一度家に帰って必要なものを取ってきて集合。
ただ工藤の場合、家に帰ったら父親がいる。だから一度俺の家に寄って、それから俺もついていくと言ったのだけど、工藤は首を縦に振らなかった。
「万一父親が家にいてさ、丹羽の顔見たら却ってややこしいことになるから」
「けどなんかあったら……」
「大丈夫」
そう言って工藤は朗らかに笑った。すがすがしすぎるくらいのその笑顔が逆に引っかかった。
気が気じゃないままに家に戻ると、母親は勤務に出ていていなかった。食卓には夕飯にと母親が作ったらしいハンバーグがラップをかけられた状態で置かれている。
――友達のこと、悪く言ってごめん。でもあんたが心配なの。帰ったらもう一度話そう。
お手本になりそうな綺麗な文字を俺は見下ろす。
わかってる。母さんの気持ちだって。でも俺が今取りたいのは母さんの手じゃ、ない。
訴えかけるような文字から視線を引き剥がし、自分の部屋に飛び込む。懐中電灯、厚手の上着、包帯や傷薬。こっそり買い込んでおいた非常食。それらをリュックに放り込み、走り出る。一度部屋を振り返ると、なんだか泣きたくなった。
ずっと苦しかった。両親からもらった顔のせいで苦労もした。
恨んだことだってなかったわけじゃない。でもなんだかんだ言って俺は母さんのこと、嫌いじゃなかった。すごく大事とか、感謝してるとか、そこまでは思えなかったけど、それでもふたりでの生活は楽しかった。嘘偽りなくそうだった。でも。
――いつか七音も彼女連れてくること、あるのかねえ。
テレビを見ながらぽつんと言った母さんの横顔がふっと脳裏を過ぎったけど、全部を押し込めるようにしてドアを閉め、ポストに鍵を落とした。
かちゃん、と思った以上に姦しい音が響き、まるで母さんに叱られたようなそんな気がした。
待ち合わせ場所にしたのはポイントD付近のバス停だ。俺の家からだと徒歩二十分、工藤の家からだと七分くらい。工藤のほうが先に来ているかと思ったのに、四阿のような木造の待合所には誰の姿もなかった。
終バスが行ってしまってすでに五時間以上。無人なのはいいとして、工藤は大丈夫だろうか。不安な気持ちを抑えきれず、工藤の家がある方向へと歩き出す。が、数分歩いたところでぎょっとした。
黒い人影が道路の向こうから全力で駆けてくる。え、え、と慌てている間にその人影はどんどん大きくなり、体当たりするようにぶつかってくる。
細いその体を抱き留め、俺は目を白黒させた。
「ちょ、え? 工藤、どうし……」
「いやー、危なかったあ」
言って工藤が笑い転げる。なに、と問う俺の腕にすがって立ちながら工藤はなおも笑う。
「父さん、起きてやんの。見つかって追いかけられて。まくのに手間取っちゃった」
ああびっくりしたあ、と笑い混じりに言う声が震えている。それを聞いているうちにいらいらしてきた。
「あの人なんなの。そんなに執着するくせになんでお前があちこち泊まり歩いてることもっと心配しねえの。意味わかんねえ」
「俺をどう扱っていいかあの人もわかってないってことだろ」
どうでもいいことのように言い、工藤が俺の腕を払う。
「親としての気持ちもなくなったわけじゃない。でも俺の顔を見ると自分を捨てた女のこと思い出す。それだけのことだ」
吐き捨て、工藤は歩き出す。言葉を探す俺を工藤がくいっと首を捻じ曲げるようにして振り向く。
「意味わかんないって顔すんな。ずっと考えてる俺だってわかんないことを、簡単にわかられてたまるか」
「ごめ、ん」
そりゃあそうだ。無神経なことを言ってしまった。
こういうところだよな、と落ち込む俺の頬がそっと撫でられる。冷たいのに優しいその感触に俺は顔を上げた。
「謝るなってば。俺は感謝してんの。お前がそばにいてくれること、すごく」
丹羽、と名前が呼ばれる。ん、と小さく頷いた俺の手をすっと工藤が取った。
「行こ。バスまだ動かないけど、少しでも歩いて距離稼いでおいたほうがいい」
「うん」
頷き、歩き出す。そうしながら俺はふと思い出して繋いだ手を軽く揺らす。
「俺さ、ここ来る途中にコンビニ寄って、あれ買っちゃった」
「あれ?」
「わらび餅。後でおやつに食べよ」
不意に工藤が黙り込む。どした? と顔を覗き込んだのと同時に握られた手に力が込められた。
「地上の食べ物で俺が一番好きなやつだ」
たまらなくなって工藤の手を強く握り返すと、工藤が片手で素早く目元を拭うのがわかった。
「行こう。アガルタへ」
こっちを見上げた工藤の目はいつも通り澄んでいて、そのことに心底ほっとしながら俺は力強く頷いた。
