*
翌朝、遮光性の高いホテルのカーテンを開けると、今日はすっきりと空が晴れ渡っていた。
出社まであと三時間ほど時間がある。素泊まりで泊まっているホテルなので、朝ごはんを食べにいくために準備を整えた。
一瞬、隣の部屋に声をかけていこうかと思ったけれど、光莉さんがまだ寝ていたら申し訳ない。
身支度を整えて、ホテルを後にした。
向かったのはホテルからほど近い場所にある二条市場だ。
とれたての魚介類やそれらを使った料理が売られている。
店先に並ぶホタテやカニ、エビ、ホッケなどを眺めていると、一気にお腹が空いてきた。
朝早くから開いている店が多く、どこのお店に入ろうかと悩みながら歩いていた。
「琴音」
お店の看板を眺めていると、不意に後ろから呼びかけられる。
驚いて振り返ると、そこにはなんと、光莉さんが立っていた。
「おはよう琴音。やっぱりここにいたんやね」
朝から爽やかな笑みを浮かべて至近距離で手を振った。戸惑う私。
「光莉さん、なんでここに?」
「だって、昨日見せてくれた“行きたいお店リスト”に、ここの店が書いてあったやん」
光莉さんが、今まさに私たちが立っているところにあるお店の看板を指差した。
「海鮮処 福」という名前のご飯屋さんだ。新鮮な具材を使った海鮮丼が人気のお店らしい。
「でも、朝から行くって言ってませんでしたし」
「それはまあ、女の勘ってやつ? ……ていうのは冗談で、昨日、夜ご飯一緒に食べる約束守れへんくて悪かったなあって思って。ひと
りで食べたんやろ?」
「ひとりで……まあ、そうですね」
私は、「北斗」での食事を思い出しながら答える。確かにひとりメシではあったけれど、店員の麦島さんと話せて、あれはあれで素敵
な時間だった。
でも、光莉さんとご飯を食べたかったという心残りも確かにある。
「本当にごめんやで。真帆もちょっと気にしてて……。うちら、久々の再会で盛り上がってもうて、琴音のこと考えとらんかったなっ
て」
「いや、それはいいんですよ。久しぶりに友達と会えたらそりゃ嬉しいです」
光莉さんの言葉に全力で肯定したからか、光莉さんが驚いたように目を丸くした。
だけどこれは、本心。心の底から、仲良しのふたりが再会して楽しい時間を過ごせたなら良かったと思う。昨日、夜ご飯を食べる前まではそんなふうには思えなかったけれど、今は清々しい気持ちでいる。
「そお? 許してくれてありがとな」
「そもそも怒ってません」
「本当に? 琴音に嫌われたらどうしようかと」
しゅんと肩を落とす背の低い先輩が、小動物みたいに思えてなんだか可愛らしい。
私のことでそこまで悩んでくれていたんだな。
嬉しいし、照れくさい。
「せやからさ、今から一緒に朝ごはん食べよ」
ぱっと、彼女の表情が明るく切り替わる。私は「はい」と頷いて、目の前の「海鮮処 福」に入った。
店内は平日の早朝だというのに混み合っていた。
案内されたテーブル席に向かい合って座る。メニュー表を広げると、色鮮やかな海鮮丼のメニューがずらりと並ぶ。王道の海鮮丼からサーモンいくら丼、マグロ丼、しらす丼、カニ丼など、北海道らしい海鮮丼が並んでいた。
「このオリジナル丼、気になるなあ。好きな具材を選ぶんやて」
「本当ですね。楽しそう」
光莉さんが指さしたのは、注文時に自分が好きな具材を選び、トッピングしてもらうものだった。どんな具材を選んでも値段は一律らしい。
「せっかくやから、これにしよかっかな」
「私もそうします」
二人で「オリジナル丼」を注文する。私は、満遍なくいろんな具材を載せることにしたが、光莉さんはここぞとばかりにカニを選んでいた。カニにもいろんな種類があり、全種類のカニを注文していた。
運ばれてきた「オリジナル丼」と共に、二人で写真を撮る。
何気にツーショットは初めてで緊張した。
「いい写真やな。早速食べよ」
「いただきます!」
手を合わせてお箸を握る。私はまずサーモンを口にした。昨日は焼き鮭だったけれど、今日はお刺身。甘くてとろけるような旨味が舌の上で広がる。
光莉さんはカニを頬張って、「おいしい〜!」とさぞ幸せそうだ。
「光莉さん、私、昨日の件でちょっと不安だったんです」
