをつまんだ。

 明日は十時からだ。
 九時半に出れば間に合う。
 朝ごはんは、ホテルの一階でやっているはずだ。
 資料はもう出来ているから、あとは差し替えたページの通し番号を直して……

 そこで、思考が一瞬止まった。

 久保田さんは「何店舗で」より先に「どこを選ぶ基準で」と言った。
 私の資料は最初に三十二店舗という数字を出して、そのあとに三つの軸を説明する順番になっている。

「逆の方がいいかも」

 先に基準を三つ見せて、その重なったところが三十二です、という順番にしたほうがいい。
 あのページ、入れ替えておこうかな。

「ぷっ。もう……ほんっとやだ」

 そこまで考えて、私は思わず声を出して笑った。
 失恋した翌日に一人で観覧車に乗って、てっぺんで考えることがそれか、私は。

 でも、笑いながらその順番のことをもう少し考えていた。
 表紙のあとに一枚、軸を並べただけのページを足してもいい。
 そんなに時間はかからない。
 ホテルで三十分あればできる。

「先輩にお礼をしないと」

 三時に「三十分ちょうだい」と返してくれた人。
 新横浜駅で何か買っていこう。
 あの人は甘いものより煎餅のほうが好きだったはずだ。

 九月に什器が入ったら、たぶんもう一度ここへ来る。
 十月に初月の数字が出て、よければ店舗を足す。
 年が明けたら春の企画が始まって……そのころには今日のこともたぶん普通に忘れている。
 そういう予定が、ちゃんと先のほうまで続いていた。

 昨日なくなった予定と、なくならなかった予定が両方ある。