*
十六時に帰社してすぐ、私たちはクレーム対応に追われていた。
光莉さんも営業部長も額に汗を浮かべて、バタバタと事務所の中を走り回っている。イレギュラーな事態に初めて遭遇した私は言うまでもなく、てんやわんや。営業部長と共に、宮沢さんはまず店舗に謝罪と状況確認に行くことになった。その間に、残りの札幌支社のメンバーは工場に赴き、確認作業を急ぐ。
工場へ行き、回収された商品を確認している間、汗が止まらなかった。外の気温がそんなに高くないからか、冷房が効いていない室内での作業で、とても心地が悪かった。じっとりと濡れた額を腕で拭う。
直接自分が関わっていることではないとはいえ、緊張感が漂う現場に、自然とのまれていく。光莉さんが「大丈夫?」と気を遣って聞いてくれて、しっかりしなくては、と思い至った。
「まさか、出張した日にクレームが入るなんてなぁ。でもこういうこともあるってことだから、覚えておいて」
「はい、そうですよね。会社のことですから、最後まで頑張ります」
結局、ほとんど何も役に立てずに、周りの人たちの焦ったような指示に流されるようにして、作業を終えた。
確認の結果、食品の中に入っていたという金属片のようなものは、その食品を購入したお客様宅の割れた調理器具の破片だったらしい。
ポラリス食品の過失ではなかったことに、自然と安堵が広がっていく。光莉さんの表情もようやく安心したように緩んでいた。
「お疲れ、真帆。今日は災難だったね」
疲れているのはみんな同じなのだが、真っ先に宮沢さんを労りに行く光莉さん。帰社したばかりの宮沢さんは光莉さんの顔を見た瞬間、「光莉〜っ!」と光莉さんに抱きついた。
「わ、わわ! ちょ、どないしたん」
「だって〜〜めちゃくちゃ大変だったんだもん……! 謝罪するのも怖かった〜」
彼女らしからぬ泣き言を聞いた光莉さんは、驚いた表情から柔らかい笑みを浮かべ、「よしよし」と宮沢さんの背中を撫でた。
「うちの過失じゃなくてよかったやん。そこまで大事にならなかったのも、日頃真帆たちが誠実に対応してる結果やねん。自信持ちや」
関西弁で力強く宮沢さんを励ます光莉さん。宮沢さんが「うん、うん」と何度も涙ながらに頷いているのを見て、私はそっとそばから離れる。
あんなの、見ていられない……。
二人がそういう意味で特別な関係ではないことは分かっている。でも、あの二人の特別な空気を、あの場所を壊したくなかった。奪いたくなかった。
トイレに行き、用を済ませると、手洗い場の鏡で久しぶりに自分の顔を見た。
慣れないことをして疲れたせいか、目の下には青いクマができている。汗でメイクが禿げ、妖怪のような顔になっていた。
「何これ、だっさ」
思わず笑ってしまう。初めての出張で、いろんなことが起きて、やっぱり私はほとんど先輩たちの役にはほとんど立てなかった。だけどまあ、新人だからこんなものだ。しょうがない——そういう感情が湧き出てしまう自分がひどく憎らしかった。
トイレから出て、事務所へと戻っていく。
光莉さんと宮沢さんが二人で楽しげに会話をしているのを目にした。
そうだ。仕事のことで頭がいっぱいになって忘れてたけど、これから光莉さんとスープカレーの店に行くんだった!
慌てて時計を見る。二十時、予定よりかなり時間が押していた。有名店で、遅い時間までお客さんの列ができていると聞く。急がなければと、光莉さんに声をかけようとした時だった。
「あ、琴音。どこ行ったんかと思った」
光莉さんが手を挙げて「こっちこっち」と私を手招きする。
光莉さんの元へ急ぐと、彼女は笑顔でこう言った。
「真帆から一緒にご飯行かへん? って言われてん。隠れ家っぽい居酒屋さんがあるんやって。話聞いてたら気になってな。スープカレーもええねんけど、この時間やし、居酒屋のほうがええかなって思ってん。琴音も一緒にどう?」
「宮沢さんと……」
私は、光莉さんの隣にいる宮沢さんを見つめる。「琴音ちゃんもお疲れだと思うから、奢るよ」と優しいまなざしを向けてきた。
ありがたいお誘いではある。
だけど……胸を突く痛みを、私は無視することができない。
「……すみません。ちょっと疲れすぎたので、私は早めにホテルに行きます」
気がつけば誘いを断っていた。三人でご飯を食べに行って、うまく振る舞える自信がない。
それに——本心では、宮沢さんは光莉さんと二人でご飯に行きたいのではないかと思ったから。
久しぶりに再会した仲良しの同期の仲間だ。きっと、二人だけで積もる話をしたいだろう。
「ああ、そうなん? それなら仕方ないね。振り回してごめんやで。今日はゆっくり休みや」
「いえ、とんでもないです。お気遣いありがとうございます」
ぺこりと二人に向かって頭を下げる。宮沢さんが「今日はありがとう。明日もよろしくね」と爽やかに言った。その瞳がどこか嬉しそうに見えて、宮沢さんを直視することができないまま、「お疲れ様です」と事務所を後にした。