半分ぐらい食事が進んだところで、光莉さんを前に、つい弱音を吐いてしまう。
「昨日の件って、クレームのこと?」
「それもあるんですけど。宮沢さんと外回りしてる時、新規営業がうまくいかなくて。一気に成約までとは考えてなかったですけれど、あとひと押し、というところもなくて。まったく手応えがなかったので……。正直、営業の才能がないなって思ってるんです」
朝から重たい話をしたことに、申し訳なさを覚えつつ、それでも口が止まらなかった。
本当は昨日のうちに聞いてもらいたかったことなんだ。
大阪でも、正直新規営業が成功したことはなく、これから先、ちゃんと営業部にいられるのか、不安に思っていた。
光莉さんは嫌な顔をすることはなく、もぐもぐと動かしていた口を止めてご飯を飲み込んだあと、真剣なまなざしになった。そうかと思えば、水をひとくち口に含み、「そんなことか」と口元を緩める。
「そんなの、最初のうちはみんなそんなもんやってー! 全然大丈夫やで。経験していくうちに上手くなるねん。それにさ、昨日真帆が言うてたんやけど」
そこで一度光莉さんは言葉を切る。どうしたんだろうと思ったら、カニをまたひとくち頬張った。光莉さんらしくて、心が和む。
「飛び込んだお店の店先にあったお花を琴音が褒めて、店主が嬉しそうにしてたんやってな。そういう琴音の細かいところに気づく力、すごいと思うで」
ぴょん、と心臓が跳ねた。二重の意味で驚く。
まさか、宮沢さんがそんな些細なことを光莉さんに話していたなんて。
そして、光莉さんがそんなことを褒めてくれるなんて、思ってもみなかった。
「宮沢さん、そんなこと光莉さんに言ってたんですね。でもそんな力より、トーク力とか営業の才能とかがあったほうがいいです。宮沢さんや光莉さんみたいに……」
「へ、私らにそんな才能全然ないで! ただ積み重ねてきただけや。それに、琴音は分からんかもやけど、細かいところに気づく力って大事やで。それでお客さんから信頼を得ることもできるんやから。それに関しては、私はガサツやし、全然できてへん。やから、琴音は
もっと自信持ってええんやで」
あっけらかんとした口調で言う。説教くさくなく、ただ自分の考えを口にしているだけという様子の光莉さんに、私は救われる思いがした。
「トーク力だけがスキルやない。いろんな技があっていいし、いろんな営業マンがおっていいと思わへん? だって私らはチームなんやから」
「チーム」
「せや。確かに営業成績は個人で出るけどさ、チームでも出るやろ? 大阪支社の売上、札幌支社の売上って。それもあるし、そもそもポラリス食品はみんなで一つの会社や。チームなんやで。ひとりで背負わんでええねん」
光莉さんの一つ一つの言葉が、考えが、私の胸にゆっくりと浸透していく。
私らはチームや。
今ほど光莉さんが教育係で良かったと思った瞬間はない。心が一気に軽くなった。
「そっか、チームなんですね。私ができないことは、誰かが補ってくれる」
「そうそう! 私だって、みんなに助けてもらってばかりやねん」
「そんなふうには見えないですけどね」
「琴音が知らんだけ。だって、後輩の前でカッコ悪いとこ見せたくないから表では見栄張ってんねん」
「そうだったんですね」
ふふふ、と思わず笑みが溢れる。見栄を張る光莉さんを想像するとなんだか愛しくて、目の前の景色が一段階明るくなったような気がした。
「入社五年の先輩だって悩むんやから、一年目の琴音が悩んで当たり前や。と、早く食べなあかんね」
「出社時間が近づいてますもんね」
「ちゃうちゃう。新鮮な具材がもったないから」
「そっちですか」
貪欲な光莉さんの言葉に笑いながらも、私は再び海鮮丼を口に運び始めた。
ぷりぷりとした海鮮の食感と、甘辛い醤油がすごくマッチしている。
光莉さんとふたりで食べるご飯はやっぱりおいしくて幸せだ。だけど、昨日ひとりで食べた鮭ハラス定食もしみじみと味わい深くて最高だった。
今度札幌に来たら、光莉さんに紹介しよう。
「ごちそうさま」と食事を終えて、心機一転、職場へと続く一歩をふたりで踏み出す。
朝日のまぶしさに、思わず目を眇めた。
<了>