ただ工藤の場合、家に帰ったら父親がいる。だから一度俺の家に寄って、それから俺もついていくと言ったのだけど、工藤は首を縦に振らなかった。
「万一父親が家にいてさ、丹羽の顔見たら却ってややこしいことになるから」
「けどなんかあったら……」
「大丈夫」
そう言って工藤は朗らかに笑った。すがすがしすぎるくらいのその笑顔が逆に引っかかった。
気が気じゃないままに家に戻ると、母親は勤務に出ていていなかった。食卓には夕飯にと母親が作ったらしいハンバーグがラップをかけられた状態で置かれている。
――友達のこと、悪く言ってごめん。でもあんたが心配なの。帰ったらもう一度話そう。
お手本になりそうな綺麗な文字を俺は見下ろす。
わかってる。母さんの気持ちだって。でも俺が今取りたいのは母さんの手じゃ、ない。
訴えかけるような文字から視線を引き剥がし、自分の部屋に飛び込む。懐中電灯、厚手の上着、包帯や傷薬。こっそり買い込んでおいた非常食。それらをリュックに放り込み、走り出る。一度部屋を振り返ると、なんだか泣きたくなった。
ずっと苦しかった。両親からもらった顔のせいで苦労もした。
恨んだことだってなかったわけじゃない。でもなんだかんだ言って俺は母さんのこと、嫌いじゃなかった。すごく大事とか、感謝してるとか、そこまでは思えなかったけど、それでもふたりでの生活は楽しかった。嘘偽りなくそうだった。でも。
――いつか七音も彼女連れてくること、あるのかねえ。
テレビを見ながらぽつんと言った母さんの横顔がふっと脳裏を過ぎったけど、全部を押し込めるようにしてドアを閉め、ポストに鍵を落とした。
かちゃん、と思った以上に姦しい音が響き、まるで母さんに叱られたようなそんな気がした。
待ち合わせ場所にしたのはポイントD付近のバス停だ。俺の家からだと徒歩二十分、工藤の家からだと七分くらい。工藤のほうが先に来ているかと思ったのに、四阿のような木造の待合所には誰の姿もなかった。
終バスが行ってしまってすでに五時間以上。無人なのはいいとして、工藤は大丈夫だろうか。不安な気持ちを抑えきれず、工藤の家がある方向へと歩き出す。が、数分歩いたところでぎょっとした。
黒い人影が道路の向こうから全力で駆けてくる。え、え、と慌てている間にその人影はどんどん大きくなり、体当たりするようにぶつかってくる。
細いその体を抱き留め、俺は目を白黒させた。
「ちょ、え? 工藤、どうし……」
「いやー、危なかったあ」
言って工藤が笑い転げる。なに、と問う俺の腕にすがって立ちながら工藤はなおも笑う。
「父さん、起きてやんの。見つかって追いかけられて。まくのに手間取っちゃった」
ああびっくりしたあ、と笑い混じりに言う声が震えている。それを聞いているうちにいらいらしてきた。
「あの人なんなの。そんなに執着するくせになんでお前があちこち泊まり歩いてることもっと心配しねえの。意味わかんねえ」
「俺をどう扱っていいかあの人もわかってないってことだろ」
どうでもいいことのように言い、工藤が俺の腕を払う。
「親としての気持ちもなくなったわけじゃない。でも俺の顔を見ると自分を捨てた女のこと思い出す。それだけのことだ」
吐き捨て、工藤は歩き出す。言葉を探す俺を工藤がくいっと首を捻じ曲げるようにして振り向く。
「意味わかんないって顔すんな。ずっと考えてる俺だってわかんないことを、簡単にわかられてたまるか」
「ごめ、ん」
そりゃあそうだ。無神経なことを言ってしまった。
こういうところだよな、と落ち込む俺の頬がそっと撫でられる。冷たいのに優しいその感触に俺は顔を上げた。
「謝るなってば。俺は感謝してんの。お前がそばにいてくれること、すごく」
丹羽、と名前が呼ばれる。ん、と小さく頷いた俺の手をすっと工藤が取った。
「行こ。バスまだ動かないけど、少しでも歩いて距離稼いでおいたほうがいい」
「うん」
頷き、歩き出す。そうしながら俺はふと思い出して繋いだ手を軽く揺らす。
「俺さ、ここ来る途中にコンビニ寄って、あれ買っちゃった」
「あれ?」
「わらび餅。後でおやつに食べよ」
不意に工藤が黙り込む。どした? と顔を覗き込んだのと同時に握られた手に力が込められた。
「地上の食べ物で俺が一番好きなやつだ」
たまらなくなって工藤の手を強く握り返すと、工藤が片手で素早く目元を拭うのがわかった。
「行こう。アガルタへ」
こっちを見上げた工藤の目はいつも通り澄んでいて、そのことに心底ほっとしながら俺は力強く頷いた。