十六時に帰社してすぐ、私たちはクレーム対応に追われていた。
光莉さんも営業部長も額に汗を浮かべて、バタバタと事務所の中を走り回っている。イレギュラーな事態に初めて遭遇した私は言うまでもなく、てんやわんや。営業部長と共に、宮沢さんはまず店舗に謝罪と状況確認に行くことになった。その間に、残りの札幌支社のメンバーは工場に赴き、確認作業を急ぐ。
工場へ行き、回収された商品を確認している間、汗が止まらなかった。外の気温がそんなに高くないからか、冷房が効いていない室内での作業で、とても心地が悪かった。じっとりと濡れた額を腕で拭う。
直接自分が関わっていることではないとはいえ、緊張感が漂う現場に、自然とのまれていく。光莉さんが「大丈夫?」と気を遣って聞いてくれて、しっかりしなくては、と思い至った。
「まさか、出張した日にクレームが入るなんてなぁ。でもこういうこともあるってことだから、覚えておいて」
「はい、そうですよね。会社のことですから、最後まで頑張ります」
結局、ほとんど何も役に立てずに、周りの人たちの焦ったような指示に流されるようにして、作業を終えた。
確認の結果、食品の中に入っていたという金属片のようなものは、その食品を購入したお客様宅の割れた調理器具の破片だったらしい。
ポラリス食品の過失ではなかったことに、自然と安堵が広がっていく。光莉さんの表情もようやく安心したように緩んでいた。
「お疲れ、真帆。今日は災難だったね」
疲れているのはみんな同じなのだが、真っ先に宮沢さんを労りに行く光莉さん。帰社したばかりの宮沢さんは光莉さんの顔を見た瞬間、「光莉〜っ!」と光莉さんに抱きついた。
「わ、わわ! ちょ、どないしたん」
「だって〜〜めちゃくちゃ大変だったんだもん……! 謝罪するのも怖かった〜」
彼女らしからぬ泣き言を聞いた光莉さんは、驚いた表情から柔らかい笑みを浮かべ、「よしよし」と宮沢さんの背中を撫でた。
「うちの過失じゃなくてよかったやん。そこまで大事にならなかったのも、日頃真帆たちが誠実に対応してる結果やねん。自信持ちや」
関西弁で力強く宮沢さんを励ます光莉さん。宮沢さんが「うん、うん」と何度も涙ながらに頷いているのを見て、私はそっとそばから離れる。
あんなの、見ていられない……。
二人がそういう意味で特別な関係ではないことは分かっている。でも、あの二人の特別な空気を、あの場所を壊したくなかった。奪いたくなかった。
トイレに行き、用を済ませると、手洗い場の鏡で久しぶりに自分の顔を見た。
慣れないことをして疲れたせいか、目の下には青いクマができている。汗でメイクが禿げ、妖怪のような顔になっていた。
「何これ、だっさ」
思わず笑ってしまう。初めての出張で、いろんなことが起きて、やっぱり私はほとんど先輩たちの役にはほとんど立てなかった。だけどまあ、新人だからこんなものだ。しょうがない——そういう感情が湧き出てしまう自分がひどく憎らしかった。
トイレから出て、事務所へと戻っていく。
光莉さんと宮沢さんが二人で楽しげに会話をしているのを目にした。
そうだ。仕事のことで頭がいっぱいになって忘れてたけど、これから光莉さんとスープカレーの店に行くんだった!
慌てて時計を見る。二十時、予定よりかなり時間が押していた。有名店で、遅い時間までお客さんの列ができていると聞く。急がなければと、光莉さんに声をかけようとした時だった。
「あ、琴音。どこ行ったんかと思った」
光莉さんが手を挙げて「こっちこっち」と私を手招きする。
光莉さんの元へ急ぐと、彼女は笑顔でこう言った。
「真帆から一緒にご飯行かへん? って言われてん。隠れ家っぽい居酒屋さんがあるんやって。話聞いてたら気になってな。スープカレーもええねんけど、この時間やし、居酒屋のほうがええかなって思ってん。琴音も一緒にどう?」
「宮沢さんと……」
私は、光莉さんの隣にいる宮沢さんを見つめる。「琴音ちゃんもお疲れだと思うから、奢るよ」と優しいまなざしを向けてきた。
ありがたいお誘いではある。
だけど……胸を突く痛みを、私は無視することができない。
「……すみません。ちょっと疲れすぎたので、私は早めにホテルに行きます」
気がつけば誘いを断っていた。三人でご飯を食べに行って、うまく振る舞える自信がない。
それに——本心では、宮沢さんは光莉さんと二人でご飯に行きたいのではないかと思ったから。
久しぶりに再会した仲良しの同期の仲間だ。きっと、二人だけで積もる話をしたいだろう。
「ああ、そうなん? それなら仕方ないね。振り回してごめんやで。今日はゆっくり休みや」
「いえ、とんでもないです。お気遣いありがとうございます」
ぺこりと二人に向かって頭を下げる。宮沢さんが「今日はありがとう。明日もよろしくね」と爽やかに言った。その瞳がどこか嬉しそうに見えて、宮沢さんを直視することができないまま、「お疲れ様です」と事務所を後にした。