翌朝、遮光性の高いホテルのカーテンを開けると、今日はすっきりと空が晴れ渡っていた。
出社まであと三時間ほど時間がある。素泊まりで泊まっているホテルなので、朝ごはんを食べにいくために準備を整えた。
一瞬、隣の部屋に声をかけていこうかと思ったけれど、光莉さんがまだ寝ていたら申し訳ない。
身支度を整えて、ホテルを後にした。
向かったのはホテルからほど近い場所にある二条市場だ。
とれたての魚介類やそれらを使った料理が売られている。
店先に並ぶホタテやカニ、エビ、ホッケなどを眺めていると、一気にお腹が空いてきた。
朝早くから開いている店が多く、どこのお店に入ろうかと悩みながら歩いていた。
「琴音」
お店の看板を眺めていると、不意に後ろから呼びかけられる。
驚いて振り返ると、そこにはなんと、光莉さんが立っていた。
「おはよう琴音。やっぱりここにいたんやね」
朝から爽やかな笑みを浮かべて至近距離で手を振った。戸惑う私。
「光莉さん、なんでここに?」
「だって、昨日見せてくれた“行きたいお店リスト”に、ここの店が書いてあったやん」
光莉さんが、今まさに私たちが立っているところにあるお店の看板を指差した。
「海鮮処 福」という名前のご飯屋さんだ。新鮮な具材を使った海鮮丼が人気のお店らしい。
「でも、朝から行くって言ってませんでしたし」
「それはまあ、女の勘ってやつ? ……ていうのは冗談で、昨日、夜ご飯一緒に食べる約束守れへんくて悪かったなあって思って。ひと
りで食べたんやろ?」
「ひとりで……まあ、そうですね」
私は、「北斗」での食事を思い出しながら答える。確かにひとりメシではあったけれど、店員の麦島さんと話せて、あれはあれで素敵
な時間だった。
でも、光莉さんとご飯を食べたかったという心残りも確かにある。
「本当にごめんやで。真帆もちょっと気にしてて……。うちら、久々の再会で盛り上がってもうて、琴音のこと考えとらんかったなっ
て」
「いや、それはいいんですよ。久しぶりに友達と会えたらそりゃ嬉しいです」
光莉さんの言葉に全力で肯定したからか、光莉さんが驚いたように目を丸くした。
だけどこれは、本心。心の底から、仲良しのふたりが再会して楽しい時間を過ごせたなら良かったと思う。昨日、夜ご飯を食べる前まではそんなふうには思えなかったけれど、今は清々しい気持ちでいる。
「そお? 許してくれてありがとな」
「そもそも怒ってません」
「本当に? 琴音に嫌われたらどうしようかと」
しゅんと肩を落とす背の低い先輩が、小動物みたいに思えてなんだか可愛らしい。
私のことでそこまで悩んでくれていたんだな。
嬉しいし、照れくさい。
「せやからさ、今から一緒に朝ごはん食べよ」
ぱっと、彼女の表情が明るく切り替わる。私は「はい」と頷いて、目の前の「海鮮処 福」に入った。
店内は平日の早朝だというのに混み合っていた。
案内されたテーブル席に向かい合って座る。メニュー表を広げると、色鮮やかな海鮮丼のメニューがずらりと並ぶ。王道の海鮮丼からサーモンいくら丼、マグロ丼、しらす丼、カニ丼など、北海道らしい海鮮丼が並んでいた。
「このオリジナル丼、気になるなあ。好きな具材を選ぶんやて」
「本当ですね。楽しそう」
光莉さんが指さしたのは、注文時に自分が好きな具材を選び、トッピングしてもらうものだった。どんな具材を選んでも値段は一律らしい。
「せっかくやから、これにしよかっかな」
「私もそうします」
二人で「オリジナル丼」を注文する。私は、満遍なくいろんな具材を載せることにしたが、光莉さんはここぞとばかりにカニを選んでいた。カニにもいろんな種類があり、全種類のカニを注文していた。
運ばれてきた「オリジナル丼」と共に、二人で写真を撮る。
何気にツーショットは初めてで緊張した。
「いい写真やな。早速食べよ」
「いただきます!」
手を合わせてお箸を握る。私はまずサーモンを口にした。昨日は焼き鮭だったけれど、今日はお刺身。甘くてとろけるような旨味が舌の上で広がる。
光莉さんはカニを頬張って、「おいしい〜!」とさぞ幸せそうだ。
「光莉さん、私、昨日の件でちょっと不安だったんです」
半分ぐらい食事が進んだところで、光莉さんを前に、つい弱音を吐いてしまう。
「昨日の件って、クレームのこと?」
「それもあるんですけど。宮沢さんと外回りしてる時、新規営業がうまくいかなくて。一気に成約までとは考えてなかったですけれど、あとひと押し、というところもなくて。まったく手応えがなかったので……。正直、営業の才能がないなって思ってるんです」
朝から重たい話をしたことに、申し訳なさを覚えつつ、それでも口が止まらなかった。
本当は昨日のうちに聞いてもらいたかったことなんだ。
大阪でも、正直新規営業が成功したことはなく、これから先、ちゃんと営業部にいられるのか、不安に思っていた。
光莉さんは嫌な顔をすることはなく、もぐもぐと動かしていた口を止めてご飯を飲み込んだあと、真剣なまなざしになった。そうかと思えば、水をひとくち口に含み、「そんなことか」と口元を緩める。
「そんなの、最初のうちはみんなそんなもんやってー! 全然大丈夫やで。経験していくうちに上手くなるねん。それにさ、昨日真帆が言うてたんやけど」
そこで一度光莉さんは言葉を切る。どうしたんだろうと思ったら、カニをまたひとくち頬張った。光莉さんらしくて、心が和む。
「飛び込んだお店の店先にあったお花を琴音が褒めて、店主が嬉しそうにしてたんやってな。そういう琴音の細かいところに気づく力、すごいと思うで」
ぴょん、と心臓が跳ねた。二重の意味で驚く。
まさか、宮沢さんがそんな些細なことを光莉さんに話していたなんて。
そして、光莉さんがそんなことを褒めてくれるなんて、思ってもみなかった。
「宮沢さん、そんなこと光莉さんに言ってたんですね。でもそんな力より、トーク力とか営業の才能とかがあったほうがいいです。宮沢さんや光莉さんみたいに……」
「へ、私らにそんな才能全然ないで! ただ積み重ねてきただけや。それに、琴音は分からんかもやけど、細かいところに気づく力って大事やで。それでお客さんから信頼を得ることもできるんやから。それに関しては、私はガサツやし、全然できてへん。やから、琴音は
もっと自信持ってええんやで」
あっけらかんとした口調で言う。説教くさくなく、ただ自分の考えを口にしているだけという様子の光莉さんに、私は救われる思いがした。
「トーク力だけがスキルやない。いろんな技があっていいし、いろんな営業マンがおっていいと思わへん? だって私らはチームなんやから」
「チーム」
「せや。確かに営業成績は個人で出るけどさ、チームでも出るやろ? 大阪支社の売上、札幌支社の売上って。それもあるし、そもそもポラリス食品はみんなで一つの会社や。チームなんやで。ひとりで背負わんでええねん」
光莉さんの一つ一つの言葉が、考えが、私の胸にゆっくりと浸透していく。
私らはチームや。
今ほど光莉さんが教育係で良かったと思った瞬間はない。心が一気に軽くなった。
「そっか、チームなんですね。私ができないことは、誰かが補ってくれる」
「そうそう! 私だって、みんなに助けてもらってばかりやねん」
「そんなふうには見えないですけどね」
「琴音が知らんだけ。だって、後輩の前でカッコ悪いとこ見せたくないから表では見栄張ってんねん」
「そうだったんですね」
ふふふ、と思わず笑みが溢れる。見栄を張る光莉さんを想像するとなんだか愛しくて、目の前の景色が一段階明るくなったような気がした。
「入社五年の先輩だって悩むんやから、一年目の琴音が悩んで当たり前や。と、早く食べなあかんね」
「出社時間が近づいてますもんね」
「ちゃうちゃう。新鮮な具材がもったないから」
「そっちですか」
貪欲な光莉さんの言葉に笑いながらも、私は再び海鮮丼を口に運び始めた。
ぷりぷりとした海鮮の食感と、甘辛い醤油がすごくマッチしている。
光莉さんとふたりで食べるご飯はやっぱりおいしくて幸せだ。だけど、昨日ひとりで食べた鮭ハラス定食もしみじみと味わい深くて最高だった。
今度札幌に来たら、光莉さんに紹介しよう。
「ごちそうさま」と食事を終えて、心機一転、職場へと続く一歩をふたりで踏み出す。
朝日のまぶしさに、思わず目を眇めた。
<了>



